其の43 オチはどこにあるんだよ


 わたしの周りにはどうも他の人よりも怖い話が転がっているように思えて仕方がない。怖い話を聞くのが好きだと言う理由もあるのだが、積極的にわたしに怖い話を聞かせようとする人も多いような気がする。別段怖がりの方ではなく、わたしの知り合いのように怖い話を始めると本気で怒りはじめたり、指で耳栓をしたり、其の指を揺らすことによって音声を更に遮断するといったこともない。だからわたしに怖い話を聞かせる人の気が今ひとつよくわからないのであるが、どういうわけかわたしに聞かせるのである。

 会社の先輩後輩四人が連れ立って肝試しに行くことになったようだ。よくあることで別段珍しくもない。そのうちの先輩の一人が霊が見えるといった特異体質であることを除けばよくある話だ。彼ら四人は霊が出ると言う噂の洋館に車で向かっていたのである。件の洋館に到着した四人は恐る恐る中に入っていった。五、六分もした頃だろうか、四人が四人ともなにやら不穏な空気を感じ始めた。誰が言ったか解らぬが、「ここはやばい」という声とともに一斉に洋館から逃げ出したのである。だいたい霊スポットに肝試しに行くとこういう結果になるものだ。元々何か出るんではないかという先入観があるものだから、あらぬ想像をしてしまって風の動きひとつが恐怖の対象になってしまう。四人は早々と車に乗り込み洋館から立ち去ったのである。それぞれが一斉に逃げ出したことに羞恥を感じ、他愛もない笑い話を始めた。恐怖を取り除こうというよりも醜態を隠そうとしたのであろう。しばらくすると霊に関する笑い話も始まった。
「ここにな、いてたりして」と後部座席に座っている二人の間を指差したのであるが、助手席に座っていた霊の見える先輩がぎくりとして言った。
「ほんとにおる……女の人が……」いやいや常套手段である。怪談をしているときに必ずこういう人物がいるものだ。後部座席に座っていた二人は一瞬驚いたが、すぐさまこの辺りにか、などと茶化しはじめた。先輩が女の人がいるといったあたりを後部座席の二人が触ったりすると、先輩は本気で「やめておけ、怒っているから」と哀願するように言い始めて、車中は不穏な空気に包まれた。先輩がぼそりと言った。
「余裕があるならバックミラー覗いてみろ……」
 当然そこには女性が映っていたのであるが、話はここで終わらない。
 家に近づいて来たので、少し余裕が出てきたのか、皆でコンビニに寄ることになった。緊張に包まれた車中から飛び出た四人は外の空気を堪能していた。買い物を済ませ、再び車に乗るとき、後ろから声をかける者がいた。
「おお、久しぶりやね。何しとったん」
 中年が話しかけてきたのであるが、誰もその中年を知っているものはいない。しかしこちらが知らなくても向こうが知っていることもある。例えば近所に住む子供の頃何度か遊んで貰ったという人ならばこちらに記憶がなくても相手はよく覚えているものである。
「はあ」
「で、幾つになった?」中年が訊ねてきたので一人が答えた。
「二十一ですけど」するとその中年は青ざめた顔をして後ろずさり、そして、
「そ、そんなわけ、ない。そんなわけない」と言い、走り去ったのである。さっきの肝試しと関連があるようだが、どう繋がっているのか見えて来ない。しかし、話はここでも終わらないのである。
 それぞれ帰宅しその日は無事に過したのであるが、次の日四人のうちの一人の田中に異変が起きた。
 彼には付き合っている彼女がいたのだが、肝試しの次の日会ったところどうもおかしいのである。会話をしている。すると会話と言うものは常にそうであるが、途中話が途切れる瞬間というものがある。
「それでね……」
 すると彼女は何故かお経を唱え始めるのである。ぶつぶつと口が動き、「南無阿弥陀仏」と呟くのである。
「……だったんだって」「そうなの……南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……」
 始めは揶揄っているのかと思ったようだが、どうも違う。それで何故お経を唱えるのかと訊ねたところ、彼女は怒りだした。
「そんなことを言っていないし、お経なんて知らない」と言うのである。しかし会話の途切れた瞬間、確実に「南無阿弥陀仏」と唱えているのである。彼との会話以外ではお経を唱えたりはしないというのも他の人で試して証明された。そして彼女自身はお経を唱えているという自覚もないのである。無気味に感じた彼は結局彼女と別れたのである。

 しかしコンビニで声をかけてきた中年が気になる。関連があるのかないのか、それとも偶然なのか、まったく解らないから一寸怖い。そして例の車中にいた女性の消息(て変か)も不明だし、最後の彼女のお経に対してもまったく関連性がないのである。どこでどう繋がっているのか解らないだけに余計恐怖が増してくる。
 わたし自身は霊の存在を否定する立場であるが、怪談は好きだという者でもある。そして自分で作ったりもするのだが、作られた話というのはある一定の形式があってどこかで聞いたような話になってしまう。そして最後に全てが繋がっているという風に体裁を整えてしまうものなのである。怪談の世界においての合理性、統一感が出てしまうわけだ。それが怖いというのもあるのだが、しかしこの話にはどこにも整合性がなく、それぞれの事象に独立性があるだけに作られた話ではないような気がする。しかしそれに囚われるとオカルティズムに嵌まるような気がするのであまり考えないようにしたいと思う。それと例の彼女は今でも彼に会うとお経を唱えるのかという点も気になる。


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