其の3 恥ずかしさとは


 人間というやつは長く生きているとやっぱりその分恥ずかしいことも多く経験してしまうわけで、だからといってわたしはそれ程長く生きているというわけぢゃあないんだけども、二十代も半ばを過ぎるとそれなりに自己批判出来るようになってくるので、これまでの行動でそのときはそれほど恥ずかしいとは思わなかったことが今になって恥ずかしくなってくるということもあります。学生のときのこと、授業にも出ない癖にやけに単位を揃えるのに必死になって、卒論の諮問会のとき、他のすべての単位は揃っているがこの卒論が通らなかったら大学を辞めるなどと、半ば脅しをかけるような言葉を吐いたことなんか、今考えるともうどうしようもない甘ちゃんで、教授の優しさに付け込んだ卑劣な行為だったと今になって恥ずかしく思ってくるわけです。いやあほんと申し訳ないです。これから一生会いに行けないなあ。大野道邦教授、反省しております。
 とまあ人に人生あり、そして人に恥ずかしさあり。わたしは何も考えなしに行動して喋ってしまうので特に多いです。んが、こういうのは自分自身に責任があって、きちんとしてれば防ぐことができた恥ずかしさなわけですが、いきなり襲いかかられ人前で辱めにあうということもあります。例えばこう。「彼女いるの?」おいおい、そういうストレートなのには慣れておるのだよ。いくら剛球だって直球なら打ち返すことができるのだ。まあ言われ慣れてくると、いくら愚鈍なわたしであっても対応することができるんだけどね。次はこう。「彼女とはどこにデートにいくの?」あちゃー、いきなり彼女がいるのが前提になっておる。これぢゃいちいち彼女がいないことを説明しなきゃならん。まだ大丈夫。論理的に説明すればいくら年端もいかぬ彼ら彼女らとて納得してもらえる。「結婚してるの?」これもぎりぎりセーフ。まだまだ世間では二十六歳は結婚するのに遅い年齢ではない。「なんで結婚しないの?」うっ、これは恥ずかしさもさることながら、悲しさとか侘しさとかがないまぜになった複雑な気持ちにさせられます。「うちのお父さん二十六歳のときはもう僕八歳だったって」そりゃ、君の髪型みりゃわかりますって。茶髪に後ろ髪長いの。彼らは勢いづいてくる。「初めてのデートってどこ行ったの?」おーい、そりゃないよ。変化球はまだ芯で捕らえられないんだって! 
 とまあ恥ずかしくなってしまう言葉というのには限りがないわけだけど、やっぱりこの言葉に止めをさします。
「初めてのキスはどんな味だった?」
 いやはや、どう言えばいいんでしょ。返す言葉がないってこのことですね。しかし、一番恥ずかしかったのはこの言葉で一瞬呆然となって、そして赤面してしまったことでしょうか。
 まだまだ修行がたりん。
 しかしこういう雑文を臆面もなく公開してしまうのが最も恥ずかしいことであるのかもしれないのだが。


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