其の4 乗せる


 人にはやってはいけないことがあるように書いてはいけないこともある。書いてはいけないことがあるように行ってはいけない所もある。行ってはいけない所があるように乗せてはいけないものもあるのだ。
 人が頭に被るもの。それは帽子である。これは万人が認めるところであろう。いやいや、にやけながら「それはズラだずら」という人もあるが、かつらも広義の意味において帽子族に属するものである上、帽子もかつらも使用する動詞はやはり「被る」である。ということで人が頭に被るものが帽子であるのは異論のないところであろうと思う。
 話はかわるが世にはぷりくらなるものが存在しているやうである。正確にはぷりんとくらぶというのだそうだが、これは恐らく商品名であらう。だから普通名詞としてはぷりくらと言った方がいいのかもしれない。このぷりくらなるものはここで敢えて説明する必要がないほど普及しているらしく、特に中高生の婦女子に人気があるようである。また彼女等に阿る為ぷりくらを使用する若い男児も多くいると聞く。なんでも自分の写真がそのまま小さなシールになるものらしく、わたしも最近実物を見たのだが、なかなかもって面白きものである。良い記念にもなるだらうし友情や交情を深めるのにも一役買いそうなものである。しかし、ぷりくらがヒット商品になった理由は他にあるように思える。あれはシールであるからではないのだらうか。シールというのは手にとったものはよくわかるが剥がしてみたくなる代物である。かさぶたなども剥がすなという母親の言葉など何の強制力にならぬ程つい剥がしてしまうのは剥がすという行為には他に堪え難い甘美な欲望を含んでいるからではないのだらうか。わたしの幼少の頃は給食の際出るバナナのひと房にひとつという例のものは学級内の権力の象徴のようなものでもあり、獲得した者はその幸運と力を見せつけるがごとく額にはっていたものである。あれもシールであった。
 それはそうとぷりくらである。わたしの周りに徘徊する中学生も例に漏れずぷりくらの霊力に取り付かれているのだが、彼女等は際物に敏感である為かそろそろぷりくらそのものへの興味を失いつつあるようだ。漫然と撮っただけでは価値がないらしい。それを撮ったそのときどきの偶然性に価値をおくようになったのである。例えば偶然出会った友人とのぷりくら、まずぷりくらなどというものに縁がないであらう人物とのぷりくら、こういったものの中に価値を見いだすらしい。
 ここでアウフヘーベンする。かの霊感少女も奇矯な性格ではあるが、やはりそこは中学生であり、例に漏れずぷりくらを蒐集している。あるとき彼女の蒐集するぷりくらを見せて貰ったのだが、わたしは茫然とした。乗せているのである。何をか。草履をである。彼女の頭骨の上にどのように乗せたのかわからぬが、バランス良く乗っている。なんでも新しい草履を買った記念らしいのだが、意図がよくわからない上これはまずい。まずいのである。知らぬ人は知らぬであらうが、知っている人は知っている。草履を頭に乗せるという行為の意味を。わたしは年端もいかない彼女に説明などすることもできず何度もまずいまずいのだと繰り返したのだが後の祭。ぷりくらはもう存在する。更にぷりくらは切手のやうにワンシートで作成されるようでまだ数枚は残っているやうだ。わたしは取り敢えず彼女の所有するそのぷりくらを所望し彼女は嬉しさうに同意した。そのぷりくらは現在わたしのコンピュータの側面に張られているがやはり草履は乗っている。
 しかし、草履はいかん、いかんのだ。頼むから頭の上に乗せるのはかつらにでもしておいてくれい。


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