其の42 駄目をもって民となし


 昔からかっとし易いたちで未だにその癖はなおっていない。人からは発火点が低いだの、導火線が短いだの、沸点が低いだの、収入低いだのと言われてきた。最後のは関係ないか。流石にええ年してきたのでその場の感情のまま怒りを爆発させることはなくなってきたが、それは生来の気の弱さと理性によるものであって心中穏やかでないことには変わりない。理不尽な仕打ちをされたときや人が気にしている所を突かれたりするとかっと来るのは人として当たり前のことで精神の中においてまで理性的に怒りを押さえる必要などはないと思っている。そういうときわたしだけではないのであろうが、その相手を心底憎く思ったり(惚れているわけではない)、更に感情が昂ぶってきたりすると相手を真剣に呪ったりするものである。わたしの場合は其の相手が死ぬ瞬間などを想像してにんまりとすることにしている。であるからわたしが怒りに震えそのあとにんまりしているところを見掛けたら、それはあなたの死ぬ瞬間のことを想像しているものだと諒解されたい。
 ところでそういったとき色々と相手に対する呪いの言葉を頭の中で吐くのであるが、だいたいにおいて想像力が欠けているせいか、語彙力がない為か、自分の感情をうまく昇華させることが出来る良い言葉が浮かばない。せいぜい死んでしまへというくらいか。ちょっと情けないのであるが、よく考えてみると相手が死ぬこと以上の仕打ちもないわけであるが、更に死に方の残酷さでもってより一層の憎しみの解消をはかるわけである。わたしが相手の死に方を考えてみるというのも強ち普遍性がないわけではなく、他の人も考えているぢゃなかろうか。
 まあわたしくらいの小人なら、相手が死ぬことくらいで解消してしまうのであるが、権力者であったりすると「死んでしまへ」くらいではおさまらない怒りもあるわけで特に呪術性が色濃く残っている時代の権力者などの怒りは凄まじいものがあったりする。わたしの知る最も恐ろしい怒りを著した人は崇徳院である。保元の乱で敗れて讃岐に流された不幸な上皇であるのだが、彼は流刑地においてその指先から滴る血でもって写経をし、出来上がった経をどこか都近くの寺におさめようと送ったところ、後白河上皇に送り返されてしまった。その仕打ちで崇徳院は怒りのあまり「この五部大乗経書写の善業を三悪道に投げ込み、その力でもって日本国の大魔王となり、皇を民となし、民を皇となす」と祈願して、その血によって出来上がった経を海に投げ込んだという。恐ろしい。自分で大魔王になって自分の一族である天皇家を滅ぼしてやると言っているのだから「死んでしまへ」などとはスケールが違う。これだけの凄まじい呪いの言葉を思い付く人であるから効力もあって、そのあと平氏を始めとし以来武士による政権が続くことになる。心底憎いのであればこれくらい激しい怒りをぶつけなければ思いは達せられないのであろう。
 しかし今の世の中、これだけの怒る元もないわけで、不満があってもそこそこ美味いカレーも喰えたりもするのだから怒りの言葉も平凡になるのも仕方ないか。いやいやもしかしたら意外な所に怒りの原因があるかもしれないから考えてみる。まず思い付くのが親が殺されたりすることか。それも理不尽な殺されかたで池の中に逆さまで漬かっていたりするのである。その殺人者は田原俊彦のように無意味な笑いをしていたりもするのだ。さあ怒れ、俺…………なんとなく謝礼を出してしまうかもしれない。親を殺した奴に対して崇徳院ほどの怒りをぶつける自信はないのである。では己に対しての批判ではどうか。「クズ」「頭悪い」「ギター下手」「センスない」「昔の方がギター巧かった」「麻雀下手」「振りすぎ」「そこでドラだすか」「それ出したら振るやろ」「寝癖ついてる」「いい加減プログラムくらい書けるようになれ」「UNIXも扱えない奴がネットに出てくるんじゃない」「デスクトップの壁紙汚い」「そんな速いマシン買ってどうする」「文章下手糞」「推敲しろ」「おもしろくない」「腹でてきたのとちがうか」「ウドの大木」「足臭い」「貧乏ゆすり」「カレー食い過ぎ」「カレー口の周りについてる」「カレー臭い」「カレー男」「カレーの市民」「煙草喫いすぎ」「部屋煙草のヤニで真っ黄色」「黄色人種」「部屋汚い」「遅刻するな」「仕事真面目にしろ」「いつも同じ服」「眼鏡汚れてる」「理屈っぽい」「非論理的」「非社会的」「貧乏人」「駄目人間」
 うぬぬぬ、流石に腹がたってくる。こんなこと言われでもしたときにこそ真の怒りの言葉を吐くべきなのだ。しかしこれほど馬鹿にされたとしても結局は「お前のかあちゃんでべそ」とか「お前のかあちゃん不細工」程度しか言えないと想像できるだけに忸怩たる思いがある。


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