其の140 探さないでください


 ここ一週間、とある事情により車が使えなくなり電車通勤をしていたのだが、就職して以来電車での通勤という経験をしたことがなかったのもあり、また時間帯もラッシュ時ではなかったのもあって妙に新鮮な感じであった。車による通勤に比べると不便で時間がかかるのにもかかわらず、車中で読書に耽ることができるだとか、眠っていても確実に目的地に到着する電車というのは便利な乗り物であるだとか、大阪のおばちゃんの会話はやはり面白いだとか、車中で携帯電話で話している人が妙に多いだとか、いろいろと発見もあったりして、それなりに充実した一週間であったようにも思える。そういった発見の中でもっともわたしの琴線に触れたものは最寄りの駅から家へと向かう道にある掲示板の存在である。わたしはどうもいつでも何らかの文字を眺めていないと間が持たないらしく、車での通勤途中の信号待ちでさえ読書に充てたり、カラオケボックスで何か歌いたい曲を探している振りをしながら何度も前から読み返していたり、駅のホームの広告を凝視したりと、その文字列にどんな意味があろうとその文字列がどんな価値のあるものだろうと等価に見てしまう癖があって、歩いているときもよく何か「読めるもの」を探してしまう。そんなわたしであるから帰宅途中の道で何やらいろいろと書いてある掲示板が気にならないわけがない。その掲示板は以前見たときは某政党の政策だのといった貼り紙があってのだが、最近はそういった政治色が薄まり、どうやら尋ね人のコーナーとなっているようなのである。交番やパチンコ屋で見掛ける指名手配などなら別段珍しいものではないが、ここの掲示板の尋ね人の貼り紙は個人的に貼っているものが多く、それは涙あり笑いありのハリウッド映画顔負けのドラマがあるのである。
「四角い顔です」
 B4の用紙を縦に使い、その上の方にタイトル然として書かれてあるのがこれである。「四角い顔です」。これ程インパクトのあるキャッチコピーは見たことがない。我々はこのキャッチコピーを見てしまったのなら、必ず何らかの反応をかえさざるを得ないのである。たとえば、四角い顔というのは比喩的な意味合いで使われるだけで実際尋ね人の特徴をあらわす表現ではないのでないかというこの貼り紙制作者に対する異議であったり、本当に四角い顔なのかという疑惑であったり、そして四角い顔じゃなくって良かったという安堵など、何らかしらの反応をかえさざるを得ない強い主張がこのキャッチコピーにはある。そしてこのキャッチコピーの下に目を移すと、そこにはモノクロの写真があり、その写真に写っている男は本当に四角い顔なのである。数学の教科書に顔ごと載っていそうなくらい四角い顔である。テレビのモニターがきっちりと埋まりそうなくらい四角い顔である。「四角い顔です」のキャッチコピーには嘘偽りはまったくない。非常に真摯な姿勢が伝わるキャッチコピーだと納得するのである。
 その顔写真の横にはこの人物の特徴がこと細かく書かれてある。身長体重服装利き腕といったものや失踪する以前の職種なども書かれてある。
「マヨネーズが好きです」
 こんなことすら書かれているのである。マヨネーズの入った容器をいつもしゃぶっているのなら兎も角、こんなことを言われてもちょっと困るではないか。この貼り紙の制作者は如何なるドラマを考えてこんな一文を入れたのであろうか。最近よくうちの店に来るようになった人で四角い顔の人がいるんだけど、そういえばその人どこなく怪しげなのよねえ、どこに住んでいるのかわからないし。その人って店に入ると「取り敢えずマヨネーズね」っていうんだけど、もしかしたら……こんなドラマをも考慮しているのであろうか。
「カラオケのときマイクを回します」
 失踪しているのに呑気にカラオケなんぞでマイクを回しているのかどうかわからないが、そんな細かいことすらこの貼り紙には書かれている。探している人の真剣さが伝わる。
「怒ると目が三角になります」
 顔が四角で目が三角なのである。しかしこれも慣用句的な表現であって実際は違うのではないかと再び顔写真へと目を移すのだが、流石に目が三角ではなかった。正面からの写真なのであるから怒っているはずもなく、惜しまれるところである。
「携帯電話の着信メロディーに『踊るボンポコリン』を使っているかもしれません」
 少し弱気であるが、失踪したのだから携帯電話も別のものに変えていることであろう。新しいものに交換したとき面倒くさくてデフォルトの着信音のままにしてある可能性もある。これが推量的表現を用いている原因であろうか。
「口笛が下手です」
「スキップが出来ません」
「ポロシャツの襟を立てます」
 ここに至ってこの人は真剣に探しているのかどうかわからなくなってきたりするのである。
 また他の貼り紙も負けていない。
 十七歳の男子高校生が家出したようなのだが、この高校生、二十七歳のOLと一緒に逃げているのである。家族の反対。年齢の差。世間の冷たい目。そういったものからの逃避行である。何となく応援したくなってくるではないか。しかしこの二人の写真が妙なのである。二人は顔を近づけて幸せそうに笑っているのであるが、かなり拡大したようでぼやけているのである。そしてその写真の端には丸いつるつるの頭らしきものが写っており、そしてそのつるつる頭の先にはタケコプターが付着してある。ドラえもんである。これはぷりくらを拡大したものに違いない。しかしこんなぷりくらを手がかりに貼り紙を制作した親の気持を考えるとこの家出高校生とOLに説教の一つもしてやりたくもなる。これが狙いなのだろうか。
 ワープロで書かれた貼り紙が多いなか、手書きのものは却って目立つことになる。
「パパ、かえってきて」
 稚拙な文字が涙を誘う。こんな小さな子供を残して失踪するとはなんて父親だ、可哀想だとは思わないのか、そう考えてしまうのである。しかしやり過ぎはよくない。幼い子供が一所懸命に父親を探している、そういった体裁を整えているのは世間の同情を買おうとしているのだろう。その戦略は基本的には間違ってはいないと思うが、それでも父親の顔写真を載せる代りに子供がクレヨンで描いた絵を載せるのは如何なものか。あまりに稚拙過ぎてその父親の顔がまったくわからないではないか。その上、父親の顔の背景には太陽が描かれているのである。ぐるぐると丸を描き、そしてその丸の周りからふにゃふにゃと髭のようなものが生えている太陽である。それだけならまだいい。背景が寂しかった為つい描いてしまったのだろう。しかし父親の顔の下には異常に細い身体も描かれていて、なんとその手の部分はピースサインをしているのである。この絵に説明がなかったら、誰も失踪した父親の似顔絵だとは思わないではないか。これではただの「お父さんの絵」ではないか。誰もチェックする者がいなかったのだろうか。
 いろいろとドラマのある尋ね人掲示板であるが、もし自分が失踪したとしたらどんな貼り紙が作られるのだろうか。
「貧相です」
「眼が悪いです」
「携帯電話の着信メロディーはビートルズの『ノルウェーの森』かもしれません」
「貧乏です」
「リズム感がないです」
「バッキングが下手です」
「かといってリードをとれるわけでもありません」
「ペンタトニックスケールくらいしか覚えていません」
「それすら怪しいところです」
「チョーキングのとき顔が歪みます」
「よくわかっていないことでも知っている振りをして話を流します」
「人の話をよく聞きません」
「夜中に名古屋へ向かう途中車を故障させます」
「カレーを口の周りにつけっぱなしで街を歩きます」
「カレーが好きです」
「カレーを愛しています」
「カレー命」
「カレーまみれ」
 こんな貼り紙を近所に貼られるくらいなら失踪する前に舌を噛み切って死んでしまうかもしれない。


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