其の143 前田くん


 義務教育で三年、高校で三年、大学で五年と、合計十一年もの間英語に親しんでいたわけなのだが、わたしはこの方面に関する才能がまったくないらしく、未だにLとRの正確な違いを聞き取ることができないし、またうまく発音することもできない。たしかRは舌を巻くように発音するのだと習った覚えがあるのだが、実際そういった舌の動きまで考えて単語を読もうとすると、途端滑らかに単語を読むことができなくなってしまう。
「Guns……ええと、Rは舌を巻きながらで、でも上顎に舌を当てるのは駄目だったんだっけ? ええとええと……るろおおおぜえず!」などとRの入ったバンド名を読むときでさえ舌の動きを考えながら発音しようとするのだから、非常に間の抜けた言い方になってしまう。英語の発音にコンプレックスがあるものだから、しっかりと発音しなくてはと気合いが入り過ぎ、かえって発音のまずさを目立たせてしまうのである。これはギターの演奏にも言えることで、リズム感の悪さを隠そうとしたいが為気合いが入り過ぎ前ノリになってしまう、この構造とよく似ている。どちらにしてもちょっと情けないことになっているのだ。
 しかも困ったことにそんなコンプレックスをもっているにもかかわらず邦楽よりも洋楽の方が好きで、ギターを弾きながら歌うことになると洋楽を選んでしまうという面があるのだ。
「うわーざー、ふらいんー、あう、らいく、えんどれす、れいん、いんつう、あ、ぺぱー、かっ」などと拙い発音でかつ拙いストロークでもって歌うものだからまったく公害以外の何ものでもない。そうはわかっているのだが、非常にまれに発音演奏ともにうまくゆくときもあって、その偶然が今回来るはずだと、ついつい歌ってしまうのである。仮に発音がうまくゆく確率が十分の一、演奏がうまくゆく確率が十分の一だとすると、その両方がうまくゆく確率は百分の一となってしまうわけで、つまり百回歌って一回しかうまくゆくことがないのである。それが一回目に来て欲しい、いや来るはずだ、来るにちがいない、お願い来てくれ、と願いながらギターを手にとり歌ってしまうわたしは、これまでの負けを取り戻すべく全財産を最終レースに賭けてしまうしょぼくれ中年と相似形である。当たり前だが、そういった幸運はそうそう来るはずもなく、よって結果として公害を撒き散らすことになってしまうのである。ごめんなさい。
 ギターの演奏の方は日常ギターをもって歩くことがないことから、隠しとおすことが出来るのだが、英語の発音の方はそうはいかない。何かと英語を読まなければならない機会も多い。
 高校生の頃、大阪は梅田の喫茶店でアルバイトをしていた。その店は繁華街にあるということで外国人も結構やってくる。きっかけは思い出せないのだが、気づいたら何故かわたしが外国人の接客係になっていたことがあった。英語を読むことも話すことも、もしかしたら英語で一から十すら言えないんではないかと思われる従業員が多数を占めるなか、わたしは英語に関してなかなかの逸材であるという、ある種「めくらの国では片目が王様」といった状況に置かれたのである。誰もわたしの発音や文法が間違っているということに気づくこともなく、わたしが外国人からオーダーを取ってくることが出来るのは懸命な身振り手振りであることを見破る者もいず、外国人が来たらわたしに任せるというちょっとどうかと思われる状況になってしまっていたのである。気づくとそういった状況になっていたわけで、今更まったく英語が駄目なんだということも言い出せず、しかも元来お調子者のわたしであるから皆の尊敬の眼差しが向けられると「いやね、外国人といっても人間なわけですよ、フランクに自分の感情を表に出せば伝わりますよ。要はその外国人の気持になることです」などと偉そうなことを言ってみたりもしたのである。
 具体的にどのように対応すれば良いかといった技術論ではなく精神論しか語らないのだから少し考えてみればわたしがちっとも英語に堪能ではないことくらいわかりそうなものなのだが、誰一人として疑う者はいなかった。そしてもちろん同じバイトの前田くんもその一人である。前田くんはわたしよりも一つ年上のフリーターであったのだが、どこかわたしのことを「凄い人物」だと勘違いしている節があって、何かわからないことがあると大抵わたしに訊くような人であった。漢字の読み方がわからないと、わたしに訊く。ブラジルでは何語を話しているのか、わたしに訊く。フラメンコとフラダンスの違いを、わたしに訊く。どれもこれも適当な返答しかしていないのだが、それでも前田くんはそれなりに納得したような顔をするのである。そんな前田くんであるから、わたしの対外国人接客法を素直に受け取ったのも仕方ないのかもしれない。
 たまたま厨房の人間が足らなくなってわたしが厨房に回ることになった。その喫茶店は厨房とウェイターとではユニフォームが異なっており気軽に厨房係からウェイターへと変わるわけにはいかない。ウェイターは前田くんと女の子と二人である。通常はその時間帯は暇であり、よって接客係が二人でも大丈夫であると店長は考えたのであろう。実際暇であった。我々バイトはたまに来る客を適当にあしらいながらどうでもよい会話に興じていた。そのときである。六名の外国人が店に入ってきたのである。慌てたのは前田くんである。一人の外国人ですら恐れ入ってしまっていきなり土下座をしかねない外国人恐怖症に罹っている前田くんであるから六名もの外国人が入ってきただけでもう切腹しかねない勢いで慌てている。
「ど、どうしよう。もう座ってしまってるよ。かわってくれないかな」
「駄目ですよ。この服装で接客はできないっすよ。頑張ってオーダー取って下さいよ」
「で、でもどう言えばいいかわからないよ」
「落ち着いてくださいよ。大丈夫ですって。喰われたりしませんから」
「でも……」
「外人といっても人間なんですから。普通にしてれば怖くないですって」
「で、でもよお……俺怖いよ……」
「外国人の気持になれば大丈夫ですって。お互い『宇宙船地球号』の乗組員なんですから」
 このあたりからわたしが前田くんの慌てぶりを楽しんでいたことは誰の目にも明らかであった。もう一人のウェイトレスの女の子は「宇宙船地球号の乗組員」という言葉に半笑いである。
「そうだ、前田さん。前田さんは外国人なんです。思い込めば大丈夫っすよ」
「でも俺福井出身だし」
「だから思い込むんですって。人間思い込めば何だってなれるんですから。竹やりでスペースシャトルを落とせます」
「そ、そうかなあ、や、やってみるよ」
「そうです。前田さんは今から前田さんじゃないんです。アメリカ人のポール・マクドナルドです」
「そんなハンバーガーみたいなのでいいのかな……」
「大丈夫っすよ。マクドナルドはモスクワにもあるんですから。世界共通です。頑張って、マクドナルド」
「そうよ、頑張ってね。マクドナルド」
「わかったよ。頑張るよ、おいらはマクドナルドだ」
 一人称を突然「おいら」に変えるところが前田くんが暗示にかかりやすいところでもあり、彼のアメリカ人像なのであろうか。ともあれ前田くんは彼なりのアメリカ人を演じつつ六名もの外国人相手に臆することなくオーダーを取りおえたのである。
「やるじゃないっすか、マクドナルド」
 我々がオーダー取りから帰ってきた前田くんに見たものは紛れもないアメリカ人マクドナルドであった。なぜならば前田くんはアメリカ人がよくやる両手を広げながら両肩を僅かに上げる仕草でもって
「やれやれ、とんだ災難だったよ」
 と、満面の笑みを浮かべながら我々に言ったからである。後ろから笑い声が起りそうな、それくらいのアメリカ人っぷりであった。
 しかし前田くんの受難はこれで終わったわけではなかったのである。注文の品をすべて作りおえたわたしは六名の外国人を観察していた。狭い店内であるから朧げながら会話も聞こえる。そのときわたしが耳にしたのは驚くべき事実を含んでいた。時折「いっひ」だの「……たーく」だの「であー」だのと聞こえるのである。彼ら六名はドイツ人であった。ドイツ人でなくてもドイツ語圏の外国人であったのである。わたしはアメリカ人を演じ切った前田くんを呼び耳打ちした。
「あのですね。マクドナルドさんには悪いですけど、あの外国人ですね、どうやらドイツ人みたいですよ」
「ええ、ど、ドイツ人なの。どうしよう」
「一応追加オーダーがなければ別にマクドナルドでも問題ないでしょうけど」
「そ、そうだよな。でも、もし追加オーダーか何かあれば……」
「そうですね。そのときはドイツ人になるしかないですね」
「ドイツ人って言われても見当もつかないよ」
「ええと、取り敢えずポール・マクドナルドはやめときましょう。ゲオルグ・ショーペンハウエルというのでいきましょう」
「何だよ、そのしょーぺんはうえるって」
「哲学者ですよ。僕もよく知りませんけど」
「何だか難しいよ。もっと簡単なのないのか」
「じゃあ、ゲオルグ・ヒットラーというのにしときましょうか」
「いいのか、ヒットラーって」
「別に名前を名乗るわけではないんですから大丈夫っすって。気持の問題ですから」
「そうだよな……」
 そうこうしているうちにドイツ人たちはこちらの方に手を揚げて前田くんを呼んだ。
「頑張ってくださいね、ヒットラー」
「大丈夫っすから、ヒットラー」
「わかった、頑張るよ。ヒットラーだもんな」
 そういうと途端きびきびした足取りで六名のドイツ人へと向かっていった。しかし先程と違って何だかドイツ人たちは怪訝な顔をしている。やや時間がかかったものの無事追加オーダーを聞きおえた前田くんはほっとしながらわたしの元に帰ってきた。
「どうしたんすか、何だか変な顔してましたけど」
「いや、別に普通にドイツ人らしくしてたんだけどな」
「何かしましたか」
「ううん、さっきはマクドナルドだったから、オーダーをききながら『ふーんー』だとか『いえーす』だとか言ってたんだけど、今はヒットラーだからね」
「何かまずいことでも言いましたか」
「相手がオーダー言う毎に『はいーる』と言っただけなんだけど」
「はいーるって『ハイル・ヒットラー』のハイルですかああ」
「そうだよ。ハイル・ヒットラーって『はい、ヒットラー』という意味じゃないの」
 そこまで言い切るのだからわたしも違うとは言いにくく、それでいいんですよ、多分ドイツ人たちも日本人がきちんとしたドイツ語を話すとは思わなかったでしょうね、と濁すだけであった。
 ドイツ人が帰るとき、前田くんは未だドイツ人を引きずっていたのだろうか、元気よく「はいーる、少々おまちくださーい」と言ったのであった。
 そんな前田くんであったのだが、彼は他にも色々と興味深いエピソードを残していて、たとえばあるときわたしに「何か難しい本持ってない」と言ってきたので、当時流行っていた『大国の興亡』という結構分厚い本を貸したことがあった。そして一ヶ月後彼に感想を訊いた。
「いやあ、難しかった」
 そのままの人物であった。


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