其の118 受験の心得


 わたしは幼少の頃、今の百万倍くらい聞き分けの良い子だったらしく小学五年生くらいまでは九時までにテレビを観るのをやめ、そして十時くらいまでに床に就くような子供であった。だから当時小学二年生の頃だったか、その頃に流行っていたテレビ番組の「三年B組金八先生」というのをリアルタイムで観ることはなかったのだが、この番組、放送が終了してからも人気があったのか、わたしがその後中学高校大学と進む間に何度も何度も再放送をし、それで日がなぼうっと暮らしていた中学高校大学の頃を中心にこの番組を何度も観ていたのである。わたし自身あの武田鉄矢演ずる坂本金八のあまりの暑苦しさに辟易としていて、どうにも教師の素晴らしさだとか中学生と教師との心の交流だとかといった感動を味わったことはないのであるが、だからといってこの番組が嫌いだというわけでもなく、たとえば三原順子の「顔はやめときな」という台詞の格好良さや元ヤンキーで高校に行かなかったら美容院の店員になるというちょっとどうかと思われる彼女の扱いや、倍賞美津子の渾名がアマゾネスであることが元アントニオ猪木の奥さんであるところとどうリンクしているのかだとか、田原俊彦があの撮影をしていた頃既に十八歳であったことや、財津一郎が劇中でさかんに武田鉄矢にすすめるウィスキーの牛乳割は意外にいけることや、近藤マッチの高下駄で街を闊歩するのはちょっとやり過ぎだだとか、変な髪型の鶴見辰吾に惚れてあろうことか生でさせてしまう杉田かおるの不可解さや、野村義男が風呂屋の番台の上から女体を楽しんでいたことがトラウマでアダルトビデオ女優と結婚したのかなど、枚挙に暇がないくらいこの番組の面白い箇所はあって、嫌いというよりもむしろ好きな番組なのである。もちろん上記のような楽しみ方は本来のドラマの楽しみ方とは若干異なると思われるが、あらゆる作品の扱いは受け手に委ねられるのが近代以降の常識であるから、別段責められることでもないだろう。そういう見方をしてドラマ全般を観るものだから得るものは少なく、特に何度も観ているこの「三年B組金八先生」に関しては、中学生が周りをうろうろするような職に就いているにも関らず中学生程度なら感動してしまうような台詞なんぞも覚えていなくて殆ど役には立っていない。唯一仕事に役に立っているものはというと劇中でもあった受験の際の心得みたいなものである。
(1)受験票を当日忘れていったからといっても慌てず係りの人に言えば再発行してもらえる。
(2)消しゴムは落としても大丈夫なようにいくつも持っていけ。
(3)鉛筆削りを持っていき、毎時間試験前に削っておけ。
(4)面接のときは必要以上に自分を良く見せようとするな。
(5)数字の一と七は間違え易いから特に念入りに書け。
(6)試験中マムシに噛まれたら急いで傷口から血を吸い出せ。
 などといったもので、もっともこれらの受験の心得も全てが全て同番組からの知識かどうか解らないのだが、それでも何年も中学生がうろちょろする仕事をやっていると何度も彼ら中学三年生に話したりすることになる。そして今年もそろそろそのシーズンがやって来たようでわたしも普段のおちゃらけた雰囲気を一新して彼らに受験の心得なんかを話したりするのである。
「ということで受験の前にしておかなければならないことは沢山あるのだ」
「ふうん」
「ふうんとは気がない返事だな。自分のことだろうに」
「だけど何か色々とあってよく解らないや」
「ふうむ。ま、細かいことは別にして、基本的には当日万全の態勢で試験が受けられれば良いということだ。たとえば気が小さい君のことだ、試験中消しゴムが転がったりしても手をあげて拾ってもらうなんかできないだろう」
「そうだね。やっぱり消しゴムはいくつか持っていった方がいいんだね」
「そうだ。最低受験科目の数くらいは持っていきたまえ。そうすればそれぞれの試験で落としても大丈夫だろう」
「でも全部落としたら……」
「きりがないだろ。それを言ったら。だいたいそんなに消しゴムなど落とさないから。あ、そうそう出来るだけ新しい転がりにくい直方体の消しゴムを用意しとけよ」
「はい」
「お、なかなか素直だな。いつもと違って。普段からこうだったらわたしも楽だったんだが」
「あとねえ、何か注意しておくことない?」
「そうだなあ、あ、そうそう、当日試験会場に行くまでのことだが、電車の時刻表なんかを前もって調べた方がいいぞ」
「どうして?」
「やっぱり当日一番焦るのは遅刻だ。遅刻しないまでもぎりぎりに試験会場に到着するとやはり落ち着かなくて試験でミスをするものだ。だから予定通り試験会場に到着するように時刻表を調べておくんだ。あの電車の乗り継ぎというのは一本ずれたりするとかなり変わってくることもある。たとえば一緒に行こうと思っていた奴が少し遅れて電車を一本遅らすことになったりするだろ。そうすると最初の十分の遅れが乗り継ぎごとにどうどん増えていって、到着が予定より大幅にずれることもある。だから用意周到にだな、試験会場までの時刻表を集めておくのもいいかもしれないぞ」
「なるほど。そうだね」
「そうだ誰か一緒に行く奴とかいるのか」
「うん、桑田くんと一緒に行く」
「そうか、彼はしっかりものだから一緒に行くとなると君も安心だな。しかし何かの事情で彼が一緒に行けないことになるかもしれないだろ。だから試験会場までの道順はきちんと把握しておくようにな。一人になっても行けるように」
「うん、それは大丈夫だよ。この間願書を取りに行ったときに道は解ったから」
「そうか。でも一人じゃなかったんだろ。一人と大勢とでは勝手が違うから。たとえば道が二つに別れるところとかはなかったか」
「うん、あった。坂道のところ」
「じゃあ、どっちの坂道を上がれば良いか何か目印になるようなものは覚えているか」
「うん、ばっちりだよ」
「そうか、何だそれは言ってみなさい」
「ええとね、試験会場への坂道はねえ、太った警備員がいて、そうでない坂道には痩せた警備員がいた」
「ば、ばかものー、そんなの当日変わっているかもしれないだろ。当日双子の警備員になっていたらどうするつもりだ」
「で、でも、『デブー』っておちょくっても殆ど動かなかったからさあ」
「頼むからしっかりしてくれい。ほんとは冗談なんだろ」
「うん、ほんとはねえ、試験会場の坂道には掃除しているおばさんがいるの」
「ば、ばかものー、音無響子さんじゃあるまいし、毎日同じ時刻に掃除してるかあ」
 などと余計に心配をかけるものなのである。中学生というものは。
 そういえば大学時代の再放送で「三年B組金八先生」を観ていたら「贈る言葉」という主題歌が劇中でも演奏されたりしていて、たしか野村義男ともう一人のツインギターであったと記憶しているのだが、結構息がぴったりでタイミングもずれてなかったところが当時ちょっと羨ましくも思ったなどという思い出もあったりもするが、これは受験の心得とはまったく関係ない話である。


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