其の147 あけましてミレニアム


 こんな時期になってこういうことを言い出すのはどうかとも思うし、また四台ものコンピュータを所持しそれぞれのコンピュータで起動するOSも別々にしている、一見コンピュータに詳しい人物に見える者として甚だ情けないことを承知の上で敢えて告白するのだが、わたしはコンピュータの二千年問題というものの根本的なことが殆どわかっていない。
 わかっていることと言えば「どうやらプログラムに関係していることらしい」だとか「昔のハードウェアは今のものと比べて遥かに劣っていたというのが関係しているらしい」だとか「時間にシビアな作業を行っているコンピュータに不具合が出るらしい」だとか「たとえば銀行の預金なんかだと利息のこともあって不具合が出る可能性もありそうだ」だとか「ということは銀行に預けてある貯金が増えたり減ったりするかもしれない」だとか「そうすると貯金のまったくないわたしは増える一方ではないか、二千年問題万歳」だとか「いやまてよ、マイナスになっていきなり借金ができていたりしてしてもいない借金を返さなくてはいけなくなるのか」だとか「そうすると己の金銭面の管理がちっともできていないわたしは知らず知らずのうちに毎月僅かな給料から借金を返済してしまっていることになりはしまいか」だとか「銀行もいろいろ大変なのだからわざわざお金を呉れる人に『返さなくてもいいんですよ』というはずもないだろう」だとか「そうすればわたしは働いても働いても生活が楽にならないではないか」だとか「ぢつと手を見てしまうのか」だとか「段ボールを用意しておかなければ」だとか「やっぱり本屋だとか図書館の近くがいいなあ」だとか「それだったら梅田の地下なんかだといいかもしれない」だとか「そうだ、今からでも『住宅建設予定地』という貼紙をしておいたほうが良いかもしれないぞ」だとか「やはりカレーは最高だ」など二千年問題について概ね基本的なことは理解しているつもりであるし、本質は掴んでいると思う。
 しかし細かな説明を求められると心臓を鷲掴みされたような気持になってしまうのである。もちろんコンピュータを所持している人間すべてがありとあらゆるコンピュータについての知識を知っていなければならないという考えはないが、それでも普段からコンピュータというものが如何に便利で面白いものかというをことを年端もゆかぬ餓鬼共に熱っぽく語っていた者としてはかなり問題であるのではないだろうか。
「あのねえ、こんぴゅーたの二千年問題って何?」
「二千年になるときに起る問題のことだ」
「どんな問題が起るの?」
「いろいろだ。一言ではいえないな。こう、なんだ、もっと具体的に言ってくれないと答えようがないではないか」
「コンピュータをもっていない人にも関係あるの?」
「ああ、あるとも。大いにあるとも。これで気が済んだか。では失礼する」
「待ってよ、ちゃんと教えてよ。どう関係してるの?」
「一言ではいえないな。あまりに専門的過ぎるから今の君では理解できない。もう少し時が経ってから教えてあげようではないか。たとえば西暦三千年になる前だとか。ということで失礼する」
「ほんとは知らないん……」
「ば、馬鹿もーん。わ、わたしが知らないわけがないじゃないか。もう腐るほど知っているぞ。三つの袋だとか三つのお願いだとか鼻にソーセージがくっついたりとか飛行機のパイロットは出発前それぞれ違うものを食べるだとか、ありとあらゆることを知っておるのだ。知らないことと言えば分別くらいのものだ。コ、コンピュータの二千年問題くらい知らないわけがないではないか」
「じゃあどういう理由で二千年問題が起るのか説明してよ」
「い、今は言えん。今は言えないんだよ。しかしこれだけはわかって欲しい。これもすべて君の為を思ってのことなんだよ。兎に角わたしを信じてくれ。というわけで失礼する」
「逃げるの?」
「逃げるのではない。今は言えないと言っているだろ。君はわたしを信じられないのか」
「うん」
「悲しい。わたしは悲しいよ。君は人のことを信じることの出来ない人間なのか。人を信じることの出来ない人間は愛されたことのない人間だといふ。そんな不幸な君にあらん限りの愛を捧げようではないか。ほら、手をだしてごらん。飴ちゃんをあげよう。ではこれで失礼する」
「うん」
 わたしは小走りに彼から立ち去ったあと、全身ががくがくと震えているのに気づいた。
 説得力ある弁舌、説得力ある論理展開、説得力ある容姿、説得力ある腹の出具合、説得力ある伸び放題の頭髪、説得力ある給与明細、説得力あるアイアンクロー、説得力ある飴ちゃん、こういったわたしの持つ説得力を総動員して「二千年問題を知っているように見せかけなければならない問題」から逃れてはいたが、精神的にかなり追い詰められていたのである。ついでに言うと二千年問題について知りたがっている餓鬼を一瞬で見分ける技術も上がったし、何か仕事に追われているように小走りで立ち去るのも上手くなったし、小走りで直角にカーブを曲がる術も知った。しかしそんなわたしでさえもあとひと月一九九九年が続いたならば、無口になりノイローゼになり対人恐怖症になり、そして見目麗しき女性としか話したくなくなっていたかもしれないし、カレー以外喉を通らなくなっていたかもしれない。
 西暦二千年に入った今、そういった危機的状況から逃れることができ心底ほっとしている。生きててよかったとまで考えていたりもする。真剣に二千年問題について勉強しなくても良くなったという開放感で一杯である。しかしわたしがそんな苦労をしていたというのに、世の中にはわたし以上に二千年問題についての知識がないにもかかわらず、やれ大変だ、やれミレニアムだ、やれY2Kだと偉そうに慌てていた人間がいたのはどういうことなのだ。だいたいY2Kと略するな。そんなにトンカツが好きなのか、そんなにジッパーが好きなのか、そんなにジッパーがずらしたいのか、そんなにジッパーをずらしてもらいたいのか、そんなにジッパーがチョッパーなのか。何を言いたいのかわからないが、兎に角わたし以上に二千年問題についての知識がない癖に「にわか二千年問題評論家」がわたしの周りにもかなりいたということである。
 その一人は母上である。彼女は何にでも二千年問題と結び付ける。
「なんや、レンジであっためたのに、中の方冷たいままや。二千年問題か?」
「それあっためるの短いだけと違うんか」
「そうかなあ。そうそう、掃除機もごみの吸い込み方悪いんやけど、二千年問題か?」
「違うって。中にごみたまり過ぎてるんやろ」
「あら、ほんまや。あと冷蔵庫の冷え方が変なんやけど、これは流石に二千年問題やろ」
「それ、パニックになったら困るからって色々買い込んで冷蔵庫に詰込んだからやろ」
「そうなんかなあ。でも電話代が妙に高いのは二千年問題に違いないわ。NTTに文句言ったらな」
「それあんたが長電話しとったからやろ。何でも二千年問題と結び付けて俺に訊きに来んといてくれ」
「ようそんな口の聞き方できるな。ほんま偉そうに。ええ年して結婚の一つや二つも出来へん癖に。ほんまに情けない」
 こういったストレスの溜まる会話をしなければならないことこそが真の意味での二千年問題ではなかろうか。
 そういえば今年の始まりの瞬間、いわゆるカウントダウンのときわたしは知人と外出していたのだが、周りの人間と新年の挨拶なんぞを交わしていたときわたしの携帯電話が鳴った。
「ちょっと、ちょっと大変や、早速二千年問題や、犬のコ、コロが白目むいて倒れたああああああ」
 母上であった。


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