其の27 バナナ


 先日、道を歩いているとバナナの皮が落ちているのに気付いた。ふむ、バナナであるか、と通り過ぎようとしたのだが、なんとも気になる。そこで向かいの喫茶店に入り、バナナの皮について考えることにした。
 バナナの皮は最近こそあまり落ちていないが、昔はよく落ちていたと聞く。バナナは高級品であったので、バナナの皮を何気なく背広のポケットから落とすのが紳士の嗜みであり、ステータスでもあったようだ。淑女もやぱり、「あら、いやだわ。わたくしとしたことが。ホホホ」などとスカーフの代わりに巻き付け失笑されるのが良家の出である証明でもあったらしい。またかつては今際の言葉の八十二パーセントが「バナナが食べたい」であり、十三パーセントが「メロンが食べたい」であり、五パーセントが「カレーが食べたい」であり、先代松鶴は「うんこ」と言ったとも聞く。バナナが如何に高級品であったかわかる傍証である。
 しかし今ではバナナは高級品どころか非常に安く手に入る食品に成り下がってしまった。ありふれているのだ。街を歩けばバナナにぶつかる、そんな食品なのである。だからといって皆が食べているというとそうではないのである。考えてみると道を歩きながらバナナを食している者は見掛けないし、また「彼女、バナナ食べない?」と婦女子を妖しげなる場所へといざなう道具とされていることも見た事はない。また、二本のバナナを頭に乗せて「牛」と言っているものも見ないし、駅の喫煙コーナーでバナナを咥えている者も見た事がない。それほどバナナは食されることがなくなってしまったのである。
 そして実際食するといっても、ジュースにするか、パフェに入れるかでしか食することがなくなっている。あのそそり立ったバナナの黄色い皮をめくって一気に喰らう、そういうことがなくなってしまったのだ。また非常に栄養価の高い食品であると喧伝され、それ故食するように勧められる、裏を返せば他にも美味しい果物はあるからねという、そんな食品になってしまっているのである。これは由々しき事態である。あの隆盛を極めたバナナがもはや絶滅の危機に瀕しているとは。
 そんなことを考えながらコーヒーをすすっていたのであるが、ふと思い付いた。誰かあのバナナの皮を踏み付けてすべらないだろうか、ということをである。バナナの皮ですべる。非常に古典的なギャグであり、実際漫画、コント、コメディ映画などで見た事はなく、あるとすれば自虐的に敢えてそういうギャグをする場合に限られている。また食べたことはないのだが、ベルグソンの著書の中にも笑いの位置関係で引用されている。それほど古典的なギャグである。わたしは喫茶店の窓からバナナの皮をじっと眺めていた。既にあの嫌味なまで黄色い姿態はなくなり、黒くなってしまっている。しかしまだその物体はバナナの皮である尊厳は保っていて、ヒトデのように皮を広げている。わたしは人が通るたびに緊張して、そして期待していた。やはりバナナの皮ですべるのは立派な紳士がよい。それもシルクハットをかぶり、ステッキを振り回しながら、懐中時計に目をやっている、そんな紳士がすべるのを見てみたい、そう願っていた。
 時間は刻々と過ぎてゆく。もう一時間は経ったようだ。カップに残ったコーヒーはとっくに冷めてしまっている。店員におかわりを頼み再びバナナの皮に集中した。通行人の誰もバナナの皮には気付いていない。折角バナナの皮が落ちているのにすべらないのは勿体ないではないか、そう考えながらじっと眺めていた。やはりじっと眺めているのが悪いのかもしれない。こういう偶然は待っていては起こらないものである。偶然は偶然だけにこちらが用意していないときに起こるものなのだ。そしてわたしは鞄から例の「存在と時間」(上)を取り出し、読書に勤しむことにした。時間も過ぎてゆき、読書もかなり進んで三行ほど読めたとき、店員がわたしに告げた。「もう閉店ですので」時計を見ると十時前である。思ったよりも集中していたようだ。バナナの皮の方を見ると、やはり同じ所に同じように落ちていた。
 店を出てから、周りに人がいないのを確認してバナナの皮の所へ行った。バナナの皮は相変わらずしょぼくれていた。折角良い場所に恵まれていたのに誰にも踏まれることがないとは、生まれてきた甲斐がない、そう言っているように思えた。そこでわたしはそっとバナナの皮に足を置いた。ぐにょという感触が靴を通じて感じられる。もう少し力を入れてみる。少し靴が横滑りする。ほう、こうやって紳士はすべるものなのかと感心する。確かに足は思ったように動かず、動く方向は予測できない。何も知らずに踏んだら転んでしまうに違いない。そこでもう少し力を入れることにした。しかし少しも転ぶ気配はない。折角わたしが踏んでやったというのに転ばす力もないなんて、哀れなバナナの皮である。そこでわたしは五メートルほど離れ下を見ずにバナナの皮を踏んでみることにした。邪念があるからバナナの皮も転ばす気力が沸かないのかもしれない。どきどきしながら歩いてゆくと、しっかりとバナナの皮に右足が乗った。やったと思ったが、バナナの皮はちぎれてしまっていた。わたしはそっと足をどけ、そしてバナナにさよならを言った。もうわたしにやるべきことはない。頑張って紳士を転ばすのだぞ、そう呟いてその場から去ろうとした。振り向きざま反対の足でバナナの皮を踏み付けてしまい転んでしまいそうになったのだが、これがバナナの皮の最初で最後の転ばしだったのかもしれない。そしてこれで知り合いの雑文とネタのかぶりもない。


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