其の21 曖昧模糊


 情報というものは正確に伝えなければならないものだ。いきなり、「ササン朝ペルシアが……」と言われたら誰だって驚いてしまう。「なんで主語なんだ、ええ、どうなったのだ、述語は」とやくざばりに胸座を掴みかけてしまうというものだ。情報は的確にそして最後まで責任をもって伝えなければならない。だからといって情報を丸裸のままに出されても困るということもある。例えばいきなり残業してね、などと爽やかに言われたりするとちょっと困ってしまうのだ。気の弱いわたしのことだからつい「はい、かしこまりました」と言ってしまうではないか。関係ないが、たまたまラーメン屋で隣に座った見ず知らずの人から「何の本読んでるの?」と率直に訊ねられるのも困ってしまう。相手チームのエースが初球まっすぐストライクを投げてきたときの四番打者の気持ちである。わたしが四番打者だというわけではないのだが、社会のおける七番打者くらいだと思うのだが、それはどうでもいいことだ。そして譬えも良くない。かといって円滑なコミュニケーションを実現する為にこういう風に言われるのも困る。「お腹空いてるでしょ? 遠慮しないで食べてきたらどう? ついでだから」などと夜食を勧められるのも、後で仕事を続けるられるような配慮であることに気付くのは残業が始まってしまってからであるので、困りものである。しっかりと喰ってしまったではないか。それに「ついで」というのも解せぬ。なんのついでなのか。
 とまあ残業をしているのであるが、最早深夜は二時を過ぎようとしている。単調な仕事であるのだが、なにぶん量が多い。仕事の手順は大きく分けて三つである。紙を折ること。封筒に紙を入れること。そして封筒をホッチキスで閉じること。この三つである。非常に単純なことである。疲れはしないのであるが、途中自分が何をやっているのか解らなくなってくる。この作業全体には意味はあるのだが、それぞれの作業に意味がないような気がしてくる。何の為に紙を折るのかということが解らなくなってくるのである。昔学んだ哲学か経済学か社会学か歴史学かのどれかの本に書かれていた「疎外」という言葉が浮かんでくる。意味があっているかは責任を持たない。「機械化の進んだ現代社会の病理」という言葉も浮かんできたりもする。どう考えてみてもどこにも機械化されている作業が微塵もないのだが、不思議なものだ。そして単調な作業ほど頭が冴えてきたりするものだ。様々な笑い話なども思い浮かぶ。敢えてここでは書かないが、誰が聞いても大爆笑間違いなしのネタだ。ほんとに面白いのだ。しかし、どんな話かと聞くのだけは止めておいて欲しい。
 小一時間もたった頃か、予測通り飽きてくる。そこでわたしは考えた。単調な仕事は区切りがはっきりしないから飽きるのではないかと。それではと、全体の作業を大きく五つに分けることにした。そうすれば、「今、五分の一終わったんだな」などと達成感を味わうことが出来る。なかなか素晴らしい発案だった。わたしは無心に作業を再開し、気付いたときには五分の一を終えることが出来ていた。わたしは出来上がった五分の一を眺めながら、自分で自分を誉めて誉めて誉めあげまくりたい気持ちになった。そして駆け足で外に出た。煙草を喫う。うまい。それに夜空には星が出ている。素晴らしい夜だ。
 一服したあと仕事場に戻るとまだ五分の四が残っていることに気付く。一服といいながら五本も喫ってしまったのだから結構時間が経ってしまっていた。これでは次の出勤までに帰れないではないか。焦った頭でもっと能率良くできる方法はないかと考える。今日のわたしは冴えているのか、それとも女神が微笑んだか、グッアイディーアが浮かぶ。そのアイデアとは「報酬」を与えてみればどうかということだった。一定の作業が済めば何か楽しいことをしてみればどうかということである。そこで鞄を開けいつもの本を取り出すことにした。「存在と時間(上)」だ。表紙を眺めながら不安になり、やっぱり三谷幸喜の「オンリー・ミー 私だけを」に変える。そして何度目かの作業の再開を再開する。紙を折る。そして紙を封筒に入れる作業へと進み、ホッチキスで閉じる。そして読書をする。これが一つのターンである。全体の五分の二を終えてみると、紙を折るのがもっとも疲れることに気付いた。そこで更に能率をあげる為に、紙を折る、読書、封筒、ホッチキス、読書という順番に変えることにした。あくまで能率をあげる為の読書である為、最初の読書の時間の半分を紙折りの後に充てる。この読書タイムを二つに分けることは予定通り素晴らしい効果があり、先程の半分の時間で全体の五分の二が終わってしまった。残りは十分の四である。約分すると五分の二だ。歩合でいうと四割だ。あと少しである。なんだ坂、こんな坂、なんだ坂、こんな坂などと呟きながら作業を続ける。朦朧としてはいるが、テンションは高い。紙を折っているとき、「折々の紙」という言葉が浮かび途中爆笑してしまう。ちなみに先程の爆笑ネタはこれではない。
 時間は四時三十分を過ぎようとしていた。あと少しで完了だ。わたしは腹に力を入れて残りの紙と封筒とホッチキスと「オンリー・ミー 私だけを」に挑んでいた。紙、「オンリー・ミー」、封筒、「オンリー・ミー」、ホッチキス、「オンリー・ミー」と順調に作業は進んでいった。そして五時少し前にようやく長い闘いが終わった。勿論わたしの完全なる勝利である。「オンリー・ミー 私だけを」も最後まで読むことが出来た。申し分ない勝利であった。
 そこで最初の曖昧な情報というのに戻るのだが、仕事場はやけに寒かったのである。暖房を入れているのだが、寒い。エアコンを確かめても二十二度と表示されている。おかしい。まあこんなものかと作業中に確かめなかったのが悪かったのかもしれない。わたしは何故か冷房の二十二度を指定していたようなのだ。わあ、と気付いたときは遅く帰りしなであった。通りで寒いはずだ。しかし、冷房の二十二度と暖房の二十二度のどちらが暖かいのか、寒いのか、どっちなんだ実際の所。どちらも摂氏だろうに。試合に勝って勝負に負けた気分である。そして今少し風邪ぎみであることはいうまでもない。


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