其の119 愛の実践


 たとえばの話、気が短い人が集まっているところを歩くとおそらく喧嘩を売られる確率が高くなるであろう。また腕っぷしの強い人が多いところを呑気に歩いていたりすると気がつくと路上で倒れていたりする確率が高くなるであろう。また自然と視線が上向きになる人間は偶然UFOを目撃する確率が高くなるであろうし、いつも俯いて歩いている人間は何やら変なものを拾う確率が通常よりも高いのではないか。わたしは猫背で俯き加減で歩くことが多いのでおそらく人よりも何か落ちているものを見つける確率が高いような気がするのである。そういえば中学生の頃などは河原なんかを友人どもと散歩などをしていたりすると怪しげな雑誌の切れ端を見つけることが多く、友人どもは競ってわたしと河原へ散歩に行きたがり、仲間内で「エロ本ハンター」なる称号を与えられていたりもして、下を向きながら歩くことに関してはなかなかの逸材なのである。昔からそんな恥ずかしい称号を与えられるくらい下を向きながら歩いていたりするのでよく妙なものを拾ったりする。そういえばかつて国語辞典を拾ったことがあるのだが、しかし誰が落としたのであろう。ちょっと謎である。そして本日も妙なものを拾ってしまった。大きさはよく電話ボックスなどにべたべたと貼られている宣伝広告くらいであり、そこには「学校に行きたい」と書かれてあった。そしてそのタイトルの下には「労働を強いられる二億五千万人の子どもたち」というサブタイトルが書かれている。ユニセフの募金についての広告なのである。嗚呼ユニセフ。この言葉だけでも涙腺の弱いわたしは涙ぐんでしまうのであるが、更にカーペット工場で働く子供の写真までが載っているのである。嗚呼ユニセフ。可哀想な子供たちよ。ごめんよ、お兄さんは二十歳を越えた立派な大人なのに大した仕事をしていない上、仕事から帰った後ずっとゲームなんかをして過してしまったんだ。ごめんよ。君がカーペット工場で一所懸命休みなく働いている間とっくにクリアしたロールプレイングゲームのレベルを無意味に上げていたんだ。ごめんよ。えぐえぐ。こんな具合についつい自堕落な生活を反省をしてしまうような広告なのである。
 表紙を捲ると「働かなければならない二億五千万人のともだち」と書かれている。二億五千万という数字にやや圧倒される。その上友達なのである。友達が何人いるか怖くて数えられないわたしに二億五千万人の友達がいるのである。おけらだってあめんぼだって働かなければならない子供たちだってみんなみんな友達なのである。そして友達というからには彼らのことを自分のことのように真剣に考えなければならないのである。そのページには世界中の働かなければならない子供たちの仕事ぶりがいくつか紹介されている。
 フィリピンのシレーンちゃん(十歳)
「ごみ捨て場で売れそうなビニール袋をひろって、きれいに洗って買ってもらうの。このゴミの中にはとってもいやなにおいがするし、われたガラスなどがあってとってもあぶないの」
 えぐえぐ、えぐえぐ。シレーンちゃんはビニール袋を拾って生活してるんだね。とってもいやなにおいもするんだね。ごめんよお兄さんはこれまでシレーンちゃんのことなんか少しも考えないで煙草の吸い殻とか切れたギターの弦とかを平気でビニール袋の中に捨てていたよ。危なかったね。ごめんね、シレーンちゃん。これからは紙袋に捨てるようにするね。
 タンザニアのザヌーくん(十二歳)
「コーヒー園ではたらいているんだ。虫をころす薬をまいたときには虫だけでなくてぼくの頭まで痛くなることもあるよ」
 えぐえぐ、そうなのかい。やっぱり農薬は駄目なんだよね。頭が痛くなるなんて危ない薬を使っているんだね。そのコーヒー園では。これまでコーヒーばかり飲んでごめんよ、ザヌー君。これからはコーヒーを飲まないようにするよ。特にタンザニアのコーヒーは。
 バングラディッシュのアミナちゃん(七歳)
「毎日ここでレンガを小さく割る仕事をしているの。割ったレンガはセメントと混ぜあわせて建物に使われるの。最近は手が固くなってきたからあまり痛くないけれど、それでも手刀で割るのは大変」
 手刀でレンガを割るのは大変だよね、アミナちゃん。七歳なのにレンガを割ることが出来るなんてバングラディッシュにおいておくには惜しい人材だとお兄さんは思うよ。日本に来たらもっと割の良い仕事があると思うよ。
 ニッポンのワタベアツシちゃん(二十七歳)
「毎日毎日はたらいているの。ぜんぜん休みなんてとれないし、だからといって残業費がつくなんてことないの。一円だってつかないんだ。それなのに給料は安いし。ほんと馬車馬のようなんだ。考えてみれば明日休日出勤だから次の休みまで二十七日間連続出勤なんだ。この間労働基準法を読みながら『力なき理想論なんていらない』って壁に投げつけちゃったよ。最近の楽しみは仕事の帰り漫画喫茶でカレーを食べながら漫画を読むことだけなの」
 えぐえぐえぐえぐ、しくしくしくしく。そうなのかい。毎日毎日働いているんだね。お兄さんは何だか自分のことのように思えてちょっと涙ぐんでしまったよ。大変なんだね。何の仕事か書いてないけれどどうせろくでもない仕事をさせられているんだね。同情しちゃうよ、お兄さんは。
 などと世界中の可哀想な子供達のことが切々と書かれていて涙を誘うのである。そして最後のページには「世界のともだちと共に」とあって、「私たちにできること」とこの広告を読んだ我々がこれからどうすれば良いか示されているのである。それも親切なことに選択方式になっていてどちらか好きな方を選べばこれからの進むべき道が示されているのである。ありがとうユニセフ。
「世界の子供たちの様子を知る(ユニセフのビデオを借りてみる)」ここで道は三つに別れている。「同じ人間なんだと感じる」と「かわいそう」と「何も感じない」である。しかし選択できるのはここまででこの先は自動的に最後まで進んでしまうのである。
A「同じ人間なんだと感じる」→「どうして困っているか考える」→「わかったことを周りの人へ伝える」→「自分たちの生活や考え方を見直す」→「行動する−学習会を開く。または募金活動を企劃する」
B「かわいそう」→「ユニセフ募金」→「続かない」
C「何も感じない」→「もう一度最初から」
 続かないだとか、もう一度最初からという結論に至ればどうすれば良いのかかなり困ったことになってしまうが、これまでの可哀想な子供達の現状を知ったいまやBコースやCコースを選ぶ人間なんているはずもないのだから気にしてはいけないのである。素直に学習会を開いていれば良いのである。
 また更に親切なことに「百円でこんなことができます」と我々の募金が如何に可哀想な子供達の役に立つかも書かれているのである。ありがとうユニセフ。
  学習用ノートと鉛筆セット=五人前。
  チョーク=八十五本。
  鉛筆=四十七本。
  煙草=二十人分。
  日本酒=一升。
 そして百円がたくさん集まるとこんなものも送れるそうである。
  一万三千六百五十円集まると→難民キャンプ用学校セット。
  九万四千五百円集まると→教科書の印刷用紙一トン。
  十四万五千円集まると→アイマック中古。
  三十五万七千六百円集まると→軽自動車一台。
  一千三百万集まると→三LDK駅から徒歩五分南向きのベランダ。
 もう色々と送れてしまったりするのである。我々の募金が集まると。これでは募金をするしかないではないか。可哀想な子供達の為に我々が出来ることといったら同情することと募金することくらいである。これまでこの雑文を読んできた人なら世界中の可哀想な子供達にしっかり同情していることだろうと思う。後は募金である。みなさんもわたしと一緒に募金しようではないか。言いだしたのはわたしであるから色々と面倒な手続きはやろうと思っています。わたし宛に一口一万円の募金を送って頂けたら責任をもって世界の働かなければならない子供たちの為にそのお金を役立てます。お願いします。一緒に働かなければならない子供たちを救おうではありませんか。特にニッポンのワタベアツシちゃんを救ってあげようではありませんか。皆さんの溢れんばかりの善意に期待します。


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