其の132 宗教さん


 商談において宗教を話題にするのはよくないと言われる。
「わかった。契約の方は何とかしよう」
「有り難うございます」
「いやいや君の熱意に負けたんだよ。うちの若手も君くらいガッツがあればいいんだが」
「いえいえ、滅相もない。営業の坂本さんもなかなか面白い方で、色々と勉強させてもらってます」
「ほう、坂本君がね。彼はどんな話をするのだい。あまり彼とは話をする機会がないものでな」
「ほんと話題の豊富な方で、そういえばこの間、最近話題のにゃんまげ教の話をされまして、ほんと面白い方ですよね」
「……にゃんまげ教か、どんな風に言ってんだ、坂本君は」
「あのにゃんまげさまというんですか、あの縫いぐるみのチープさだとか、あまりに情けない表情だとかですね……ん? どうかされましたか?」
「……悪くいうな」
「へ?」
「……悪口いうなああ、にゃんまげさまのことを悪く言うなあああ!」
「ひい、すいませんすいません」
「にゃんまげさまは素晴らしい御方、侮辱することは許さない、わたし怒る、あなた許さない」
「ひいい」
 という具合に突然態度が豹変することが往々にしてあるものだから商談において宗教の話はよくないとされるのである。これは別段商談でなくとも宗教というのは非常にデリケートな問題を含んでいて、相手のことをよく知らない場合迂闊に話題にしてはいけないことが多い。わたしのように無宗教の人間は出来るだけ相手のことを刺戟しないよう宗教の話題は極力避けるようにするものなのだが、反対に宗教の人というのはこちらがどんな人物かよくわからないにもかかわらず自分の宗教の素晴らしさについて語り始めることが多く、特に非常にアグレッシブな新興宗教の人なんかは道で偶然通りかかっただけのわたしをつかまえて嬉々として彼の信ずる神について語り始めるのである。
「……最近、幸せだなあと感じることがありますか?」
「そうですねえ、コンピュータゲームにフリーセルというのがあるんですけど、一発でクリアしたりすると幸せを感じます。あとカレーを食べているときも幸せを感じています」
「そうですか。でもそれは本当の幸せと言えるでしょうか」
「心底幸せです。ですから失礼します」
「ちょ、ちょっと待って下さい。もう少し話を聞いて下さい。あなたがカレーを食べて幸せを感じている間、世の中には随分酷いことになっている人が大勢いるんです。そういう人達の存在を知りながらカレーを食べるのは幸せだと言えるのでしょうか」
「その人たちもわたしのようにもっとカレーを食べれば幸せになると思います。ですから失礼します」
「ちょ、ちょっと待って下さい。でもですね、聖書にも『人はパンのみで生きるにあらず』とありますよね」
「そうです。カレーも食べないといけません。ですから失礼します」
「いえ、そういうことが言いたいのではなくてですね、ええと、そうですねあなたのようにしっかりとした考えがある人ならばわたしたちと仲良くできると思います。この近くにですね、我々『ルチャリブレの会』の本部があるんですが、少し寄ってもらえればわたしたちの会の主旨をもっと理解してもらえると思うのですが」
「その『ルチャリブレの会』というのは何かの宗教なんですか?」
「いえ、そういうのではありません。世の中のことをもっと勉強しようという集まりです。ただその勉強の中心にですね、ミル・マスカラス様がいるだけで」
「困りました。わたしはあらゆる宗教を否定する宗教に属しているもので、その会合には参加できないのです。ですから失礼します」
「では、そのあらゆる宗教を否定する宗教についてのお話しを『ルチャリブレの会』の本部でお聞かせ願えませんでしょうか」
「それも困りました。わたしの属しているあらゆる宗教を否定する宗教というのは、他の宗教に属している人間に我々の教義を説くことを禁じているのですよ。ですから失礼します」
「ま、待ってくださいよ、もう少し話しましょうよ」
「申し訳ない、これからカレーを喰いに行くもので忙しいのです。では」
「そんなカレーなんかどうでもいいじゃないですか」
「……悪口いうなああ、カレーの悪口いうなあああ、カレー、おいしい、侮辱許さない、わたし食べる、カレー」
「わ、わかりました、また機会がありましたら、で、では」
 などと気違いの真似をしてやっと宗教の人から逃れることが出来るのである。
 学生の頃の話だが徹夜のバイト明け、大阪は天王寺というところでこういう宗教の人にまとわりつかれたことがある。最初は徹夜明けだったこともあって妙にテンションが高くなっており、揶揄ってやろう、そのくらいの気持で相手をしていたのだが、途中話が込み入ってきて、科学万能主義についての討論になってしまった。何でも相手の宗教の人の主張は科学の進歩によって人間性というものが失われ世の中が段々悪くなってゆくというものである。こっちは徹夜のバイトで一万程の金を得るのに必死であるのに、相手の宗教の人はこざっぱりとした服装で呑気に平日の朝っぱらから宗教の勧誘をしているものだから妙に腹が立ってきて、普段そんなことを考えたこともないくせに相手の主張に一々反論をしたのであった。といっても頭が朦朧としていたものだからしっかりとした意見ではなく非常に適当であったはずであるが、それでも宗教の人にとっては説得力があったようだ。すると困った宗教の人はわたしを説得すべく、どこにいたのか五六名の同志を集めて、わたしを取り囲み一気に論破しようとし始めたのである。皆それぞれ順番にわたしに質問を投げかけそしてわたしの回答に反論するのである。相手が一人ならば何とか戦えるが、流石に五人も六人もを相手にしてはまともに話すことなどできない。
 宗教さんA「でもですね、その考えでゆくと、原爆だって肯定することになるでしょう」
 わたし「だからといって科学の進歩というものを否定するというのもおかしな話だと思うんですけど」
 宗教さんB「結局心の問題なんです」
 宗教さんC「そう思いませんか?」
 わたし「いや、そんなことを言っているのではなくてですね」
 宗教さんD「いえ、そこが問題なんです」
 宗教さんE「その辺のことも集会に来てもらえればわかってもらえると思います。これから来てもらえませんか?」
 わたし「……い、いや……」
 宗教さんF「ね、行きましょうよ。そこでさっきの原子力についての話をしましょう」
 わたし「え、ええと、いや」
 宗教さんA「ね、そうしましょうよ。原子力の話をしましょうよ、ね」
 宗教さんB「そうしましょう。行きましょう。近くですから」
  わたし「うううう、ピカア、ゴロゴロゴローーー、ドカーーーン、ひゅーーん」
 そう叫んで一目散に走り去ったのであった。何故かわたしは最後に気違いの真似をして逃げ出してしまうのである。
 そういえば高校生の頃も家に宗教の人がやってきたことがある。相手にしなければ良いのだが暇を持て余していたわたしは三十も半ばを過ぎたおばさん宗教さんの話を聞くことにした。その人によると大昔世界の動物は皆仲良しでどの動物も食べる食べられるといった関係がなく、一種のユートピアであったということである。絵本のようにイラストが沢山入ったパンフレットをわたしに見せながらその人は如何に昔は良かったかを語るのである。
「ほうらねえ、こんな風にライオンさんもシマウマさんも一緒に寝そべっていたんですよお、昔は素晴らしい世界だったんですねえ」
「じゃあライオンさんは何を食べてたんですか?」
「ううんとねえ、ライオンさんも草を食べていたのよお、昔は優しかったのよお、ライオンさん」
「へえ、そうなんですか。ではどうしてライオンさんは肉を食べるようになったんですか」
「それはねえ、動物たちが神様の言うことを聞かなくなってしまってねえ、神様が罰としてお互い食べたり食べられたりする関係をこしらえてしまったの」
「神様って酷いことするんですね」
「ち、違うのよ。これは神様が悪いのではなくて動物たちが悪いの。だって神様の言う正しいことをするのを怠ったんだから」
「そうなんですか。ではこれからどうしたらいいんですか。いきなり元のように草ばっかり食べるようにしたら生態系が崩れてとんでもないことになりますよ」
「それは大丈夫。だって草って沢山あるから。それより集会に来ませんか。高校生なのに真剣にわたしの話に耳を傾けてくれるんですから他の人たちとも話が合うと思いますよお」
「え、い、いや、集会はですね、それよりそのパンフレット貰えますか。他の友人に見せたいもので」
「集会に来てくれたら、このパンフレットあげますよお」
「いや、じゃあいいです。そのパンフレット要りません」
「そう残念ねえ。でも集会には来てくれるんでしょ?」
「え、えと、いえ、ああ、そうそう、動物を食べるのは良くないけれど、植物を食べるのはいいんですか? 同じ生物でしょ」
「いいの、だって植物は身体にいいのよお。だから大丈夫。ね、集会に行きましょうよ。ね、ね」
「い、いや、ちょっと、それは……」
「じゃあ、また来ますよ。集会に来てくれるまで、また来ます。ですから一度でいいから集会に行きましょうよ」
「いや、それは、困り……」
「ねえ、いいでしょ」
「……植物さん、可哀想。植物さん、可哀想ですう! 植物さんだって生きているんですう! それなのに食べていいなんて酷いですう! 食べられると痛いですう! 草ばっかり食べるのはよくないですう!」
「いや、ああ、そうねえ、じゃ、またね」
 高校生の頃も最後は気違いの振りをして宗教さんから逃げ出していたのであった。


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