其の164 おはようパーソナリティ転職したぞうです


(あらすじ)
 これまで大阪を離れたことなかった元塾講師(三十歳独身)は遠く離れた土地にやってきて、大好きなインディのカレーが食べられない苦痛にも耐え忍び、これまでの駄目な生活を捨て去って立派な社会人になることを富士山に誓うのであった。

 とうとう大阪から遠く離れたこの場所にやってきたのである。これまでの人生、大阪と共に歩み、土曜日の昼はいつもうどんとご飯がセットのうどん定食を食べてきたハンサムな男は昨日までの大阪人生に別れを告げ、ボケも突っ込みもない土地へとやってきたのである。あえてここがどこかは聞かないで欲しい。今も大阪に住んでいる者たちからは裏切り者の烙印を押されかねないからである。生っ粋の大阪人は他の土地に住んでいることが他の大阪人に知られるとその場で「なんでやねん」と短刀でもって自らの胸に突っ込みを入れなければならない掟があるという。流石に二十一世紀になった今やそんなことで自らの命を断つのは馬鹿げているしそれにものすごく痛そうである。深爪しただけでもその日ずっと痛がり続けるわたしであるから耐えられるわけがない。であるからあえてここがどこかは聞かないで欲しいずら。
 意味もなく大阪を離れたわけではなく、もちろん働くためである。この年になって初めてのサラリーマン生活である。何だかサラリーマンというと上司に叱られ呑み屋のカウンターで飲んだくれているおっさんのイメージだとかものすごくテンションが高くなってネクタイを鉢巻き代わりにハッスルでフィーバーしているおっさんのイメージだとか部長になったら結び目が大きな太いネクタイをしなければならないだとか、そういう紋切り型のイメージしかなかったがいざ入社してみると普通の人々がそこにはいた。そんなことは当たり前で昼間からネクタイを額に巻いてハッスルでフィーバーなどしているわけはなく、みんなきちんと仕事をしているのである。
 入社した日は何をしていいのかわからない上、たまたまその日はわたしの配属された部署は忙しいようでわたしに構ってくれる人もなかったので仕方なくぼうっと手渡されたマニュアルなんかを眺めていたり、ときには喫煙コーナーで遠く故郷での楽しかった日々や十三でわけもなく殴られた日々や包丁を突きつけられた日々や餓鬼に後ろからブランチャーをくらった日々や腱鞘炎になるくらい紙を折った日々を思い出してはもう二度とあんな生活は御免だと固く誓いながら煙草を喫っていた。そうしていると他の部署の人間も喫煙コーナーにやってきてはわたしに話しかけて来るのである。 大阪からわざわざ転職してくる者は珍しいらしく、その上元塾講師という肩書きの人間はかなりレアである。皆好奇の目でもってわたしに色々質問してくるのであった。
「どうしてこんなところまで来ただら」
「だら? あ、いやまあ、ちょっと縁があったもので……」
「ふうん、大阪なんだってね」
「そうです」
「大阪のどこ?」
「大阪駅から車で十分か十五分くらいのところです」
「へー、都会なんだら、ほんでもってわざわざこんなだところへ来たわけだ」
「そうですね。まあいろいろ考えたんですけど」
「でも大阪弁って感じじゃないだら」
「はあ、まあ最初やから、慣れてきたら大阪弁になると思うんやけど」
「ふうん」
 突っ込みがない文化というものを肌で感じた最初であった。
 喫煙コーナーというのがこのフロアーには一つしかないようで殆どの喫煙者がこの場所に煙草を喫いに来るようである。常務だとか専務だとか監査役だとか取締役だとか会社の役員も喫煙コーナーにやって来るのである。わたしの横に確か面接のときに結構鋭い質問を投げかけてきた人が座ってきた。たしかこの人は専務だとか常務だとか「務」がつく役員だったはずだ。もしかすると単に名前に「務」がついていただけかもしれないが十五分くらいの面接であったから覚えてはいない。ただ偉い人だということだけは認識していた。
「君が大阪から来た人だよね」
「は、はあ、そうであります」
 これまでこういう偉いさんと一緒に仕事をしてこなかったものだから妙に緊張してしまっているのである。己の器が小さいことを再認識しながら軍隊調の返答をしたことを反省していた。
「君はたしか文学部の哲学科を出ているんだよね」
「はあ、一応そうですが、哲学科と言っても心理学だとか美術だとか、歴史と語学に入らないものが一緒にまとめられているだけなんですけど。わたしは社会学でしたし」
「でも、哲学科なんだよな」
「は、はい」
「あのね、面接した日から君に聞きたいことがあったんだよ」
「はあ、何でしょうか」
「答えるのに時間がかかると思うがいいかね?」
「はい、かまいませんが……」
「哲学とは何ぞや!」
「ふぇ? おっしゃっている意味がよく……」
「哲学ちゅうものは何なのか聞いておるのだよ」
 かなりの質問である。人類が知恵を持ち始めてから延々と考えられてきた質問の一つなのではなかろうか。そんなこれまでの哲学者が考えてきて誰もこれだという回答を出せない問題を役員だというだけで緊張している器の小さな男に訊いているのである。ここできちんとした返答をしなければいきなり馘首にされるかもしれない、そう考えてしまった気が弱く懐も寒いわたしは焦って答えた。
「えっとですね、わたしなりの考えですが、哲学という言葉自体が様々な意味で用いられていますから、哲学そのものを考えるのは非常に難しいですね。たとえば会社の場合『経営哲学』だとか言いますし『男の哲学』という言葉もありますし、何にでも哲学とつけるとそれなりの言葉になりますし……」
「ふむ、なるほど、言葉の定義がはっきりしていないからそのことを考えるのはナンセンスだというわけだな。なるほど、そういう考えもあるんだな。しかしこれだけ人類が発展してきてインターネットも発達しておるのだから、そろそろ決着がつくのではないか。君、今度までに考えておきたまえ」
 さあ大変なことになってしまった。今度ということは次にこの喫煙コーナーで会ったときだろう。それまでに哲学というものの定義を決めなければならないのである。だってインターネットも発達してるんだから。あまりに唐突な出来事にこれからのサラリーマン生活が不安に感じられてきたのである。
 暗い顔で席に戻ると上司がわたしに言った。
「初日からすまないが手が足りないんでこの紙五百枚を折ってくれないか」
 ますます不安が広がってきたのである。


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