其の22 法螺



 よく嘘つきだと言われる。その度に否定せねばならないのが面倒である。わたしは嘘つきではない、法螺吹きなんだと。では嘘と法螺はいかように異なるのかと訊ねられると、少し困ってしまうが、広辞苑によると、
 ほら【法螺】
法螺貝に同じ。法華義疏長保点「之を巻くときは旋螺ホラの如しといへり」(2)大言を吐くこと。また、その話。虚言。(3)儲けが予想外に多いこと。僥倖。永代蔵四「これを思ふに―なる金銀まうくる故なり」―を吹く
とある。嘘という表現はなく、「大言を吐くこと」、「虚言」とある。では「虚言」とは何かと調べてみると、
 きょげん【虚言】
他人をあざむく言葉。うそ。そらごと。虚語。きょごん。―しょう
となっている。法螺は虚言で、虚言は嘘であるので、法螺は嘘であると導かれる。三段論法である。広辞苑にあるのだから確かなのだろう。しかしである。「嘘」と「法螺」との間には「虚言」というのが入っているところが少し弱い。すぐさま「法螺」=「嘘」と言い切れないところがあるように見受けられないだろうか。わたしなりの新解であるが、嘘にはどこか後ろめたさがあり、法螺は底抜けに明るい、そういうニュアンスがあるという意見は大きく間違ってはいないように思えるが、いかがなものか。嘘は自己保身の為や、他人を陥れてほくそ笑む為や大袈裟、紛らわしい広告などに用いられることがあるが、法螺にはそういったものは感じられない。ただただ間抜けで笑える、そういったものではないだろうか。とまあ己の虚言癖を弁護しているのだが、こういったことも「大言を吐くこと」で、法螺話の一種であるのだが。
 例えばファミリーレストランで自分よりも世事に疎い者と会話をしているときなど、よく法螺を吹く。
「kinki kidsって知ってはりますか?」
「いや」
「ジャニーズ事務所所属のアイドルタレントですよ」
「ああ、フォーリブスとかたのきんトリオのだな」
「えらい古いですねえ。たのきんトリオはまだ古くはないのかもしれませんけど」
「そうか、ブルドッグは古いのか。それでそのkinki kidsというのがどうしたのだ」
「そうそう、そのアイドルグループですがねえ、あの吉田拓郎と一緒に番組をしているんですよ。あれだけテレビには出ないと言っていた拓郎がです。えらい変わり様ですね」
「時代も変わったものじゃのう。それでそのkinki kidsとやらはどんな輩じゃ」
「kinkiっていうぐらいですから、関西出身なんですけど、二人組でですね、関西弁喋るアイドルなんです」
「ほお、関西弁を話すのか。関西弁も漫才以外で世間に受け入れられるようになったのか、時代も変わったものじゃ」
「それでですね、基本的には二人組でですね、一人が大阪君でもう一人が神戸君なんです」
「ますます漫才コンビじゃのう、それでどっちが突っ込みなんじゃ」
「大阪君が八十パーセント突っ込んでますが役割分担がしっかりと出来ていないようです。若手ですから」
「そうか若手なのか」
「若いですよ、まだ十代と違いますか?」
「そんな漫才が受けておるのか、大日本帝国も落ちたものじゃのう。わしの若いときはのう、エンタツ・アチャコという漫才コンビがいてのお、抜群の面白さじゃったぞ、早慶戦なんか最高じゃった」
「いくつなんですか、もうすぐ三十になりますけど、まだ二十代でしょ」
「ほっとけ」
「それでですね、普段は二人組なんですけど、ときどき京都君が出てきて歌を歌いだすんですよ」
「京都君がか、歌を歌うのか」
「そうですよ。京都君って普段は殆ど喋らなくて面白くないんですけど歌だけは巧いんですよ、髭生えてて。ちなみに名前は長作といいます」
「はは、絶対違うだろ」
「はは、嘘ですけど、ほんとは堂本光一、光二っていう兄弟です」
「なるほど」
 という感じで法螺を吹く。相手が話の三割ぐらいで法螺だと気付くのが味噌である。
 全く関係ないのだが、今週も先週に続いて病院に行った。相変わらず待ち時間が暇である。そこでいつものように「存在と時間」(上)を読みふけっていた。名前が呼ばれるのを聞いておかなくてはならない為、聞き耳はしっかりと立てながらの読書である。要旨である「存在」というものと「時間」というものがあるということは理解できているのだから大したものだと思うが、どうも集中することが出来ない。ハイデッガー先生も嘆いていることであろう。そこで読書を一旦止め、名前が呼ばれるのに集中することにした。それで初めて気付いたのだが世の中には色々な名前があるものだ。九十九さんなどは九十九一のおかげか、珍名として有名(というのもおかしいのだが)になっているのだが、他にも珍名だけに知られていないが色々とあるものである。あなたも病院の待合室で二三時間なり待ってみればわかるであろう。
「なかむらそと(中村外か?) さん、なかむらそとばこまちさん」であるなり、
「こわいだに(怖日谷か?)さん、こわいだにはれおさん」であるなり、
「さかむけ(坂向か?)さん、さかむけゆびおさん」などと珍名が結構あることに気付く。いやいや本当の話である。またこんなのもある。
「はたさん、はたまさのりさん」ムツゴロウも病院にいるのだ。当然であるが、「ムツゴロウとではなくムツゴロウが愉快な仲間たち」に出演している、アリクイに血を吸われそうになったムツゴロウではない。松島ともこに続いてライオンに襲われたムツゴロウではない。象と仲良くなろうとして近寄ったら踏まれそうになったのでスコップをもって象に襲いかかろうとした世界一強い男のムツゴロウではない。ただのしょぼくれた学生風の男である。しかしセーターの背中には犬の毛らしきものが付着していたのであるが、これも本当である。
 そして診察が終わって病室から出ようとしたときに聞いたのは、
「原さん、原節子さん」
であった。その人を見ると和服を着た上品な方である。わたしに会釈をしながら病室に入っていったのだが、名前に似て楚々としたおばあさんであった。若いときの原節子という女優は何かで見たことがあるが、年をとってからの彼女は知らない。生きているかも勿論知らない。銀幕から完全に姿を消したのであるから当然ではあるが、それだけにもしかしたらあのおばあさんは本物だったのかもと思うのである。誓って言うがこのことは本当に本当の話である。


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