其の174 唐突な人


 問題は前回同様「ごっつあん」なのである。前回にも書いたが「ごっつあん」について調べていると「HYPER若松部屋」というサイトを見つけた。そこで次の文章を見つけたのである。
「新弟子の頃は、『ごっちゃんです』とはっきり言うが、兄弟子になってくると、『ごっつあん』とか『ちゃんし』などと簡略化してしまう」
 ここで問題なのは力士の誰もがはじめは「ごっちゃんです」と言っていたがあるときを境に「ごっつあんです」という言うようになるということである。このことからわかるのは力士の間では「ごっちゃん」に比べて「ごっつあん」の方が何だか手慣れた感じがあると思われているという事実である。
 そこには言葉を省略することによって生まれる共同体との一体感がある。
 新弟子として入門を許された者はいくら相撲好きだといってもそこはプロの世界である。まったく勝手がわからない。だから教えられたとおり「ごっちゃんです」と言うのである。しかし数年経ってくるとそこに慣れが生まれてくる。
「俺もこの世界にも慣れてきたし後輩もできた。そろそろだな」
 そしておもむろに言うのである。
「ごっつあんです」
 誰もこの微妙な変化に気づいてはいない。俺もこの世界の人間だと認められたのだな。そしてもう一度噛締めるように言うのである。
「ごっつあん」
 俺もようやくここまで来たのだ。そんな感慨さえ感じられる。ちゃんこ番に始まり、兄弟子の背中を流し、辛い練習にも耐えてようやく共同体の一人として認められた、そんな感動すらある。
 しかしここで考えておかなければならないのはどこの世界にもすぐに環境に馴染んでしまう人間がいるということである。
「入門三日目にしてごっつあん」
 そんな人間だっている。一番下っ端のくせにもう「ごっつあん」だ。なんだこの唐突な奴は。だからといって入門三日目の人間に面と向かって「おまえにはまだ早すぎる。しばらく『ごっちゃんです』と言え」などとは言えないのである。
 ことは所詮「ごっつあん」だからだ。
 たかが「ごっつあん」のことで先輩面するのも何だか大人げないではないか。それにもし仮に「おまえに『ごっつあん』は早すぎる」と言ったとして入門三日目の後輩にこう返されたらどうすればいいのか。
「どうして『ごっつあんです』と言ったら駄目なんでごわすか。みんな先輩は言ってるでごわす。おいどんにはさっぱりわかりませんでごわす」
 こんな生意気な奴は一生褌担ぎの九州人だ。そうは思ってもなんて言えばいいのかわからないのである。
 そういえば数年ほど前、わたしに遅れること二年にしてコンピュータを購入した知人がいたのだが、彼が新しいコンピュータを購入して一週間目にこんなことを言った。
「ネットで検索」
 別段間違ってはいないが、なんだこの手慣れた感じは。コンピュータを買って一週間しか経っていないのにもう「ネットで検索」などというのか。初心者は初心者らしく「インターネットで調べる」と言えばいいではないか。ワープロの通信ソフトでパソコン通信をし、課金が数万もかかって泣きながらお金を振り込んだ経験もない人間がもう「ネット」か。だからといって彼に「おまえはコンピュータを買って一週間しか経っていないんだから『インターネットで調べる』と言え」などとは言えないのである。
 ことは所詮「ネットで検索」だからである。
 大阪を離れてあと二ヶ月で一年になる。わたしが気づいていないだけかもしれないが、もしかするとこの地にも住みはじめて一年くらいの新参者がいきなり使ってはいけない言葉があるのかもしれない。
「うなちゃー」
 もしかするとこの地の人々はうなぎとお茶のことをまとめてこういうのかもしれない。ことによるとこんな言葉もあるのかもしれない。
「うなちゃふじ」
 うなぎとお茶と富士山を同時に話さなければならないときに使用するこの共同体だけの言葉だ。余所者からすればかなりすごいことになっていると思われるが、この地の人々にとっては当たり前の言葉だ。
 気軽に「うなちゃふじ」などと発しようものなら、この地に長年住んでいる人たちも、住みはじめて一年にもならないくせになんて生意気な奴だと思うのかもしれない。だからといってわたしに面と向かって「まだこちらに来て一年にもならないのだから『うなぎとお茶と富士山』と言え」などとは言えないだろう。
 ことは所詮「うなぎとお茶と富士山」だからだ。
 わたしは幸運にもこれまで「うなちゃー」「うなちゃふじ」という言葉を発したことはないが、もしこういった言葉が存在するのなら、少なくとも周りの人間がわたしを共同体の一員だと認めるのを見極めてから発したいと思う。
 共同体参入への奥ゆかしい不文律。そうしたものは確実に存在する。


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