其の110 謎のインド人


 だいたい外国人を見てもどこの国からやってきたかまでは解らないものである。大まかな人種くらいは解るがその風貌から出身国まで当てることができるのはその人が余程外国人通であるか、もしくはその外国人が非常に紋切り型の容貌をしているかである。たとえば、
 彼はイタリア人だ、なぜならシャツの裾にはピザがひっついているからだ。
 彼はアメリカ人だ、なぜなら氷で作った家の中でアザラシを喰っているからだ。
 彼はカナダ人だ、なぜなら昔木こりで後プロレスラーになったからだ。
 彼は支那人だ、なぜなら話すときの語尾が「アルヨ」だからだ。
 彼はチェコ人だ、なぜなら風船を膨らませているかと思えば実はガラスを作っているところだからだ。
 彼はメキシコ人だ、なぜなら彼の背後には必ずサボテンがあるからだ。
 彼はイギリス人だ、なぜなら紳士でかつパンクロッカーだからだ。
 彼はフランス人だ、なぜなら小粋でエッチな話をしているからだ。
 彼女はオランダ人だ、なぜなら空気を入れないと使えないからだ。
 などというように解り易いのでない限り、その外国人が何処の国の人かを見極めるのは非常に難しいものである。
 先日仕事の帰りにコンビニエントストアに立ち寄ったところ、そこで一人の外国人と出会った。
 彼はターバンをしていた。そして顎鬚を生やし浅黒く精悍な顔つきである。インド人だ。わたしは心の中で叫んだ。この人はインドの人だ。もう一度叫んだ。しかし本当にインド人なのであろうか。わたしの信条はすべてを疑うことである。この外国人の姿がわたしの考えるインド人像にぴったりだとしても、彼がインド人であるとは限らないではないか。だいたいこれまでの人生でインドとの接点はカレーくらいでインド人自体をよく知らないのだから、たとえ彼がインド人に見えたとしてもインド人でないかもしれないのだ。核実験が名物のパキスタン人かもしれないし、紅茶の美味しいスリランカ人かもしれないのである。
 そこで雑誌を読む振りをしながら彼を観察することにした。
 彼は月刊プレイボーイを熟読していた。いや、写真を鑑賞していたといった方が良いかもしれない。そっと彼の眺めているグラビアを覗いてみる。金髪の西洋人の裸体が見える。そういえばヨーロッパ人の元というのはアーリア人でインド人とヨーロッパ人は人種的に近いということを聞いたことがある。だとすれば彼が金髪グラマーのグラビアに目を奪われるのも仕方ないか。いやいや、日本でも金髪に目がないという男性もいるのだから彼をインド人だと決めるのはまだ早い。単にインド風の容貌をした金髪に目がないアラビア人かもしれないのだから。やはり読んでいる雑誌から彼が何処の国の人か決めつけるのは難しいであろう。そこで基本に戻って彼の服装を観察することにした。彼の右手の薬指を見てみると、そこには象をかたどった指輪があった。見たところ牙がない象である。インド象だ。やっぱり彼はインド人なんだ。いやいや、インド象の指輪をしているからといって彼をインド人だと決めつけるわけにはいかない。彼はインド風の容貌をしていて金髪に目がなくインド象を心から愛するトルコ人かもしれないのだから。更に観察を続ける。腰の辺りに何か細長いものが見える。何だろうと思い、他の雑誌を取る振りをして腰を下ろしその細長いものを間近に見る。あ、ふ、笛だ。思わず呟きそうになるのをぐっと堪える。笛なのである。その細長いものは。長さはだいたいリコーダーくらいだが、もっと細い。そして穴はリコーダーのそれよりも少ないようだ。おそらくこの笛を吹いても一オクターブ全ての音を出せないだろう。もしかすると、蛇なのか。蛇を操る笛か。彼は毎日大道芸か何かで蛇を操っているのか。もしそうなら彼はまさにインド人だ。いやいや、まだ彼をインド人だと決めつけるには早過ぎる。もしかするとインド風の容貌をしていて金髪に目がなくインド象を心から愛しながらも同時に蛇を操るエジプト人かもしれないからだ。
 彼がインド人であるという状況證拠は固まりつつあるものの、どうも決定打がないのである。限りなく黒に近い灰色といった感なのである。外にインド象が繋がれていたりすれば彼がインド人だと断定しても良いのであるが、当たり前だが外にインド象など繋がれていない。どうしたものかと考えながら彼の側を離れずにさり気なく観察を続けていると、先程手にしていた月刊プレイボーイを読みおえたのか、次の雑誌に移ろうとしていた。次は何の雑誌か、新たに彼がインド人であることの證拠が増えるかもしれない、そう思いながら彼が何の雑誌を手にするのかを待っていた。「フリテン君」。もう一度雑誌名を読んでみる。やはり間違いはない。「フリテン君」である。しかし何故「フリテン君」なのだ。何故四コマ漫画なのだ。本当に彼はインド人なのか。というより外国人なのか。実はインド人のコスプレをした日本人なのではという疑念が湧いてくるが、しかし顔つきはやはりインド人なのである。ううむ解らない。いや、待てよ。彼はインド人で日本に来てまだ日が浅いのではないか。漢字は読めなくてひらがなとカタカナしか読めないのではないか。だから「フリテン」という文字に惹かれて手にしたのではないか。なかなか素晴らしい推理かもしれないぞ。と彼の顔を見てみると、笑っているのである。くくく、という感じで笑ってやがるのである。うえだまさしで笑っているのである。どういうことだ。というよりもどういうつもりだ。これまで固めてきた證拠が崩れ落ちてゆく感じである。しかしどう見てもインド人なんだがなあ。
 その後、彼は「フリテン君」を持ってレジへと向かった。まさに気分は時効間近の容疑者を最後まで追い詰めようとする老刑事である。まだ諦めてはいけない。お金を払うときが最後にして最大のチャンスなのである。おそらく彼はまだ日本の貨幣に慣れていないに違いない。そうに決まっている。だから金を払うときもたつくはずだ。そのとき彼がどんな話し方をするか聞き取ることが出来れば彼がインド人であることが証明されるかもしれないのである。わたしは慌てて彼の後についてレジへを向かった。買い物は済ませていないがいざとなれば別のコンビニへ行ってもよい、それくらいの覚悟でレジへと向かった。彼が「フリテン君」をレジの前に置く。そして金額が表示される。彼は財布を取り出し小銭を数え始める。なんだか手慣れた感じである。くそ、やはり彼がインド人であることは証明されないまま別れることになるのか。そんな複雑な気持ちで彼の後ろに立っていると彼はある方向を指差してこう言ったのである。
「コノ、カレーまん、ヒトツ、クダサイ」
 とうとう尻尾を出したか。奴はインド人だ。まさしくインド人だ。だってカレーまんだもんな。もう細かいことはどうでも良い。彼はインド風の顔つきをした、金髪に目がない、象好きの、蛇使いの仕事をしているインド人なのだ。もう決めた。これで心置きなく雑誌を立ち読み出来る。と、そのときである。
「コレ、ウシ、ハイッテマスカ?」
 そうだろう。インド人だもんな。気になるはずだ。いくらカレーだからといって牛肉はまずいからなあ。
「ええと、入っていると思いますが」
 店員がおどおどとした態度で答える。
「ア、ソウ」
 そういってインド人は金を払って牛肉の入ったカレーまんと「フリテン君」を手に意気揚々とコンビニを後にした。
 最後の最後でドンデン返しにあった気持ちである。あそこで「ソレデハ、イリマセン、ウシ、シンセイナイキモノ」と言ってくれればインド人であることが証明されたのであるが、気にせず買ってしまったものだから結局彼が何人であるか解らなくなったのである。
 取り敢えずわたしは彼を「謎のインド人」であると認定した。「謎のインド人」っていうのは別にインド人でなくても務まるものだからである。


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