其の151 ダムの人


 これまで小中学生の生態を書き散らかしてきたわけだが、何故それほど餓鬼どものことを書いてきたかというと、もちろんわたしの就いている職業がそういうものであるということもあるが、結局彼ら小中学生はまだまだ知らないことが多すぎるという点につきる。彼らは何といっても物を知らないわけで、それゆえ餓鬼とわたしのようなものからも呼ばれるのだが、しかし彼ら餓鬼どもは小中学生ということもあって、やっぱりこの世を生きてきた年数が短い分知らないことも多いのは当たり前だと納得はしているのだが、それでも彼らは彼らで何となく一人前のような顔をしながら生きていて、そこがどうしようもなくおもしろく感じたりまた凄いと感じたりもするのである。もっともわたしのおもしろがり方というのは世にいる教育者のそれとはかなり異なっていて、いくら子供とはいっても馬鹿は馬鹿であって、馬鹿を見るのは単純に楽しいというかなり差別的なおもしろがり方をしているのだけれども、餓鬼は餓鬼で丁寧に扱われるのは学校や家庭で慣れているらしく案外わたしのように馬鹿を見るのは楽しいといった風で接してもらうのが新鮮に感じるのかもしれなくて、結構わたしの周りに近寄ってきては馬鹿なことを言ったりもするのである。
「タウリンのリンて何?」
「ちょっと待て。タウリンが何かを訊いておるのではないのか」
「ちがう。タウリンのリンって何?」
「タウリンというのはだな、アミノ酸の一種だ、では失礼する。これから用事があるのだ」
「ちょっと待ってよ、ちゃんと教えてよ。タウリンはアミノ酸の一種なのはわかったからさあ」
「じゃあ、しっつもーんターイム! アミノ酸って何が分解したものでしたかあ? このあいだ理科の授業で教えたよねえ?」
「なに急にやさしい先生ぶってんだよ。気持悪いよ」
「やかましい。ええと何だ、君はタウリンのリンとは何かを問うておるのだな」
「そう、さっきからそう言ってるじゃないの」
「うむむ、タウリンのことはこのあいだちょっと調べたからわかるのだが、たとえばタウリンは秋刀魚なんかに豊富に含まれているだとか……」
「そんなことはどうでもいいんだよ。タウリンのリンのことだよ」
「まず訊いておくが、タウリンはタウとリンとで分けて考えるものなのか?」
「知らない」
「そうか。これからわたしの見解を述べるからしっかりと聞くように」
「うん」
「しかしこれはあくまでわたし個人的な見解であるからして、家に帰って親や兄弟だとか友達だとか、ましてやタウリンに詳しそうな理系の人間に話したりは絶対しないように。ついでにわたしが最近ピカチュウの万歩計を持ち歩いていることも絶対言うな」
「わかったからさあ、早く言ってよ」
「わかった。だから焦るな。『慌てる乞食はもらいが少ない』だとか『果報は寝て待て』だとか『円楽安んぞ喜久蔵の心意気を知らんや』だとかいろいろと諺もあるだろ。焦らずゆっくり聞きなさい」
「わかったよ」
「タウというのはだな届くという意味の広島弁だ。わたしの友人がそう言っていたから確かだ。そしてリンというのは正確にはringつまり環のことだ。もしくは貞子ともいう。つまりringに届く、貞子がやってくるということだ。うわあああらああ怖いだろおおおうわああ」
「なに怖がらせようとして腕まで上げてんの。またしょうもない嘘ばっかり言って。どうせそんなことだろうと思ったけどね」
「な、何だ、その諦めたような言い方は。まあ今のは冗談だが、しかしタウリンのリンがどうだっていいではないか。タウリン。そう、タウリンなんだよ。何だかいい言葉ではないか。タウで始まりリンでしめる。何だか世界が幸せで満ちてくるような響きではないか。これだけで青春ど真ん中の君達には充分であろう。それではわたしは急用があるので失礼する」
 独楽鼠のような小走りでもって換気扇のあるキッチンへ行き、煙草を喫みながら先程の議論について考えていた。年長者の威厳を保ちつつそして常に優位に議論を進めながら、その上中学生の知的好奇心を満足させつつ教育的配慮をも忘れないわたしのディスカッションの技術は大いに誉められてしかるべきであるが、そのときのわたしはそんな己の素晴らしさのことよりも、あまりに物を知らなすぎる現代社会の哀れな子供たちのことや、タウリンのことくらい家庭でしっかり教育できないのかという怒りを胸に秘めながらも、そんな現代の崩壊寸前の家庭について憂いたり、そして万歩計の数値を気にしていた。
 しかしこのように物を知らない人というのは子供に限らないものである。むしろ大人の方が素直に人に訊けない分ずっと物を知らないまま過ごしていることも多い。
 以前知り合いと一緒にテレビを見ていたときのことである。ちょうどそのとき映っていたのはエアコンのコマーシャルで『ビーバーエアコン』というものであった。
「なあ、ビーバーって知ってる?」
「はあ? ビーバーってあのビーバーであろう。知ってるも何も、まあ実際に触ったことはないけどな」
「ビーバーってラッコの仲間か?」
「いや、たしか囓歯類だったと思うけど。囓歯類ということだから鼠の方が近いのかな? よくは知らんけど」
「そうか……それでビーバーってダムを作るんだよな」
「そうだな。川なんかにダムを作るんだ」
「ダムか……」
「ああ、ダムだ」
「ダムなんだよなあ……凄いね、ビーバーって」
「ああ、凄いな」
「ダムなあ……あのダムを作るんだから大したもんだよ、ビーバーって」
「まあ、凄いのかな」
「だってあれだろ、黒部ダムだとかアスワンハイダムだとかアムステルダムだとかロッテルダムなんかを作ったんだろ、凄いよ、ビーバー」
「ち、ちょっと待て、ビーバーはそんな大変なダムを作ったりはしない。ましてや黒部ダムなんてたしか百八十メートル以上の高さだぞ。そんなものビーバーは作ったりはしない」
「わ、わかってるって、はははは、そんなことくらいわかってるさ」
「じゃあどういうことだよ」
「あのダムって自然にビーバーが作ったダムを利用して作ってるんじゃないのか」
「な、何を言っているんだ、ビーバーって北アメリカにしかいないはずだぞ、たしか。じゃあ他のはどうするんだよ」
「輸入してきてビーバーがダムを作り終えた頃に本格的なダム工事を始めるんだ」
「ほう、そうか、おまえはそう考えていたのか。なるほどな」
「まあ、いわばダムっていうのは『人間とビーバーの共同作業』というわけなんだよ」
「ははははは、そうか『人間とビーバーの共同作業』なのか。じゃあ、何だ、ビーバーからダムをもらいうけるときに『人間とビーバーの初めての共同作業です』など司会者が言ってケーキに入刀したりするのか」
「違う、テープカットだ」
 このように大人の方が物を知らないことにかけては子供よりもむしろ深刻である。しかしこのような人物がわたしの周りにいるのでわたしは退屈から逃れることができているのかもしれない。物を知らない人物は大人であれ子供であれ貴重な存在である。彼らは同じ過ちをくり返しそしてその都度わたしを大いに楽しませてくれる存在だからである。それゆえ未だに彼にはロッテルダムやアムステルダムがダムの名前ではなく街の名前であることは教えていないのである。
 しかしロッテルダムやらアムステルダムがダムの名前だなんて一体どんな教育を受けてきたんだか。ダムの名前を言うのならばせめてあの有名なノートルダムくらい言ってもらいたかったものである。


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