其の134 ダは駄目人間なのだのダ


 わたしの職場では四月になると、数年に渡って顔を突き合わせていた者がいなくなったり、初めてわたしと出会う案外不幸なのかもしれない者がいたりとわたしの周りを徘徊する餓鬼共の顔ぶれも変ってくる。しかし幾ら顔ぶれが変ったといっても、彼ら餓鬼共というのは生きてきた年数が短い所為か非常に画一的でどれもこれも大して変りがなく、これまでの経験内で彼らへの対処を執り行うことができるのだが、ときどきこちらの意表をついた餓鬼も現われることもあり、いくら偉そうにしていても所詮は二十代の餓鬼のわたしであるから経験不足の面もあって彼ら「意表をつく者」にどういう顔をすればよいかわからないことが多い。
 わたしは仕事場で便利屋として扱われているのか下は小学二年生から上は中学三年生までを相手にしていて、中学生ともなると何の為にわたしの職場に来ているのか理解しているから初めてわたしと会う者でもそれなりの態度でもってわたしと向き合うから良いのだが、ここに初めてやってくる小学二年生などは何をしにきているのかちっとも理解していないようであり、席に座らせるということから始めなければならない。
「中村くん、ここに座って勉強しようねえ。ほらこの本の三ページを開いてねえ、この問題やってみようかなあ」
「だあだあ」
「こらこら、こっちに座りなさい。そうだなあ、ここにきちっと座ってお勉強してくれたらいいものあげよう」
「うまうま、だあだあ」
「手の中に入っているものは何かなあ。ほうら手が膨らんでるよお。よおし、こっちに座って、こっちだよお」
「だあだあ」
「よしよし、そうだねえ、偉いねえ中村くーん、きちんと座ってくれたからいいものあげようねえ、ほい飴ちゃん」
「だあだあ」
 とまあこんな情けないことをしているのだが、これもこやつら馬鹿な餓鬼共に将来に渡って金を落とさせるための営業なわけで、机に向かわず駆け回る餓鬼をきちんと座らせるのも仕事の範囲なのである。であるからわたしの職場に何をしにきているのか理解せず駆け回る餓鬼というのはわたしの考える餓鬼共の範囲であって、たしかにわたしを疲れさせる存在ではあるが彼らは意表をつく者ではない。意表をつく餓鬼というのは一見普通の顔をしながら机に向かっているものである。
 たとえば小学二年生の村上君は一見物静かな少年でそこそこ勉強が出来そうなのだが、ところが彼の問題集を覗いてみるとそこには問題集を制作した人間の意図などまったく無視したかのように大きく落書きがしてあったりする。そしてわたしが覗いているのにもかかわらず村上君は悪びれる様子もなくにこにこしながら大いに落書きを楽しむのである。
「こらこら、村上君。これはねえ、落書き帳じゃないんだよお。ここにいっぱい字がかいてあるでしょう。ここに書いてある問題を解くんだよ」
「だあだあ」
 などと怒りを腹に押し込めながら優しく言ったのであるが、彼の落書きを見てぎょっとした。そこには色々と人の顔らしきものがあったのだが、すべての顔に何故か角が生えているのである。それもキン肉マンに出てくるバッファローマンのような角である。
「うーん、ここの人には全部角が生えているねえ。どうしてかなあ。この人は誰かなあ」
「だあだあ、ママ」
「え、これお母さんなのかあ、どうして角が生えているのかなあ」
「だあだあ」
 わたしの言葉が気に障ったのかぷいと横を向いて再び落書きを続けるのである。
「ねえ村上君、今は勉強の時間だからねえ、落書きするのはやめとこうね」
「だあ、わかった」
「そうかわかってくれたかあ。偉いねえ。ところでこっちの人は誰かなあ。頭から血が出ているのかなあ。それとも汗をかいているのかなあ」
「だあだあ、喰われているの」
 その額から血が流れている顔の横には車体全体から刺が出ていて触れば怪我をしそうなパンクロッカータイプの車が描かれている。そしてその車の先端が口のように大きく開かれておりその口には何本もの牙があったりもするのである。
「そ、そうなのかあ。喰われているのかあ。大変だなあ、その人も。それでその人は誰なのかなあ」
「だあだあ、パパ」
 これは噂の病んでいる子供というものではないか。よく心理療法か何かで適当に絵を描かせると妙に暗い色ばかり使った気持の悪い絵を描いてしまう子供ではないか。
「そ、そっかあ、お父さんも大変だなあ」
 などとよくわからないことを言いながら村上君から離れたのだが、しかし病んでいる子供を相手に商売しなければならないというのもちょっとどうかと思う。このあとも怖々授業を続けたのであるが、村上君はわたしの忠告を受け入れ落書きをするのをやめてくれたのはいいのだが、問題の解答をしていると困ったことを言い出すのである。
「ここの答えは何かなあ、じゃあ村上君言ってごらん」
「ウー、ウは馬蹴りのウー!」
「ち、ちょっと待って。馬蹴りのウって。ええと、普通にウって言うだけでいいんだよお」
「だあだあ」
「そ、そうかわかってくれたか。じゃあ次の問題の答えも村上君に言ってもらおうかなあ」
「エー、エは餌食のエー!」
「そ、そうかわかった、餌食のエだよねえ。ね、わかったから普通にエって言ってね。みんなちょっと怖がってるし」
「うん、だあだあ」
 まったくどう対処して良いかわからないのである。このあと村上君は突然自分の首を締め始めて「どれくらい我慢できるか試したの」と言ったり赤ペンで手首のあたりを真っ赤にして「血が出たあ」と言ってみたりとかなり奇矯な振る舞いをしてわたしを困らせたのである。
 これからの村上君には興味があるが、しかしわたしのような者がこの病んでいる子供と付き合っていて良いのだろうかという疑問が浮かんできたり、やっぱり病んでいる子供だけに「ヤンデルセン童話」を読んでやろうかなどとしょうもない駄洒落も浮かんできたりするのであるが、取り敢えずこの先の展開に期待したいなどと無難な終わり方をしたりもする。
 ということで「オー、オはおしまいのオ!」


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