其の84 弱いのだ


 最近どうも弱い言葉があるんではないかと気づいた。たしかにわたしは言葉に弱い。そして単語の意味などはうろ覚えが多いのであるが、この場合の弱いというのはある言葉を使用するのに今ひとつ踏み切れないといった類のものなのである。雑文なんぞを書いていると、この文にはこの言葉が適切なはずだ、そう思うことがあるのだが、実際踏み切れないことがある。ただその逡巡は美意識によるものであったり、他の言葉の方が解り易いなどといった外的な要因によるものではない。非常に私的でかつ内的な理由によるものなのである。
 譬えば「剣呑」という言葉がある。記憶を辿ってみるとこの単語の意味を知ったのは恐らく高校生あたりだと思うのであるが、勿論それ以降、日常で「いやあ剣呑剣呑」だとか、「どうも剣呑な御様子ぢゃあござあせんか」だとか、「やっぱりモデムは剣呑が一番」だといったことは口にすることはそうない。かつて「剣呑」という単語を発している人を見たことがないので、市井の民が普段「剣呑」という言葉を発することは非常に稀であろうか。先程試しに「ひゃほう、剣呑っす」と暴走族のバイクによる騒音に紛れて大声で叫んでみたのだが、もしかするとその瞬間日本で「剣呑」と声に出した人間はわたしだけかもしれない。瞬間最大剣呑である。しかしこの「剣呑」、廃れてゆきつつある単語であるというわけではなさそうで、小説その他の文章でよく見掛ける。つまり文章における使用頻度に比べると日常の会話ではぐっと低くなる言葉なのであろう。勿論、文章による意思伝達には身振り手振りや発音や声の大きさなどが使えない上、その雰囲気を文章のみで表現するのだからやはり多くの表現が必要になってくる。であるからそういった単語が数多く存在するのは当たり前のことである。
 だからこそ「剣呑」といった単語は文章を綴る上では歓迎されるべきで、ましてやその方が他の言葉による表現よりも優れているのならば率先して使用するのが文章を綴る上で必要なことなのであろう。しかしである。わたしはこの「剣呑」に弱いのである。ここまで十四回も使用しているがその都度、「髭面の荒くれ武士が飲屋でくだを巻いている」場面を想像してしまっている。何故なのか。まったくもって解らない。何故髭面なのか、あろうことか武士なのか、そしてくだを巻いているとは如何なる所存なのか、家庭で何かあったのか、その武士は。まったくもって不可解である。
 また「邂逅」という言葉にも弱い。たしかわたしがきちんと「邂逅」という言葉を認識したのは筒井康隆の『七瀬ふたたび』であろうか。一章のタイトルが「邂逅」だったと思う。その言葉を見た瞬間、これまた解らないのだが、「大雨で川が氾濫しているところを自分が溺れていて必死なのにどうしてもカタカナでブクブクブクと声に出してしまっている」場面を想像してしまうのである。何故なのだ。ここまで詳細なイメージを一つの単語に付与するなんて他では考えられないことである。色々幼少の頃まで遡ってみてもこれに当たる様な出来事はないし、ましてや川で溺れている最中に二十年ぶりの「邂逅」などは経験したことなどない。不可解である。
 これらの単語はそれに伴う理由なきイメージの為、タイプしたり書いてみたりするのがどうも苦手なのであるが、それとは別に理由が解っているが為に話したり書いたりするのがどうも苦手だという言葉もあって、こっちの方が起爆力は大きい。
 それは「三世」という言葉である。「二世」でも「四世」でもなく「三世」なのである。これには非常に弱い。今「三世」とタイプしながら頭の中では「るぱんざさーー、あれ?」といったものが駆け巡っている。モンキーパンチの「ルパン三世」である。因みに「ン」の点は弾丸の跡である。関西だけかもしれないが、何度も何度も再放送をしていた為に「三世」という言葉を聞くと「ルパン、ルパン、ルパンー」という歌が聞こえてきたりするのだ。これは非常に困る。嫌いではないが日常生活においては不便である。社会の教科書なんかをぱらぱら見ていたりすると、「ナポレオン三世」などという人物が出てくる。すると「ぱおーー、かちゃんかちゃん、ばさ、斬鉄剣!」などという場面が想起されて笑ってしまうのである。ちょっとどうかしているのではないか。
 だからといって「三世」の出て来ないページを見ていても油断は出来ないのだ。「ルイ十三世」などというマイナーな名前が飛び込んでくるのである。これなんかは「ルイじゅう、三世……ルパンザサーー、あれ?」などと「ルパン」が思考に混入してくるのである。
 また「三世」ばかりではない。「さあ、お手を拝借ー、パパンが……」などというと「ぱぱんがさーー、あれ?」などとなってしまうのである。何が「あれ?」なんだよ。こっちが訊きたい。またそのときの気分や場面によってもルパンはそれぞれに適切なルパンをわたしに強制する。ドラマなんかでカップルが海岸などで追いかけあいをしていたりする。
「ははは、こっちよー、つかまえてよー」
「よーし、まてよー」
「きゃはは、こっちよー」
「まてーー」
「こっちよー」
「まてーー、ルーーパン、逮捕する!」
 爽やかなはずの青春の一ページにとっつあんのトレンチコート姿が混じってしまうのである。また友人などとの楽しい集いのあと、独り車を運転していたりすると、「わるさーぴーさんじゅうはちーー、おまえのおー……」などというBGMが流れてしまい祭りの後の侘しさがより一層促進されてしまうのだ。また道行くボインな女性を見掛けたりするとつい「ふーじこちゅあん」と声をかけたくなってしまって、これの対処に非常に弱ってしまったりもする。こういったものは「三世」とか「ルパン」といった言葉とは無関係に「ルパン」が思考に混入してくるので非常に具合が悪いのである。
 言葉のイメージとは無関係な程ルパンの侵食は夥しいのであるが、今もこの雑文をどう締めようかと煙草を喫いながら色々考えていると、つい煙草を喫っているのを忘れて煙草が非常に短くなってきてしまう。そして「あ、次元」などと呟いてしまうのである。


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