其の70 トムヤンクン


 友人は項垂れておるのである。頭なんぞを掻きむしったりもしている。こういう場合どう言えば良いのか非常に困るのであるが、ここはやはり彼のその哀れな姿がどういった理由に依るものであるかを訊ねてやるのが友というものであろう。しかし幾つになっても慣れることがないものだ。人を慰めるということ程わたしを悩ませることはない。生来、慰めたり誉めたりすることが苦手な上、人をおちょくるのが大好きとあってはわたしに悩みを打ち明けるなどという怖いもの知らずは、悩みを打ち明けるほど親しくなればなるほど少なくなってくる。それでもこやつはわたしに悩みを聞いて欲しそうに頭を抱えておるのだ。鈍感なのか、それともわたしの甘いマスクに騙されてわたしを頼り甲斐のある男と錯覚したか、それとも最近出てきたわたしの腹を見てわたしが貫禄のある男だと勘違いしたのか、それとも単に魔がさしたのか、もしかすると今暇な男はわたしだけだったのかもしれない。そして彼は再び頭を掻きむしる。
「うむ、どうしたのだ。そんなに頭を掻きむしるとただでさえ少ない頭髪が更に少なくなって別の悩みを抱えることになるぞ」
「そ、そんな言い方はないだろう。友達が真剣に悩んでいるのだから。お前に優しい言葉をかけてもらおうなんてことを考えてはいないが、せめて『何があったんだ』くらいの言葉があってもいいだろう」
「何があったんだ」
「まったく捻りのかけらもない男だな。こっちが真剣になるのが馬鹿らしくなる」
「ま、気にせず言ってみろ。お前の話を聞くのはおそらく時間の浪費になろうが、それくらいの時間は作ってやる。昔カレーを奢ってもらった礼だ。さ、話したまえ」
「そうか、ことの発端は親戚からの電話だったんだ」
 と彼はロイヤルホストのタイ料理フェアの「トムヤンクン」をすすりながら話しだした。
「親戚と言っても従兄弟でな。俺よりは十歳くらい上なんだが、ま、俺の兄貴のようなもんだ。それが昨日なんか知らんがいきなり飯を喰おうという電話が入ったんだ。給料日前ということも手伝って飛んでいったんだな。これが第一の失敗だ」
「飛んでいったのが失敗になったのか。ううむ……謎は全て解けたっ、飛んでいる途中にビルにぶつかったのだな」
「解けてない。大体兄貴はグルメでな、いつも高そうな店に連れてってくれるんだが、俺はいつものように汚いジーンズにポロシャツという出で立ちで出かけたんだ。ま、相手は兄貴だけだと思っていたのだから仕方がない」
「ううむ……謎は全て解けたっ、もしかしてポロシャツといいながら実はアディダスのシャツだったんだな」
「解けてない。店は鮨屋だった」
「ゑ、鮨、鮨だったのか、そういうことなら何故わたしを呼ばぬのだ。そういう気配りがないから悩みを抱えるのだ」
「まあ鮨はいいとして、兄貴と待ち合わせるとそこにはもう一人いたんだ」
「ううむ……謎は全て解けたっ、その人が犯人だ!」
「解けてないし、謎なんてないし、犯人なんていない。紹介して貰ったんだが、兄貴の会社の部下だったんだ。それもとびきりの美女だ」
「ゑ、美女か、ぴ、ぴちぴちなのか」
「ああ、ぴちぴちだ、なかんづくむちむちだ」
「ぴちぴちでむちむちか、な、謎は全て解けたっ、その美女はスキーのジャンプの選手だな! もしくはスケートの黒岩」
「誰だよ、黒岩って。まあ、ぴちぴちというのはいいとして、俺はそこでこう考えたんだな。この女性は兄貴の不倫の相手であると」
「それは気まずいな」
「ああ、気まずい。しかし兄貴はそういうところはざっくばらんというか、いい加減というか、昔から俺にはそういうのを見せても気にしない人だから」
「解った。皆まで言うな。なるほど君が言わんとする意味がだいたい見当がついた。君はこう言いたいのでしょ。イシャはどこだ!」
「悪質な冗談はやめて下さい。……もういいだろ。それで店に入ったんだが、それが座敷でな。兄貴は当然のように美女の隣に座るもんだから、美女と俺は自然と向かい合うという感じになったんだ」
「ま、たとえ従兄弟の女とはいえ美女と食事出来るんだからいいじゃないか」
「しかしいくら美女だといっても、こちらとしてはそういう気持ちで向き合うわけだから、立ち入った話を出来ないし、かといって何も話さないというのも変な感じだ。そこで差し当たりのない話題が中心になってくる」
「な、謎は全て解けたっ、君は○×方式を応用したんだな」
「いい加減にしてくれ、ぼくは死ぬかもしれないんですよ」
「なるほど、ポキン」
「金太郎」
「ポキン、金太郎」
「ではごきげんよう」
「達者でなァ」
「……もういいだろ。で、まあ兄貴が中に入って色々と話をしていたんだが、例えばスポーツは何をしていたのだとか、音楽はどんなものが好きなのかだとか、ほんとに差し当たりのない話題だ」
「ううむ……な、謎はすべて解けたっ、もしやそれは俗に言う『お見合い』というものであったのではあるまいか」
「お、正解。俺はあの場で気付くべきだったんだ」
「何か失敗したのか」
「ああ、あまりに差し当たりのない話題ばかりだったものだから、なんか兄貴に腹がたってな。俺をこういう場に連れてきて下らない話をさせるんぢゃない、そう思って仕返しをしたくなった」
「得意の下ねたでも炸裂させたか」
「得意っていうな。流石にそこまではな。ま、差し当たりのない話題を脱構築させたのだ」
「脱構築って、お前何したんだ」
「いきなり美女に質問したのだ。『犬と猫、どっちを飼ってますか』と」
「で、どう答えたんだ」
「どちらも飼ってません、こう答えたよ、美智子さん。すかさず俺はこう言ったんだ。『ではその犬の名前はポチですね。良い名前だ』」
「美智子さんどんな顔してた」
「なんか驚いてたよ。それが面白くなってな。どんどん質問した。『赤と黒はどちらがスタンダールですか?』」
「はははは、他には」
「罪と罰高利貸しを殺したのは老婆?」
「お、文學シリーズ、しかも疑問形だ」
「最終二話には二羽鶏がいるのですか?」
「アニメオタクであることもばらしたわけだ」
「それでな、流石に兄貴、きっと俺の方睨んでな。馬鹿な話をするんぢゃない、美智子さん困っているぢゃないか、そう言ったんだよ。それでも俺は兄貴を無視して美智子さんに質問したんだ」
『今の気持ちを色で表すと黄色ですね』
「付加疑問文だな」
「そこで美智子さん、すくっと立ち上がってなこう言ったんだ」
『いえブルーです』
「散々叱られたよ。兄貴に」
「ま、面白い体験したからいいぢゃないか」
「ただなあ、美智子さん、俺の好みだったんだ。お見合いならお見合いだと始めから言ってくれりゃいいのに、嗚呼」
 彼は頭を掻きむしりながら、そして言うのだ。
「トムヤンクンが目にしみる」


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