其の34 ギターを買いに行く


 話は変わるが、先日何を思ったかギターを買いに行った。尤もまったく初めて買うというのではなく、部屋にはエレキギターがひとつ、古くなって弾けなくなったフォークギターがひとつ、そして友人から例の大地震のどさくさに紛れて強奪したエレキベースがひとつと結構弦楽器があるのであるから、弾けないというわけではない。嗜むというほどか。わたくしギターを少々などと御見合いの席で言っても差し支えない程度には弾けるのである。それが何を今更ギターを買いに行ったかというと、それは単にきまぐれであり、欲しくなったにすぎず、そして新しいギターが手に入ると巧く弾けるようになるかもしれないという期待からである。ギターを買ったからといっていきなり上達するわけではないのだが、なんとなくそんな気がするのだ。コンピュータを新しいのを買ったときもそうであり、いきなりプログラムが書けるようになるような気がしたものである。勿論そんなわけはない。
 さて楽器屋へと入ると懐かしい匂いがする。高校生の頃は毎日のように楽器屋に入り込み、店員と仲良くなって高価なギターを弾かせてもらったものである。考えてみれば五六年ぶりだろうか。楽器屋に入ることが。わたしは目的のアコースティックギターのコーナーへと向かい、そして値段と相談しながら物色していると、店員と高校生らしき少年との会話が耳に入ってくる。昔はわたしもそうだったのだな、と感慨深い。
「……それでねえ、やっぱりギターは目的にあったものを選ぶのがいいんですよ」
「はあ」
 少年は地味な顔と服装をしており、どうやら初めてギターを買うようである。見るからにおどおどしている。
「どんなジャンルの音楽をしようと思ってられるんですか?」
「はあ」
「じゃあ、取り敢えずエレキギターか、アコースティックギターかどちらにするかは決めてられます?」
「はあ」
 少年はまったくもってはっきりしない。確かに初めて楽器を買うときというのは緊張するものであり、いくらギター雑誌を眺めても、ギターの善し悪しは解らず、ましてや初めてなのだから音質がどうのとか言える身分ではないのだ。店員が良いと言ったらその音質が良いのであって、自分の好みなど入る余裕はないのである。当然、見栄え中心に選ぶことになる。これは後程後悔するのであるが、それも良い経験になるのである。
「……一応、電気が通る方を……」
「エレキギターですね。じゃあエレキアコースティックギターもありますけど、どっちにされます?」
 少年の電気が通る方という表現はなかなか良かったのだが、電気が通ると言ってしまっただけに、所謂エレキギターではない、エレアコと呼ばれるアンプを通して音を出せるアコースティックギターも選択肢に入ってしまったのである。少年は何のことか解っておらぬようである。
「い、いや普通の電気の通る方を……」
「じゃあ、エレキギターですね。それではどんなジャンルの音が好みですか?」
 もはや少年は蛇に睨まれた蛙である。ここまできてギターを買わずに店を出ることなどできない。
「ジャンルが決まれば、ギターの種類も決まってきますけど?」
「はあ……」
「じゃあ、どんな音楽を聴かれますか?」
 しばしの沈黙の後、少年は徐に口を開いた。
「へ、ヘビーメタルを少し……」
 はははは、笑ってしまう。ヘビーメタルはまあ良い。しかしその後の少しとはどういうことなのだろうか。あまり激しくないヘビーメタルなのであろうか。その後、少年は何故か悲しそうな顔をしながらフライングV独特のケースを手に店を出ていったのである。
 さて、わたしの方も、値段、弾きやすさ、音質などの最大公約数的なギターを手に入れ、ほくほく顔で家路へと向かったのである。家に到着すると犬と母上が迎えに出てきた。
「あんた、何持ってんの?」
「ああ、ギター買ったから」
 ふうんといって母上は興味なさ気に台所へと戻っていった。犬は何を思ったかギターケースに噛り付いている。こ、これ餌ではないのだ。
 そしてわたしは部屋に入り、チューニングを済ませ、色々と覚えているコードを弾きちらしていた。五月蝿かったのであろうか、母上がわたしの部屋にやってきた。
「あ、五月蝿かった?」
「まあ、そうでもないけど」
「じゃあ、なんか用事か?」
「ああ、あんた何でギター買ったん?」
 知ってどうするのだろうか。もしかするとわたしの浪費癖に対して説教でもしようとしているのか。
「ああ、いや、これから歌手になるから」
 取り敢えずボケておけばよいと思い適当に答えたのだが、母上は更にわたしの上手である。
「あ、そう。じゃあ歌手になるんやったら取り敢えず、部屋掃除しとき」
 うぬぬぬ。
「歌手になろう思ったら、今日中に部屋の掃除ぐらいできんとなあ」
 そういって母上は部屋から出ていった。うぬぬ、またもや完敗である。
 部屋にはいつのまにかいた犬がギターケースを必死で噛り付いていた。おい、これは餌じゃないんだってば。


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