其の1 物事の本質について


 物事の本質というのは解るようで解らなく、解らないようで解っていたりするので厄介であるのかもしれない。本質を見抜こうとするとき、見抜かなければならないとき、そういったとき誰もがこの厄介さを感じることであろう。これは、いかにはたちを過ぎた洞にもいける大人だからといっても例外ではなく、はたまた日々書物に目を通し深い洞察力を身につけた知識人とてこの悪魔からは逃れることは出来ない。
 わたしは偶然というか僥倖というか、災難というか運命というか、運が悪いというか人間として駄目だからというか、子供を相手にしている商売をしているのだが、子供というのはときとして物事の本質を見抜くことがあるということと、反対に物事の本質が全く解っていないという両側面を日々目の当たりにしているのである。
 わたしはその商売柄、餓鬼共に媚びる。これでもかというほど媚びるのであるが、例えばこんなことを言う。
「仮面ライダーって知ってるか?」唐突に始まったのではなく、その前置きとして、最近のヒーローものの現状について質疑応答があったのである。
「知ってる」
「最近でも再放送やっているからなあ」わたしは今日近所の子供に、おじさんボールとって、と言われたことを気にしつつも、まだまだ子供との共通領域が存在していることにほっと喜ぶ。
「でも知ってる?」
「何を」
「仮面ライダーってオートバイから降りて戦っているときは、仮面なんやで!」
 そ、そうなのだ。わたしはこのミスタースポック風の髪型の餓鬼の突然の発言に一瞬言葉が詰まった。
「た、たしかに。仮面」なんたる愚かな返答であろうか。これではいけない、態勢を整えるべく、返した。
「ということはライダーマンはマン、ただの男やなあ。仮面の下半分素顔だし」
 もう遅い。更に餓鬼共にとっては少しマニアック過ぎる。わたしの完敗であり、その日の主導権はその餓鬼に取られたのであった。
 こういったこともある。
「グレイって知ってる?」これは唐突に始まった。
「お、おう知ってる。宇宙人か、こんな」ホワイトボードに稚拙な絵を描いてみせるが、この少女は理解できないのか出来ているのか、不思議な笑みを浮かべて続ける。
「わたし、好きで好きでたまらんねん」大阪弁で熱っぽく語る。どうやら最近売れているロックバンドらしい。
「どういった所がいいの? やっぱり音楽性とかかな」本来ならうまくかわして少女の集中力を取り戻したいところであるが、この少女の普段の奇矯な発言を知っているわたしはこの先を聞いてみたい欲望を押さえることができない。
「グレイって苦労して苦労してやっと売れたから」
 おお、神よ。これがロックバンドに対する評価なのであろうか。いや、けっしてそうではない。これはどう間違ってもロックバンドではなく、演歌歌手に対する評価だ。神は死んだ、そう言われても信仰を捨てることのないように、ロックに対する幻想を抱いているわたしにとってこの少女の言葉は何を差し置いても譲ることのできない領域に踏み込んだのだ。
「それって全然駄目」カーッ、これが最初の返答である。情けない。このあと二三分に渡り、ロックバンドとはかくあるべし、を取り付かれたように語ったのだが、少女に伝わるわけがない。「ようわからんし、理屈っぽい」この言葉で論戦(のようなもの)は終了した。
 本質とは厄介なものである。


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