其の122 それはちょっと言い過ぎではないか


 大学時代わたしが参加した数少ない授業のうちで未だに覚えているものに「社会学と心理学は同じ文学部にあることが多く、分野によれば共通する箇所が多くあるのだが大学内では何故か仲が悪い」と教授が漏らした大学の内部事情がある。社会学はその名の通り社会というものを扱い、個人というものをその社会というものを構成しているものとして考える。一方心理学は出発点は個人であってその延長線上に社会というものを見据えることが出来る。つまりそれぞれを一本のロープの端だとすれば出発点が反対なだけでそのロープの中心へはどちらからも到達することが出来るということである。もちろんどちらの学問も非常に多岐に渡るものであるからこのような説明は不適当であるかもれないが、たしかにそういった側面もないといえないところもあって、まったく社会学と心理学のことを知らない人に説明するときに、つまりは世間話として話すときの説明としてはなかなか解り易いものである。たとえば「ヒステリー」という言葉を考えてみる。一般的には感情の昂ぶりなどのことを指して、フレームの端っこが妙に尖った眼鏡をかけた教育ママなんかが「きい、スネちゃま、お勉強なさいざます」などと叫んだりするのをつい想像してしまうが、本来は神経症の一つとして医学なんかで扱われたり、また性格障碍の一つとして心理学などでも扱われる言葉なのであろう。しかし「集団ヒステリー」というと社会学よりで扱われる言葉になってしまう。根本は一つだがより大きい範囲を扱うと社会学、より小さな範囲を扱うと心理学と、こういった言葉のイメージからその違いを説明することも出来るのかもしれない。
 いつもより早く仕事を切り上げたわたしが帰宅したのは午後十一時三十分。わたし同様宵っぱりな父上母上妹君は炬燵の前でテレビを見ながら談笑していた。ここ数週間、仕事から帰ってくるのが遅かった為に家族の面々を前にするのは久しぶりである。やや照れながらもいつものように振る舞う。
「はあ、疲れた。飯か何かある?」
「ああ、そこに晩ご飯の残りがあるからチーンして食べ」
「わかった」
 といそいそと遅い飯の支度をしておると何やら母上父上の声が聞こえてくる。喧嘩とまではいかないがちょっとした言い合いになっているようである。仕事帰りで疲れているわたしは口論に巻き込まれないようレンジで温めた晩飯を盆に乗せ、口論がやや収まった頃を見計らって炬燵に背を向けこそこそと盗人のように自室へと向かっていると、背後から母上の「ちょっと待ちい」という声がして、振り返るとどうやらここで飯を喰えとのことである。
「だいたい、自分の部屋にご飯もってったらこぼしたりするやろ。虫が湧くからここで食べ」
「そんな、こぼさんって」
「こぼさんかったとしてもあんたは食器すぐにもってこないから、あかん、ここで食べ」
「うう、わかった」
「それは兎も角、ご飯食べる前にちょっとこれ見てみ」
 手にとってみるとそれは関西電力よりの今月の請求である。金額を見てみるとかなりな額である。
「これがどうしたんや」
「これみて何も思わんか。わたしこれ見てびっくりしたわ。何でこんなにかかったと思う?」
「さあ、暖房器具使ってるからかなあ。先月から今月にかけて寒かったし」
「それもあるなあ。でもな、言いたいことはそういうことと違うねん。あんたのコンピュータやけど、ずっとつけっぱなしになってるやろ。それも三台も。何で?」
「え、まあ、電源落とすと、ちょっと怖いことになるし、前も電源落としたらいきなり動かなくなって……」
「たしかに暖房代もかかったからこんなに電気代かかってるんやと思うけど、無駄な電気は消しとかなあかんのと違うか、そのコンピュータって電源落とせないっておかしいんと違うか」
「い、いや、まあ、色々と設定をいじくってるから……」
「せめて仕事行っている間くらいは電源落としとき。デンコも言ってるんと違うか、電気は大切にせないかんって」
「デンコって関西にはないやろ」
「そんなことはどうでもいいねん。これからは電源落としてから仕事行き、わかったあ?」
「……い、いや、まあ、出来る限り善処いたします」
「そんでや」
 今度はくるりと父上の方へ向いた。
「朝やけど、あんたも電気消してから出るようにしてちょうだい。いつ帰ってきても電気つけっぱなしやんか。なんで?」
「……う、うむ、ええと、一番に帰ってくるとな、まっくらやろ。それでな、いや……」
「なによ、帰ってきたらまっくらなんが嫌なん」
「……い、いや、な、コ、コロがな、寂しいかなあとか思って……」
「何ゆうてんの、コロは寝てるから大丈夫やろ、ほんま犬ばっかりで、この間もコロの散髪行くからって仕事休むし、散歩に行きたがってるからって仕事休むし。いい加減にしといて。ほんまよう似てるわ、あんたら。電気無駄にするところも似てるし、給料落とすのもよう似てるし、ほんま似てるわ」
 くう、母上よ。今日は何だかきついぞ。最後の給料落とすのも似てるって、たしかに父上も半年ばかり前に給料を入れた財布を落としたし、わたしもこの間同じように給料の入った財布を落としたが、それが遺伝の所為だとは言い過ぎではないか、母上よ。くそ、獲得形質はな、遺伝しないんだぞ、しかもなあ、子供が二十七にもなってから遺伝も何もないだろうが、これくらいしか言い返す言葉が浮かばないのであるが、しかし何か反撃しないとどうにもおさまらなくて、じっと母上に言い返すタイミングをはかっていると、家庭内の不穏な動きを感じ取ったか犬のコロ君、母上の側までトコトコ歩いてきた。すると母上、さっきまでの剣幕はどこへいったやら、犬のコロ君抱き上げて「コロくんの所為ことじゃないからねえ、怖かったですかあ、大丈夫大丈夫。悪いのはここの二人だからねえ」などと満面の笑みを浮かべているのである。と、感情の起伏が激しかった母上をもってヒステリーなんてものを書こうなどと思ったのであるが、心理学だとか社会学などというよりも、こういうのは単にきまぐれと言うのだなあなどと、ここに至って冒頭の部分の無意味さに気づいてしまうのである。


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