其の171 不治の病


 それは突然のことであった。
 夜中十一時頃、最近また出てきた腹を引っ込める為毎日欠かさずやっていた腹筋をしていたときである。腹筋とはいってもそれはただの腹筋ではない。足を膝で曲げ、左右にひねりを加えながら行う、通称「ロッキー腹筋」である。何だか韻を踏んでて語感が良いが、腹の肉を落とすのには最適だと聞いている。それは毎日三十回を三セット、計九十回こなしているのだが、それが起ったのはちょうど三セット目の終了近くのことであった。
「腹が痛い」
 それも単なる腹痛ではなかった。
「ものごっつ腹が痛い」
 更にそのとき思わず出てしまった呟きを正確に言葉に直すとこうだ。
「あばあ、あぎゃ、うぐう」
 何という痛みだ。今振り返って考えるだけでも腹の辺りが昔に比べて脂肪がついているのが指先を通して伝わってくる。
こんな痛みは生まれてこの方一度も経験したことがない。先日深爪をしてしまったとき以来久しくなかったことだ。
 百獣の王ライオンのごとく雄々しく痛みに耐えながらも、あまりの痛みに床を転がっていた。埃がティーシャツにかなり附着する。掃除をしておけば良かった、そんなことを考えながらも痛みは更に加速する。
 しかしまだわたしは冷静であった。近代社会に生きるものの義務として科学的にこの腹の痛みの原因を考えなければならない。そして深い考察の後いくつかに絞りこむことに成功した。
 一、ロッキー腹筋を急激に行ったが為に腹がよじれた。
 二、昨日食べたカレーが美味しかったので腹がよじれた。
 三、誰かに呪いをかけられたので腹がよじれた。
 四、天罰。
 しかしいくら原因が絞りこめたところで腹の痛みは治まらない。余計に痛みが増加してゆく。
 はじめは腹全体が痛いような気がしていたのだが、少しずつどの部分が痛いのか特定できてくる。右の下腹部である。ちょうど虫垂という部分である。もしかするとこれはいわゆる盲腸という奴なのではないか。そう考えたとき半笑いの看護婦さんがわたしの陰部を剃毛している場面が浮かぶ。そんなことしか盲腸についての知識がなかったことに気づくが、盲腸ではないかとの疑念が膨らむにつれて、もう盲腸以外の痛みではないような気がしてくる。そこで先程の仮定を若干修正した。
 一、ロッキー腹筋を急激に行ったが為に腹がよじれて盲腸。
 二、昨日食べたカレーが美味しかったので腹がよじれて盲腸。
 三、誰かに呪いをかけられたので腹がよじれて盲腸。
 四、天罰で盲腸。
 腹がよじれて盲腸になんかなるものかわからないが、兎に角わたしの中ではもう誰が何と言おうとこれは盲腸に違いない、そこまで断定していた。
 しかしわたしはまだまだ冷静であった。わたしの診断ではこの痛みは盲腸であるが、本当にそうなのか。だいたい自分自身信用のできない男だと思っているではないか。そこで受話器を取り実家に電話をしてみることにした。
「うぐぐ、は、腹がめっちゃ痛いねんけど……」
「だ、だいじょうぶか!」
 電話に出たのは父上であった。流石にこんな息子であっても心配してくれているのか。親のありがたさを感じる。
「そ、それで、どうしたんや!」
「は、腹が痛いんやけど、盲腸って、どのあたりやったっけ。右か左か?」
 かつて理科を教えていたくらいだから虫垂がどこにあるかくらいわかっている。しかしわたしが聞きたかったのは盲腸の症状を含めてのことで、もし盲腸でないとわかればプラシーボ効果で腹の痛みが治まるかもしれない、そう考えてのことであった。
「それで、盲腸って、右か、左か、どっちやった!」
「ええと、ええとな、たしかな……」
 突然のことで父上も慌てている。
「ええとな、たしか、左。そう左や!」
「と、ちょっと待て、俺が記憶しているのでは右やねんけど……」
「……あ、ああ、そうそう、こっちから見たらな。自分からみたら右やけどな」
 わたしは電話を切った。こんな家族を頼ったのが間違いだった。
 痛みがまったく治まらないどころか、更に増してくる。もう限界だ。わたしは救急車を呼ぶことにした。こんな田舎でも流石に救急車は来てくれるだろう。わたしはふらふらとしながら救急車を待つ準備に取り掛かった。ズボンをはき、靴下をはき、汗まみれのティーシャツをかえる。右のポケットには部屋の鍵を、そして左のポケットには携帯電話を入れた。煙草はあと数本しか入っていないのから新しい煙草を開けジッポーにオイルが入っているのを確かめた。脂汗が出てくるのでタオルを一本持つ。これで緊急入院しても大丈夫だ。財布にはあまりお金が入っていないがこれはいつものことだ。どうしようもない。そして準備ができると、他の部屋の人の迷惑にならないように外の道路まで這って出ていった。
 電信柱にもたれながら煙草に火をつける。どうしてだかわからないが「殉職」という言葉が浮かんでくる。意識が遠くなってゆくとき、救急車のサイレンが聞こえてきた。
 救急車にのせられて少しほっとする。これでこの痛みから開放される。何らかの薬だの注射だのしてくれて楽にしてくれるのだ。そう思うと気が楽になってくる。
 やがて救急病院に運ばれ治療室のベッドに寝かされる。医者がやってくる。腹を指でおさえながらわたしに訊く。
「どこが痛い? ここ? ここ?」
「うぐ、ど、どこもかしこも痛いです。指でおさえられるとめっちゃ痛いっす」
「背中はどう? ここは?」
「そこは全然痛くないっす」
「関西弁だけど、大阪出身? 最近ここに来たの?」
「五月に転職でここに来たっす、うぐぐ」
「僕もね昔学生のころ関西にいてね、大阪のどこに住んでたの?」
「い、痛い、尼崎の近くですけど、大阪市内っす、ぐぐ、い、痛いっす」
「靴下左右色違いだけど、それはそういう奴なの?」
「ぐ、うぐぐ、慌ててたもんすから、うぐぐ、い、痛い」
「まあ、取り敢えず採血して、鎮痛剤うってみようか」
「い、痛いっす、はやくお願いします」
 この会話は何なんだ。ちっとも医者が心配しているようには思えない。
 採血の後、筋肉注射という奴をしてもらい、その後レントゲンを取る。鎮痛剤が効いているのか、少し楽になったような気がする。レントゲンを取り終えてベッドで横になる。痛みが和らいでゆくのがわかる。
 約一時間後、腹の痛みは嘘のようにひいてしまった。鎮痛剤が効いているのだろうが、それにしてもあまりに情けないくらい痛みがない。まったく元の通りのようである。今トライアスロンに挑戦しろと言われれば前向きに検討しますくらいのことは言えそうである。しかしである。散々痛がっていた癖にこんな短時間で治ってしまうのもわたしのプライドにかけてできない。痛みがまだまだ残っているがそれでもかなり楽になってきました、これは鎮痛剤の御影で根本的な解決にはなっていませんよ、かなりの重症であることには違いないんだから、そういう微妙な顔つきをする。ときどき看護婦の様子を伺いながら苦悶の表情を作る。慣れてくると看護婦の視線に合わせて苦悶の表情を作ることもできるようになってきた。敢えてこっちを見ていないときは満面の笑顔を、そしてこっちを見ているときは苦悶の表情をしてめりはりをつけることもできるようになってきた。
「どう、調子は」
 さきほどのよくわからない問診をした医者である。
「はあ、だいぶ楽になってきました。ときどき痛いですけど」
「そう」
「ところで原因は何ですか」
「うーん、血液の方は炎症反応とか出ていないし、レントゲンの結果でも何もないんだな」
「……そうですか」
「正直いうと今はそんなに痛くないでしょ」
「……はあ」
「まあ、強いていえば、痛がりってことかな、はははははは」
 病名「痛がり」。
 現代の医学をもってしても治癒することのない不治の病である。


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