其の120 論争


 標題:それはおかしいんじゃない? 投稿者:松葉崩し
 先日から論争になっている「鶏のからあげ」についてわたしも一言。
わたしとしてはやはり揚げたての方が美味いと思うわけですよ。たしかにさかむけさんの言うことも解りますし納得できる部分もあります。しかしそれは現実を無視した考え方だと思うのですよ。事実さかむけさん自身、
>たしかに現実に存在できるかというのは別問題だと思います。
とおっしゃっているわけですから、さかむけさんの意見はかなりのところ「理想論」として語っているように見うけられるわけです。しかし理想は理想としておいておいて、現実問題さかむけさんのおっしゃる「究極のからあげ」というものは存在しえないし、また実際あったらあったでかえって大衆から疎まれる存在になるのでは、わたしはそのように思います。

 標題:それはおかしいんじゃない? はおかしいんじゃない 投稿者:駅弁
 松葉崩しさん、そういうことをさかむけさんは言っているわけではないでしょう。そもそもさかむけさん自身が問題提起をしたときから、
>これはあくまで仮の話として
 と断っているわけですよ。それなのに現実問題だとか実際はとか言うのはナンセンスでしょう。僕自身たしかにさかむけさんの提案を百パーセント受け入れられませんよ。しかしかなり共感できる部分も多いし、それにさかむけさんの情熱を応援したい、そういう気持ちもありますからさかむけさんの意見に賛成しているわけです。そこのところが見えないとこの論争(なのかな?)に参加すべきではないと思います。

 標題:塩を忘れていないか 投稿者:対面座位
 以前の「餃子とラー油」論争でかなり精神的にダメージを受けていた所為で、これまでこの「鶏のからあげ」論争を傍観していたんですけど、どうにも我慢できなくて登場しました。
 気づいている人は気づいていると思うんですけど(そう信じたいね)、これまでの論争のポイントはあくまで形状についてなわけですが、しかしそれだけではないではないでしょう。あくまで「からあげ」なわけですからいくら形状がどうのだとか究極のだとか言っても味に拘わらなければ意味がないと思うわけです。広辞苑によると
【調味料】テウ‥レウ:調味に用いる材料。味噌・醤油・砂糖・塩・酢など。
 とあります。テウ、そしてレウなわけですよ。ここんところが解っていないと話は進まないんじゃないかな。

 標題:独り言だと思って聞き流して 投稿者:帆掛け舟
 もらっても構わないんですが、実際「からあげ」に携わるものとして現状を書いておきます。
やはりさかむけさんのおっしゃる「究極のからあげ」は難しいですね。作るのは勿論のことですが、それによる波及効果とでもいうのでしょうか、以前ちらっと後背位さんが書いておられた、
>ビールの立場はどうなるのかな?
というのがありましたように、ビールとの折り合いがかなり難しく、作成はほぼ不可能ですし、その「究極のからあげ」という言葉を発すること自体かなり危険な思想の持ち主だと取られる可能性もあります。ただ夢は夢として無駄ではないと思うんです。さかむけさんも書かれていたように、
>軍隊はあくまで軍隊であっていくら名称を変更したからといってその機能にかわりはないのである。
これは真理だと思います。こういった面から言えばさかむけさんの問題提起は少なくともこの場では有効であったのではと思います。
 P.S. 昨日うちの猫のミーシャが死にました。

 標題:うむむ 投稿者:駅弁
 旗色が悪くなってきたぞ。皆さんのいうことは解るんですね。頭では。そりゃ無理ですって、そんなものを作るのは。ましてや店で売るとなれば官憲の目も気になってきますし、それ以上に一般大衆の動向が気になります。しかしですね、それはあくまで現実問題でして、この場ではより理想に沿った形でさかむけさん意見に賛同すべきではないでしょうか。少なくともここにいる人は愚かな一般大衆ではないんだから、そのあたりも含めた「戯れ」として処理し、おのおのの心の中で「究極のからあげ」を作り上げればいいんではないでしょうかね。
 P.S. 帆掛け舟さん、御愁傷さまです。僕も帆掛け舟さんと同様猫派ですのでその気持ちよく解ります。

 標題:なるほど 投稿者:立位背面座位
 駅弁さんのいうところよく解ります。たしかに感情の部分で「究極のからあげ」というものの存在を認めるべきなんですよね。
 P.S. わたしが飼っていた猫も一年ほど前に死にました。どうも農薬入りの団子を食べたのが原因のようです。誰かがその団子を庭に放り込んだのを家族のいない隙に食べたようなのです。一年経った今でもチャーちゃんの顔を思い出すと涙ぐんでしまいます。

 標題:誰もおかしいとは思わないのでしょうか 投稿者:松葉崩し
 そういうことなら駅弁さんの意見納得できます。
 P.S. しかし気になるのは帆掛け舟さんの猫の名前です。人には人の、犬には犬の名前というものがあるもので、やはり猫には猫の名前があるのではないでしょうか。わたしの感覚(他の人も同様だと信じたいですが)ではミーシャは熊です。熊の名前でしょう。ミーシャって。猫が死んだことには同情しますがこの問題とは別の話だと思います。

 標題:独り言だと思って聞き流して 投稿者:帆掛け舟
 わたしもそれでいいと思います。
 P.S. ちょっと待って下さい。松葉崩しさんの主張も理解できますが、猫の名前をつけることに携わっている現場の者としてはやはり納得できないものがあります。皆さんも御存じだと思われますが猫の名前の枯渇問題はかなり深刻で安易な気持ちで昔からある「猫らしい名前」をつけることは非常に難しくなっております。そこでうちの「ミーシャ」ですがこれは「猫の名前の枯渇問題」と「猫らしい名前」の双方を考慮した名前で、日本猫名委員会でも認められた名前なんです。このあたりのことも含めた上での議論であればこちらとしては応戦する覚悟はあります。

 標題:肉球を忘れていまいか 投稿者:対面座位
 以前の「牛のげっぷと角論争」でかなり精神的ダメージを受けたので傍観していたんですけど、誰も言わないんで(気づいていないのか?)登場します。
 猫の名前にはたしかに非常にデリケートな問題が内包されていると思われますが、しかし所詮名前なんですよ。つまり猫の本質ではないのですよ。やはりここで問題にすべきは猫の本質の一つ「肉球の気持ち良さ」ではないでしょうか。ぷにゅぷにゅ感を忘れた議論って無駄なような気がするんですよね。それに広辞苑によると、
【賃粉切】:手間賃を取って煙草の葉を刻むこと。また、その業者。洒、辰巳婦言「庖丁を引ツたくられた―か」
なわけです。刻むのですよ。そこのところを理解していないと話は進まないんじゃないかな。

 標題:久しぶりに参加します 投稿者:さかむけ
 あれえ、この間まで「鶏のからあげ」についての論争が続いていたと思ったんですが。やっぱり二三日あくと話題って転がってゆくものなんですね。そうそう、「猫の名前」ですが、わたしなりの見解を述べたいと思います。
 これはあくまでも仮の話なんですが、「究極の猫の名前」というのは存在しうるのではないでしょうか。これは一般性だとか現実的にどのような名前をつけるかということは抜きにした理想論なんですが、軍隊はあくまで軍隊であって名称を変えたからといってもその機能自体は変わらないわけです。取り敢えずこんなところで。
  P.S. やはり「鶏のからあげ」についてはどうも釈然としないものがあるのですが。ある程度の結論をまとめないことには論争は終了しないでしょうし。それとも皆は納得しているのかな?

 標題:ちょっと待って欲しい 投稿者:後背位
 猫の名前はいいんです。犬の立場はどうなるのでしょうか。非常に気になります。
 P.S. 「究極のからあげ」ですがさかむけさんのそれで別に問題ないと思います。

 標題:これまで御愛顧していただき 投稿者:正常位(管理者)
 誠にありがとうございます。突然ではございますが今月末をもってこの掲示板を閉鎖させていただきます。理由は「鶏のからあげ」も「猫の名前」も「犬の立場」もこの公共の場で論争しうるだけの力があるのか、そういったことに疑問をもったからです。皆さんには悪いですがわたしにとってはどうでもいいことばかりです。そんなことよりも地球の滅亡が気になります。というわけでこれまでありがとうございました。


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