其の173 加藤


 人は思わぬところから迷宮の入り口に立たされてしまう。それは一見何でもないような顔をしているから人はついふらふらと迷宮へと入ってしまうのである。最近のわたしの生活の一部は一つの言葉によって奪われてしまっている。
「ごっつあんです」
 力士が使う言葉であるとされている。力士が何かをもらったときや食べさせてもらったときに発する。
「ごっつあんです」
 最後の「です」というのは敬語の丁寧語の「です」なのだろう。「これはカレーだ」というところを「これはカレーです」と丁寧に話すときの「です」であろう。そうなると問題になるのはここだ。
「ごっつあん」
 力士によっては気楽なところでは「ごっつあんです」と言わず「ごっつあん」とだけですます場合もあるのだから重要なのは「ごっつあん」だ。
 意味としてはそれほど難しくないし、使用法も特に訓練を必要とするものではない。そうだからこそ人は力士でもないくせに「ごっつあん」をついつい発してしまう。
「じゃあ今日のところは僕が出しておきますよ」
「え、いいのか。俺も結構呑んだんだから出すよ」
「いやいや、今日は先輩のお祝いなんだから」
「ごっつあん」
 気分は力士だ。まわしこそつけてはいないが気持は力士そのものである。人が「ごっつあん」と言うときそこには浮かれた力士気分が漂っている。しかしわたしが問題にしたいのは「ごっつあん」というときの浮かれた気分についてではない。
「ごっつあん」とは何なのかということなのである。これがわたしの生活の一部を占めている。
「ごっつあん」に関するエチモロジー。
 だいたいにおいて「ごっつあん」と言うときそれはほぼ「ごちそうさま」という意味合いで使用される。そして「ごっつあん」という言葉自体がどこか省略しているような響きが感じられる。ましてや頻繁に使用するのは普通に話すのも難しい力士だ。しかしそこに我々は惑わされてはいまいか。何となく意味としてわかっているものだからそれほど深く考えることがなかったのではなかろうか。そこでわたしは意を決して会社の同僚にこのことをぶつけてみた。
「『ごっつあん』って何の略?」
「何を言ってるんだ。簡単だよ。『ごちそうさま』の略でしょ」
 最初に出たのは単純に「ごちそうさま」の略だと説である。
「ごちそうさま」
「ごっちそうさま」
「ごっつそうさま」
「ごっつおうさま」
「ごっつあうさま」
「ごっつあうま」
「ごっつあうんま」
「ごっつあん」
 かなり無理がある。だいたい「ごっつおうさま」とは大阪弁で「ものすごく王様」という意味である。よくわからない。
 そこで次にわたしは検索エンジンに頼ることにした。
「ごっつあんとは」
 まさにわたしが求めているページではないか。リンクを辿るとそこには料金表というページがある。料金表とはよくわからないが兎に角進んでゆく。「ごっつあん」という迷宮から抜け出す為には常に前進あるのみである。
「初ソロ 3000円」
「初リト(C’k Out) 500円」
「一日五発以上 500円」
「留年 留年した学年×留年回数×1000円」
「ごっつあん金未払い 200円」
 もう「ごっつあん」どころではない言葉が溢れている。「ごっつあん」の意味どころか一つ一つの言葉が謎だらけである。夢中になってページを読んでゆく。
「太田 四年目にして二回目のウインチ助手」
「清水 入り日前日に熟女と合コン」
 九月の合宿における「ごっつあん」である。どうやら大学のクラブ活動の合宿などでの罰則について徴収されるお金のようである。こんなものを書いて誰に読んでもらいたいのかよくわからないが、しかし気になるのは加藤だ。
「加藤 寝ぼけて真室を殴る」
「加藤 風呂ではしゃぎすぎ」
「加藤 みんなが一生懸命仕事してるときに一人宿舎で寝てる」
「加藤 腹下す」
「加藤 夜中寝言で『すごいっすねー、これ』と叫ぶ」
「加藤 寝言『姉ちゃん、そりゃないよー』」
 そんなことでいいのか加藤。加藤の弱点は眠っているときと腸である。毎度毎度寝言を言ってお金を徴収されている上腹を下しただけでお金を徴収されているのだ。もういい加減何らかの対策を講じるべきだろ、加藤。
 そんな加藤のことなどどうでもいい。問題は「ごっつあん」だ。
 別のページを探してみる。
「HYPER若松部屋」
 何がハイパーかわからないが若松親方といえば朝潮のことである。そこの「面白相撲用語」にはこう書かれてあった。
「一般的には『ありがとうございます』の意味で使うが、『いただきます』や『お願いします』の意味でも使う。新弟子の頃は、『ごっちゃんです』とはっきり言うが、兄弟子になってくると、『ごっつあん』とか『ちゃんし』などと簡略化してしまう」
「ごっつあんです」は「ごっちゃんです」の略だったのである。一歩出口に近づいたような気がする。しかしまだまだ先は遠い。「ごっちゃん」とは一体何なのか。更に謎は深まるばかりである。
 更にわたしは「ごっつあん」を求めて他のページへと移る。

「ごっつあんの詩」
  よってらっしゃいみてらっしゃい
  さあさあロックンロールの始まりだ

 わたしの放浪はまだまだ続く。


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