其の156 ちょっと踊ってくる


 生来ものぐさな所為か、折角ギターを弾けるようになったのにもかかわらず、ある程度きちんとした形でバンドというものを組んだことがない。とはいえ一度もバンドを組んだことがないわけでもなく、これまで数回バンドを組んだことがある。一度目は中学生の友人たちと勢いだけで組んだもので、スタジオでの練習を数回繰り返しただけで自然消滅してしまった。そんな有り様であるからバンド名などはないのだが、それでも今思えばそれなりに個性的なメンバーが揃っていたバンドであった。
 構成はギター、ボーカル、ドラム、ベース、キーボードと標準的なスタイルであり、楽器を弾きはじめたものばかりの高校生であるからもちろんオリジナルの曲を演奏するなどという暴挙など思いつくわけもなく、当時流行していたバンドのコピーをしていた。メンバーの実力はというとわたしが数曲のリフとギターソロを何とか弾けるようになったところで、ドラムの岡崎くんは今回初めてドラムを叩くというものであり、ベースの高山くんは何故かチョッパーばかりしていた。チョッパーというと何だか響きが間抜けだが通常の指弾きよりも高度な技術を要するもので、親指を棒のようにして弦を叩いたり小指なんかで弦を引っ掛けたりするようなもので、高校生が容易に習得できるようなものではないのだが、何故か高山くんはチョッパーばかりしていた。しかし楽器を弾くパートのうち我々三人はまだましで、キーボードの島尾くんはちょっとどうかと思える状態であった。
「楽譜の意味がよくわかっていない」
 その上更に、
「鍵盤楽器に触るのは今回初めて」
 そしてどういう経緯でバンドに参加する意志を固めたか不明なのだが、まだ鍵盤楽器をもっていない状態であった。
 パートのうちキーボードを担当するものは幼少の頃よりピアノなんぞをこつこつと練習してきたような輩がやるのが一般的なのだが、彼はまったく何もできないままキーボードの担当をしていたのである。だからといって島尾くんは不真面目にキーボードを担当していたのではなく、きちんと家で練習してからスタジオでの練習に臨むという立派な人物であった。しかし彼の家には鍵盤楽器はないのである。
「音楽の教科書の裏表紙にある印刷された鍵盤でみっちりと練習」
 何とも哀れなピアニストであったのである。
 当然であるが、シャープだのフラットだのの記号の意味がわかっていないから、ちっとも音が合っていなかったのであるが、しかしスタジオでの練習中彼は満足そうに何度も言うのであった。
「沈むよう、鍵盤が沈むよう」
 こんなキーボードがいるバンドであるから、さぞかしコミックバンドであったろうと想像するかもしれないが、しかしギターのわたしはまだヘビメタの洗礼を受ける前であり、無茶なギターソロが入った曲をコピーしたがることもなく、他のメンバーも同様でそれぞれ好きなバンドの曲を選ぶことよりも身の丈に合った曲を選ぶことを優先させていたので、当時録音したテープを聞いても思わずその下手さに赤面するようなものではないのである。うん、高校生になって楽器を始めた奴ばかりのバンドだもんなあ、こんなもんだろ、そういう感じのバンドであった。
 このバンドのメンバーはわたしも含め技術はなかったがそれなりに向上心をもって音楽に取り組んでいたので、このまま練習を続けていれば、それなりにライブなども出来るようなバンドになっていたかもしれない。というのも我々楽器を弾くパートは頼りなくちょっと田舎臭い連中であったが、ボーカルの坂上さんは我々にはもったいないくらい人だったのである。
 坂上さんは女性で当時十六歳にして、クラブに通うこと五年目のベテランであった。小学五年生にしてクラブの常連になっていたというからかなりの人である。だからといってヤンキーチックな性格ではなく、小学四年生にしてデビッド・ボウイの洗礼を受け、グラムロックが大好きな人であった。また容姿も十六歳にしてはかなり大人びていて、若かりし頃のアン・ルイスに似ていて日本人ばなれしたルックスをしていた。もちろん乳もボーンである。高校生の頃であるから乳がボーンであることしか認識する余裕もなく腰がキュだったかは定かではない。歌唱力もなかなかのもので、カラオケのようなものがまだまだ普及していない頃のことであるからどこで練習したのだか裏声やビブラートなどもきちんとこなしていた。
 そんな彼女であるから我々と行動を共にするのも変だが、皆小学生の頃からの友人であったということ、わたしが彼女の家に近く洋楽について少しでも話が出来たということ、そして偶然わたしが家の近所にいたときバンドの話をした、そういったことが彼女をバンドに参加させたのであろうか。当時の我々も何故彼女がバンドに参加したのかちょっと不思議であった。
 そしてバンドを組んでふた月ほどし、スタジオでの練習も五回目くらいを越え、練習した曲も三曲目に入ったとき、坂上さんは突然バンドを辞めることになった。ちょうどお互いの技術も向上し、一緒に合わせて演奏する感じも掴めてきた頃であるから我々男どもは慌てた。一応彼女に辞める理由を訊ねた。
「ちょっと踊ってくる」
 何を言っているのかわからなかった。しかし彼女は繰り返す。
「ちょっと踊ってくる」
 どういうことなのだろうか。バンドを辞める理由がこれだ。ちょっと踊ってくる。あまりに唐突な言葉である。そんなのが許されるのだったらバンドを辞める理由としてこんなのでも許されるはずだ。
「ちょっとひげ剃ってくる」
 いくら高校生だからといってこんのは理由にならないはずだ。
「ちょっと釣ってくる」
 何をだ。
「ちょっとハンニバル」
 勝手にはんにばれとしか言えないではないか。
「ちょっとポチョムキン」
 もはや何が言いたいのかわからないのである。
 しかしよくよく聞くと彼女は大阪を離れ、ディスコやクラブなどでしばらく踊りまくりたいとのことであった。もちろん徳島で阿波踊りをするというのとではわけが違う。彼女は幼少の頃よりジャズダンスなどを習っていて、本格的なダンサーになりたいということを我々は知っていた。多少の未練はあったが、元々我々のレベルとは違う彼女をこのまましょうもない高校生バンドに留めておくことなどできなかった。そして彼女は大阪を離れ東京へと行ったのである。
 その後バンドは新たなボーカルを迎えることもなく、自然に解散してしまった。お互い高校も違うということもあって、それぞれの世界が形成されつつあったということもその理由の一つであろうか。
 これがわたしが最初に組んだバンドの顛末であるが、これには後日談がある。大学に入学し浮かれて毎日のように遊びほうけていた頃、梅田の繁華街にある喫茶店で偶然坂上さんと出会ったのである。それぞれに連れがいたこともあってそれ程長い時間話はできなかったが、わたしは彼女が夢を叶えるためバンドを辞め東京に行った後、どうしていたかについて訊ねた。
「一週間くらいクラブで踊ってそれから銀座でホステスやってた」
 ちょっと踊ってくる、その言葉に偽りはなかった。あまりの潔さにわたしはそのとき喰っていたカレーを皿からこぼしてしまったのである。


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