其の29 融通がきかないのだ


 融通のきかない人間がいる。かくいうわたしもどちらかというと融通のきかない人間の方であり、大学に入学したときから勉学に勤しむと決めた途端五年も居座ることになった。四年目に世間では就職活動を始めるものだと知ってから、慌てて就職活動態勢に入ったのだが、所詮付け焼き刃であり、勉学に勤しまなければならないという信念はやまず、本腰を入れて就職活動を始めたのは次の次の年の三月であった。ほんと融通の効かない人間である。そうはいっても、わたしなどよりも更に融通のきかない人間はいるもので、例えばこういう会話なども其の人間が融通のきかない人間であることをよく表していたりする。
「縄文時代の文化といえば、やっぱり縄文式土器である。では弥生時代の文化として何をあげる?」
「弥生式土器」
「うむ、宜しい。では飛鳥時代は」
「飛鳥式土器」
「白鳳時代は」
「白鳳式土器」
「天平時代は」
「天平式土器」
「国風文化では」
「国風土器」
「鎌倉時代は」
「鎌倉式土器」
「東山文化では」
「書院土器」
などといつの時代も土器をつくるのが日本の文化だと思っているのだからたいしたものである。そして「大正時代では」ときいたら「大正モダニズム土器」と返ってくるのだから呆れるを通り越して更に呆れてしまう。ついでに「赤道小町は」と訊ねたが返って来なかったのであるが、それはまあよい。しかしこんなのは笑えるから許せるというものである。
 わたしの大学時代は麻雀に始まり麻雀に終わったと言っても過言であるのだが、とにかくよく麻雀をしたものである。部室の名目でアパートの一室を借りていたのであるが、実質麻雀部屋であったので、毎日のように麻雀が出来る態勢が整っていたのもいけなかったのかもしれない。とにかく夕方起きだしては徹夜で麻雀をし、そして麻雀に飽きると寝て、そして起きると麻雀をする、こんな生活をしている人間がうようよいたのである。であるからいくら勉学への道を志していたわたしとて麻雀をせざるを得ない状況であったのだ。
 麻雀というのはとかく五月蝿いものである。例のじゃらじゃらという洗牌の音は勿論のこと、ロンとかロンとかロンとかされる声なども五月蝿いものである。アパートを一室借りているといってもそこはアパートのことであり、やはり共同生活の場であるので迷惑と言えば迷惑である。しかし我々は若かったせいもあり、そこまで気が回らなかったのである。隣の住人などはさぞ五月蝿かったことであろう。
 悲劇はその麻雀によってもたらされた。わたしは先輩三人と麻雀に興じていたのであるが、その楽しい場は突然の闖入者によって一変したのである。
「五月蝿いんじゃ」かなり大きな声でその主は我々に向かって叫んだ。そこで我々は一応「どうもすみませんでした」と詫びを入れ、麻雀牌を直そうとした。普通ならそこで「気をつけてくださいよ」という言葉で終わるのだが、そのときはそうではなかったのである。その闖入者は靴のまま部屋に入ってきて、そして徐に半纏の内ポケットから包丁を取り出したのである。場は緊張した。
「毎日毎日麻雀しやがって、いいかげんにしろ」年の頃なら二十歳くらいの眼鏡をかけたデブは包丁を突き出しながら言った。我々四人は何故か正座をしている。
「どれだけ五月蝿いかわかってんのか」「す、す、すいません」「お前らみたいな奴は死なんとわからへん」「い、いえ、わかりましたから」「いいや」という会話がされた。どうしてだか我々の殊勝な態度はその闖入者の嗜虐心を煽ったようなのだ。にやっと無気味な笑いをしてデブは包丁をそれぞれの顔に向けて、またまたどうしてだか解らぬのだが、武勇伝を語りはじめたのである。
「俺の一声で百人ぐらいの暴走族が集まる」だの「昨日少年院から出てきて保護観察処分」だのを語りはじめた。どう考えても半纏にジャージでデブで眼鏡をかけているその男にそれだけの甲斐性があるようには見えないのであるが、かれこれ三十分も語りつづけている。辛い。
「どうしたんですか」隣の住人である。我々の緊張感は一瞬緩んだ。これで助かる。これで足元に包丁を落とされることもない。ところがである。今まさに人が殺されようとしているこの現場を見て隣の住人はひゅうっという感じで隣の部屋に戻ったのである。我々の期待は裏切られた。しかしである。隣の部屋からは電話をかける音が聞こえてきたのだ。我々の目を見て察してくれたに違いない。警察を呼んでくれるのだ。再び目に希望が宿る。元々我々に非があるとはいえ、包丁を突きつけられ、説教をされている状況というのは行きすぎである。殺される理由というのが麻雀というのでは死んでも死にきれぬというものだ。そこで我々は隣の部屋に聞き耳を立てていたのだが、どうしてだか笑い声が聞こえるのである。
「それでなあ、今、隣の部屋でなあ、包丁もった男が男四人を脅してるねん、ははは」なんと隣の住人は彼の友人に今の状況をおもしろおかしく話しているのである。なんと融通の効かない奴だ。我々の命は風前の灯である。そのときである。
「うにゃあ、ああよう寝た」先輩のKはドラえもんの如く押し入れで寝ていたのであるが、間の悪いことに起きだしてきたのである。Kは起き抜けのせいかこの状況が飲み込めないらしく、ぼんやり我々とその包丁デブを眺めている。包丁デブは先輩Kに「お前も同罪や」と叫び包丁を向けた。先輩Kは文庫本の上下巻を二冊とも下と下を買って、一冊読み終えるまで気付かないようなおおらかな人物なのだが、流石にこの緊迫した状況に順応した。その先輩Kを交えて再び脅しというかリンチというか、説教が始まった。相変わらずデブの言うことは、常識論で「近所迷惑なことをしてはいけない」だの「周りの人のことを考えて暮らさなければならない」だの、ときおり武勇伝を交えながら、大いに語るのである。包丁を人に突きつけている男が言うのであるから非常にシュールである。そこで何を考えたかデブは「免許証を出せ」と言い出した。我々の身元を確認して、後程暴走族だかヤクザか何かを各家庭に送ると言いいだしたのである。全員免許証を持っていたのだが、流石にこの場で持っているというものはいない。そこで学生証を出せということになった。今度は大学に仲間を送って暴れさせると言うのである。そのとき標的にされたのは先輩Kであった。
「学生証出せ」「い、いや、明日ですねえ、ちょっと要るもので」「はあ、何いっとるねん」「ほんとですって、明日これなかったら困るんです」殆ど大学に顔を出さない先輩Kが何に学生証を使うのか解らぬが、なんとなく間抜けな会話である。先輩Kの必死の弁明によって取り敢えずコピーをとって渡すということになった。先輩Kはそそくさとコピーをとる為部屋の外へと出てゆく。考えれば間抜けなデブだ。考えなくとも間抜けなのだが、これで先輩Kが警察に状況を説明して我々は救出されることになる。ほんの少しだが、心に余裕が出来る。包丁を向けられてもどこか大丈夫だという気がしてくる。
 三十分程たっても、警察がやってくる気配はなかった。我々も段々不安になってくる。ほんとに先輩Kは警察に通報してくれているのだろうか。まだデブの演説は続いている。
 とうとうというかデブも飽きてきたのか、デブは我々を解放することにした。包丁をきっちり元どおり半纏の内ポケットになおし、そして「次五月蝿かったらほんとに殺すからな」という捨てぜりふを残し悠々と部屋へと戻っていった。我々はやっと解放されたのである。暫く経って、我々は外に出ていった。安堵の息が漏れる。人質が解放されたらこんな気分なのだろうな、そんなことを考えていると、向こうから二人の警察官が今更ながらにやってきたのである。
「K君から聞いたけど、包丁もった男が暴れてるって」
「ああ、はい、そうなんですけど……」既に我々はこれから後輩も使うであろう麻雀部屋のことを考え、デブを訴えるとか、そういうことをやろうとは考えていなかった。我々の煮えきらない様子に警察官は言った。
「ほんまにええのか。わしらあなたらが訴えな何もできへんからなあ。ほんまにええんやな」そういって二人の警察官は我々の前から去っていった。わたしは警察官の自発的な行為であのデブになんらかの処置がされるかと微かに期待していたのだが、それもない。我々がこれからのことを考えて躊躇していることぐらい予想できるだろうに。本当に融通がきかないのである。心の中でそのとき初めて「政府の犬め」という言葉が過った。
 さて先輩Kは警察に通報した後、警察官と共にやってくるはずだったのだが、なんと別の先輩Nの部屋に行き、おもしろおかしくこの状況を話していたというのは後に聞いた話である。


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