其の144 犬猫タイフーン


 我が家にはペットと呼ばれる生き物が結構いて、犬猫鳥魚駄目人間とこの狭いスペースによく生きていられるものだと我ながら感心してしまう。とはいえ鳥はベランダにある鳥篭にいるし、魚といってもそれほど大きくない水槽の中にいるものだから、「動物を飼っている」と具体的に感じることのできるペットというと犬と猫ということになる。
 猫は二三年くらい前、わたしが拾ったものである。深夜仕事からの帰り、何故か我が家の前にちょこんと座っていたのであるが、普段のわたしであればいくら家の前に座っていたからといっても、我が家の広さ、我が家の家計、我が家の家人の冷徹さ、わたしの面倒見の悪さを瞬時に計算し、厳しく「ううん、猫ちゃん、ごめんにぇえ、そこ、お兄ちゃんのおうちだから、ちょっとのいてにょおお」と言いながら仲代達矢のような血走った眼球でもって威嚇するのだが、そのときは何故かそうすることが出来ず、思わずその子猫の喉をころころと触ってしまった。そしてその子猫がわたしの方を見て「にゃあ」と鳴いたものだから、そのまま抱きかかえて「この子は運命の子」と意味のわからぬことを叫びながら家へ持ち込んでしまったのである。
 この猫の名前はチャラという。拾った当初はわたしに「飼い主権」があるとばかり思っていたものだから「ねこぴょん」と命名したのだがいつのまにか妹の付けた「チャラ」という何だか呼ぶのが気恥ずかしい名前に落ち着いてしまった。更に「飼い主権」も妹に移行したようでわたしに残されているのは「餌代支払い権」のみである。その上当の猫もわたしのことを拾ってもらい安楽な生活を提供してくれた恩人だとちっとも認識していないようで、わたしが仕事から帰ってくると一目散に妹の部屋の箪笥に登りぶるぶる震えながらこちらの様子を伺う有り様なのである。これは子猫時分家人に都合の良いときだけ「飼い主」にされ、去勢手術に連れてゆくだの風呂に入れるだのと猫の嫌がる作業を任されたことによるものだろうとわたしは諒解しているのだが、実のところわたしの顔が怖いだけかもしれない。
 もう一匹のペットは犬である。これは猫を拾って暫く経った頃親戚よりもらいうけた。何でも親戚の知り合いの知り合いが引っ越しをするのでどうしても飼えなくなっただとか、そういうよくわからない理由で我が家にやってきたと記憶している。名前はコロという。以前飼われていたところでそう呼ばれていたのでそのまま継承した。
 この犬の出現により人生を狂わせてしまった男がいる。父上である。父上の夢リストのかなり上位に「犬を飼うこと」があったらしく、この僥倖にかなり浮かれていた。かねてより父上は犬を飼いたいと主張していたのだが、母上の「死ぬと可哀想で可哀想で物凄く悲しくなるから」という、反論できそうでいて反論できない理不尽な理由により却下されていたということもあって、その浮かれ具合は周りの人間が一歩ひいてしまう程であり、朝起きれば「コ、コ、コロよおおお、お散歩行こうねえ」と騒ぎ、昼仕事を休んでは「朝お散歩行ったけど、また行きたい? ン、行くのよねえ」とはしゃぎ、夕方になると「晩ご飯の前に運動しとこうねえ」と誰に言うでもなく言い訳をしながら散歩に出かけ、深夜でも「静かだからお散歩行こうか?」と小声で犬に話しかける有り様であった。そして父上は疲労の為一週間入院した。
「犬も程々にさせてください」
 父上が退院するとき医者がわたしに言った言葉がこれである。
 流石に今ではここまで犬に入れ込んではいないが、犬がわたしなどになついていたりすると不機嫌になって「嫌がってるだろ、ほら、こっちおいで、な、な!」と嫉妬深い犬親父と化してしまう程度である。ある意味父上の人生は犬のコロによって狂わされたと言っても過言ではないのかもしれない。
 猫のチャラもわたしの家人を狂わせていることにおいて負けてはいない。狂ったのは母上と妹君である。
 一昨年の年末、この猫は尿毒症に罹り生死の境をさまよった。ペットに対する冷徹さでは家族一のわたしであってもその痛々しさに涙で頬を濡らすほどで、医者の「もう駄目です」という一瞬わたしのことを評したのではないかと迂闊にも思ってしまった一言で母上と妹君は泣き崩れた。せめて最期くらいは良い餌をあげようという家人の判断により、一ダース六千円もする餌を、手にとって猫の口に直截運んでやることになった。己で餌を喰うことができないのだから手ずから餌をやらなければならない程の衰弱ぶりであったのである。ところが飼い主に似ず生命力が強かったのか一週間もするとそれまでの病状が嘘のように元気になってきたのである。元気になったのは良いが困ったことに病中の王侯貴族のような生活を気に入ったようで、未だに一ダース六千円の餌でないと喰おうともしないし、母上や妹君によって手ずから餌を口元にやらないと喰おうともしない。餌の時間になると猫のチャラは妹の部屋の押入れからのそのそ出てきて「にゃあ」と鳴く。すると母上か妹君が急いでやってきて「はあい、チャラちゃあん、マンマの時間でしゅうねえ」と手ずから餌を猫の口元に運ぶのである。先の大病で「動物というのはいつなんどき死ぬかわからない」ということを再認識したのか、猫のチャラをいつまでも甘やかすのである。もし猫が人語を話すことができて「お馬さんお馬さん」などと言おうものならば母上妹君共に平然と猫を背中に町内を練り歩くことであろう。彼女らもペットに人生を狂わされたと言っても過言ではないのかもしれない。
 ある休日のことである。昼過ぎまで惰眠を貪っていたわたしを起こしたのは家人のヒステリックな声であった。
「チャラちゆああん、チャラちゆああん、どこですかああ、どこ行きましたかああ」
 どうやら母上が猫のチャラに餌をやろうとしたが見つからないらしい。母上の声は更に大きくなって近所中に響き渡るほどである。妹君の部屋、居間、ピアノの裏、テレビの裏(かつてテレビの裏にはまって死にかけていたことがある)と探しまわったがどこにもいないらしい。そこで母上は最後にわたしの部屋にやってきた。普段猫のチャラはわたしのことを嫌っているのでわたしの部屋にいるはずもないのだが、藁にも縋る思いでやってきたのであろう。
「チャラちゃんおらへんか?」
「う……ううん……おら……へんと……思う」
 わたしは未だ目が覚めておらず布団にくるまったままこたえる。しかし次の母上の言葉はわたしの眼を覚ますには充分すぎるものであった。
「なあ、ベッドの下に隠れてたりしてへんかなあ」
「ふぇ、ベッドの下……お、おらへんって! 絶対いてないって! ぜーったいそんなところいてないって!」
 ベッドの下には男のダンディズムを磨き上げる為のアイテムが隠されているのである。
「でも、昔あんたがまだチャラに嫌われてなかった頃、ベッドの下におったことあったから」
「ほ、ほら、今ごっつ嫌われてるし。な、音しないやろ。いてないって、絶対!」
「……そ、そうか。じゃあ他のところもう一遍探してみるわ」
「そうした方がいいと思う」
「……」
「…………………………にゃあ…………………………」
「い、今ベッドの下から、ほ、ほら、チャラちゃんの声と違う?」
「ち、ちがうと思う…………にゃあ」
「いや、聞こえたって。ちょっとベッドから下りて、下探してみるから、ほら」
「絶対チャラの声と違うって……にゃあ」
「あんたの声と違うって、ほれ、のいてみ」
「絶対のかない……にゃあ」
 わたしの人生も猫に狂わされているのかもしれない。


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