其の20 慌てる


 泡を喰うことがある。人間誰しもそうなのだが、特に慌て者は泡を喰う。慌てているから泡を喰うのか、それとも慌て者だから泡を喰っているのか、そこのところはどうでもよいのだが、泡を喰うことがあるのである。
 例えばあるべきところに必要なものがない。それもさっきまであったはずである。わたしは煙草を喫うのだが、それもヘビースモーカーであるがため、煙草がきれるとそれだけで慌てる。 
「な、なひ、なひ、あれれれへん、どこ」と旧かな「レル・ラレル」表現の過剰な間違いでもって慌てるのだが、仕事中に煙草がきれると心底慌てる。死ぬんぢゃないか、と思ったりもするのだが、そういうときはだいたいにおいて波平が眼鏡を探すときと同様、胸ポケットに何故か入っていたりする。まったく記憶がないのだから困りものだ。「中年太りか?」と冷静に親に突っ込まれたときの返答よりも困りものである。
 それでも年を重ねるごとに慌てる回数も当然減ってきているようだ。年端もゆかぬ子供時代は今よりも慌てることが多いのは当然である。そういえばわたしの友人であった沖君は学級会が長引いたときも慌てていた。それはまったく宿題をやってこない山田君をどうしたら良いのかという深遠なる哲学的テーマについて山田君本人を交えた討論会というより人民裁判であったのだが、今にして思えば山田君にとっては大きなお世話であることで、討論会に参加している我々にとってもどうでもよいことだ。結論は出るはずもないし、出たからといってどうなるものでもない。こういうとき張り切るのは学級委員に立候補したりする正義感の強いが顔の不自由な女子であることが多いのだが、わたしの在籍したクラスでもそうであった。彼女はこう主張していた。
「山口君が宿題を忘れたら罰として掃除をしなければならない」というものであった。学習を怠るということと掃除をするということは論理的に結び付かないのであるが小学生にとっては電車に乗っているときジャンプすれば後ろに下がるに違いないという法則と同じくらい重みのある、かつ正当な意見である。その意見に真っ向から対立するのは大体において宿題を忘れるが学習能力はそれ程劣っていない男子であるのだが、わたしの在籍したクラスではそれとは無関係に沖君であった。沖君は立派なことに忘れ物を全くしない優等生であった。宿題は忘れる、運動は出来ない、忘れ物は多い、給食費は滞納しがち、給食費がなくなると真っ先に疑われる、蓄膿症、おまけに頭が異様に硬い山田君とは正反対の立場である。彼の主張はこうである。「山田君が宿題を忘れるということは我々にも責任の一端があるのではないか。我々もたまには宿題を忘れることがある。各々はたまにであるが、一週間の延べ人数になおすとかなりの数だ。それは山田君の目には皆も忘れている、その様に見えるのはないのだろうか」これはなかなか卓越した意見だ。なんでも社会の所為だと言う最近の文化人の意見に似ているがその実、この討論を打ち切る為に巧妙にしくまれた意見である。取り敢えず沖君は山田君の無能ぶりを全ての人にも当てはまる一般論へとすり替え山田君への追求を緩めようとしたかったのであろう。そうすることによってうやむやのままこの議論は終結し、あと一つ残った議題へと移ることが出来るのだ。しかし小学生の頃の、いや妙齢になってもそうであるが、年を重ねてからもそうであるが、一生そうなのだが、女性は大体において己の姿が見えていないことが多い。先程掃除するべしと主張した女子もそうであった。自分も宿題を忘れるが山田君ほどではない。山田君は毎日忘れるから問題なのだと、終結しようとしていた議論を再び活性化しようとしたのだ。議論は紛糾した。山田君を罰するべしの過激派、山田君の気持ちは多少はわかる、宿題なんてしたくないという同情派、珍しい生き物は保護しなければというエコロジスト派のわたしを含めたふざけた男子数名、トキの如く滅びゆく動物と化した山田君との四つ巴で議論は泥沼化していた。尤も山田君は悲痛な面持ちで黙ったままであったのだが。しかし、わたしは知っていた。普段はおとなしい沖君が何故議論を止めようとする意見を発したのか。その日沖君は塾へ行かなければならない日であったのである。あともう少しで塾に遅れてしまう。その思いがあの意見を産み出したのであろう。皮肉なことに議論を打ち切ろうとした発言がかえって紛糾させる結果となってしまったのだ。見た目からもはっきりとわかるぐらい沖君は焦っていた。早く家へ帰りたかったであろう。小さな声であったがぽつぽつ「塾へ……」という言葉も隣に居るわたしには聞こえていた。しかしその思いも空しく件の女子が更に声高に山田君を追求しようとしている。そこで堪忍袋の緒が切れたのか、沖君はばたんという音とともに立ち上がり叫んだ。
「早く人間に帰りたい!」
 すぐさま家にだろ、というわたしの突っ込みによりクラスは爆笑に囲まれた。その言葉で山田君問題は立ち消えてしまったのである。沖君一世一代の失敗であり、成功であったのだ。そして委員長によって次の議題へと移った。それは「○○君が学校の前の横断歩道を信号無視して渡っていた」という問題だった。この議題によって結局沖君は塾へは遅刻する羽目になってしまったのだが、ちなみに信号無視したのはわたしであり、申し訳ないことになってしまった。
 慌てるといえば、この間、わたしの知る小学生が学校の担任にいきなり、「あなたたちは四十歳で死ぬ」と断言されたらしいが、そのときの彼らも慌てていたようである。しかしそれ以上に先生も慌てていたに違いない。


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