其の69 人としてこんな呼ばれ方は如何なものかと


 洋の東西を問わず、人には正式な名前と呼称というものがあるのだが、例えばそれは後三条兼定と戸籍に記載されている者であってもただ太っているが為「ぶーやん」と呼ばれていたり、白河院法元と末は博士か上皇かと思わせる立派な名前であっても只々彼が日毎他人の淫欲を写したる映像を好むが故に「アダルト君」などと理不尽な渾名をつけるのも、名前がもたらす雰囲気と彼らの人格との落差を揶揄うといった愛憎半ばにした周囲に存する人々の思いから発するものであったり、そして本式の名前よりも渾名の方が彼らを呼ぶのに楽だという単純な理由によるものである。
 名前といえば、わたしが予備校に通っていた時分の知り合いに淀君の墓標があるT寺という、大阪の梅田という繁華街に位置する寺の住職の息子がいるのだが、彼の父の名前がたしか恵光であったように記憶している。もしかすると字が違っているのかもしれぬが、兎に角「えこう」という名前であった。当時は予備校の同じクラスで中々親しく付き合っていたはずなのだが、彼の名前は思い出せない。何故か彼の父君の名前のみ記憶に残っているのである。彼の生家であるT寺へ遊びに行き、そのまま御堂に友人数人と泊まり込む程の付き合いだったはずなのだが、今となっては彼の名前すら覚えていないのところがわたしらしい。そして何よりも彼の父君の名前を我が青春の思い出の一つとして未だ忘れられない理由はというと、それはT寺の横にあるラブホテルの名前が彼の父君の名前から取ったと噂される「エコー」であったという事実によるものである。しかし抗議にも行けぬのだろうなあ、相手がラブホテルぢゃあな。断っておくがT寺は由緒正しい真言宗の寺であって、真言立川流ではない。
 それはともかく本日、ペットの世界を初めて垣間見るという経験をした。そもそもの発端は我が父上の命令によるものである。
「折角の休日なのにのんべんだらりとしているくらいならば、犬の散髪に行ってはくれまいか」
「それは飼い主の責務にてわたしの任にあらずと思うがいかが」
「嗚呼、愚や愚や、我が息子は老いぼれた父の唯一の生きがひの世話もしてくれぬのか、情けない、およよ」
 とわたしの目前で泣くものだから仕方なく車に犬ころを乗せて、犬の美容院へと向かったのである。我が家の犬ころが通っている美容院はというと、それは実際に営業している美容院ではなく、これから犬の美容師を目指そうとする若者の為の専門学校である。出来栄えに難のある素人とはいえ、所詮は物言わぬ犬ころのことであるから譬え失敗したとしても文句を言うものはいない。父上がここを選ぶのは勿論格安の値段に惹かれてのことである。
 やがて与えられた地図を頼りに目的の専門学校に到着した。犬ころを抱えながらそこへ入ってゆくと、いるわいるわ犬どもが、百一本足ワンちゃん、もとい百一匹ワンちゃんとはかくたるやといった風景である。それぞれ小さな檻の中に入れられているのであるが、我が犬ころを見つけた犬ども、阿鼻叫喚の巷と化した。一瞬びくついたもののわたしは客であり、そして万物の霊長たる人間なのだということを思い出し、我が犬ころを抱えつつ恐る恐る受け付けに向かう。そこにはうら若き犬娘たちが我々を待っていた。
「あの、今日予約していた○○ですが」
「ええと、ちょっと待ってくださいね」
 帳面を捲りながら、恐らくわたしの姓○○を探しているのであろう。暫く帳面を捲るとわたしの名前があったようである。
「ええと、○○コロ君ですねー」
「は、はい、○○コロです」
 不意をつかれて返答してしまったが、なんとなれば○○コロだ。勿論この○○には例えば中村コロだの深田コロだの江崎コロだのという風にわたしの名字が入るのである。ペットは家族の一員だという主張は別段珍しくもないのだが、名字を同じくするとまで世間は進んでいたのである。周りを見るとそれぞれの檻の前にはプレートがつけられていてそこには、「田中スペード」だの「佐藤アレキサンダー」だの「吉川ポチ」だの「上川レックス」だの「上田シャルル」だの「端山ルパン」だのといった仰々しいものから簡素なものまで様々の犬ころの名前が掲げられているではないか。
「で、○○コロ君、今日は如何いたしましょうか」
「ええと、適当に短くして下さい」
「適当というと」
「ええ、いつもと同じ様にしといてください」
「解りました」
 しかし犬の散髪といってもどうするものか解らないので、普段わたしが床屋で頼むのと同じことを言ってしまった。どうせ犬のことだ。どうなっても構うまい。
「あの、それでいつくらいに迎えに来たらよろしいでしょうか」
「そうですね、今日は混んでますので、ちょっと待ってください」
 受け付けのお嬢さんは内線を使って今からだとどれくらいかかるかを現場の人間と相談しているようだ。
「あ、はい、わかりました。あのですねえ、○○コロ君、大体夕方の六時くらいになります」
「そうですか。では宜しくお願いします」
 犬の散髪が終わるまで一旦帰宅したのだが、六時までというのが何をするにも中途半端な時間だったものだから折角の休日だというのに「犬待ち」で無為に過す羽目になってしまったのである。これぢゃ逆中年ハチ公、もとい逆忠犬ハチ公である。それはそうと受け付けのお嬢さんよ、わたしのことを呼ぶ際、○○コロと呼ぶのは止めにしてもらえないか。


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