其の18 読書の時間



 笑点という番組がある。かつて立川談志や南伸介(だったかな? いつも死にまねをして家族を驚かしていたら、ほんとに死にまねしながら死んでいたという)が司会を務め、そして今は円樂師匠が仕切っている例の長寿番組だ。あそこに出ている顔ぶれは、上方落語の方に親しみを覚えるわたしにとってはその凄さが今ひとつ伝わってこないのであるが、それでも各々が東京落語界では重鎮と呼ばれているに違いないということだけは伝わってくる。やっぱり舞台裏ではお互いに気を遣いあうのだろうな、そういう空気が伝わってくるのだ。
 彼らは和服を着ている。落語家らしく羽織っている。まあ疑問はない。しかしこの間番組を見ているとその服装にある法則があることを発見したのだ。喜久蔵である。彼のは黄色い羽織なのだ。黄久蔵か。……これだと思ったのだが、こん平が紺平ではないことに気付きこの法則は間違いであることに気付いた。なかなかわたしは賢い。であるからこれから笑点における服装の法則性について語ることはないのだ。
 さて病院である。病に院と書いて病院だ。解っているはずであると思うのだが、一応説明しておく。そこは病気を癒したいと思っている人と癒してあげたいと思っている人と癒すのを手伝いたいと思っている人と絶対癒らない人がいる所である。この中でも一番多いのが癒したいと思い通っている人である。わたしもその一人であるのだが、敢えて病名は言うまい。わたしが死んだら肺を患っているということにでもしておいて欲しい。
 病院では何故か待たされるものだ。医学が進歩し平均寿命が延びている日本でこれほど病気にかかっている人がいるものかと疑うほど病院に通う人は多いのだ。もしかするとわたしのあずかり知らぬところでおいしいものでも貰えるから集まっているのかもしれない。鮨か。いやカレーか。いや肉、それもステーキに違いあるまい。このように疑り深くなるのも病院での待っている時間が長いからだ。わたしのせいではない。それにしても長いのである。わたしなどは教養があって趣味が良いのでフッサールやハイデッガーやプラトンやソクラテスが弁明したりするので時間を潰すことができるからまだいいものの、そうでない者はいかにしてこの時間を過すのであろうか。見渡すとただぼーっと前面を眺めているだけの者も多い。面白いのかもしれぬと思い真似をしてみたが詰まらないので、再び読書に戻る。ふむふむ、そうか弁明したのか、そうだな弁明だよな、やっぱ弁明したんだよ、弁明っすねえこれからの時代、などとその書物に書かれていることを反芻していたのだが、いかに知性があろうとも弁明ばかりでは飽きてくるのだ。そこで音楽でも聴こうかということになった。わたしは準備がよく携帯用コンパクトディスク再生装置を持っている。ふふん、いいねえ。昨日買ったアルバムは。G、G……G…………Gとその曲のコード進行さえも理解しながら音楽を聴くのだから、このアーティストも本望であろう。二十二回目のGを数えたとき突如として気付いた。これではわたしが呼ばれても気付かないではないか。慌ててイヤホンをはずし、さっき呼ばれた名前を確認しに受付まで行く。しかし受付嬢はあっさりとまだですと答えるのである。これほど疑り深くなるのはわたしのせいではない。病院が待たせるのが悪いのだ。また読書に戻った。今度は別の本を鞄から取り出して開く。うん、そうか存在と時間か、やっぱ存在と時間ですなー、いやいや存在と時間かもしれぬ、うぬう、そう来るか存在と時間が、ではこちらの存在と時間はどうだ。待ったなしの存在と時間ですぞ。昨日も待ったではないか存在と時間よ。隣の人のわたしの知性への羨望を感じながら至福のときが続いた。しかし待たされているとはいえ自分の趣味に割ける時間が出来たことは幸せである。
 憤りを感じている者がいる。この待たされている状態に憤っているのだ。ロシアでも暴動がおこるほどの待たされ時間だからだろうか。彼の言葉を聞きたいが細かい会話までは聞こえない。受付嬢に愚痴っているのだけはわかる。
 アノヒトハヤハリアマリノマチジカンニオコッテイルノデス
 やや、ヘンリーである。遠目に看護婦の格好をした黒人がこちらを眺めているのが見える。なんでこんなところにまでいるんだ、ヘンリーよ。
 ワタシハアナタノサンビシャデス
 それは解ったから彼の憤りを説明してくれ。彼の心を覗いても思考が乱雑に散らかっているだけで読めないのだ。
 アノヒトハ……
 ここからはヘンリーに変わって説明しよう。彼はあまりに待たされる為にこの病院の信用を疑って、カルテを出せと言っているようなのだ。他の病院に移るとも言っている。受付嬢は困り果てて順番を飛ばしてはいないことを丁寧に説明したが、この男は納得できないようである。かなりのストレスが溜まっているのだろう。確かにわたしのように日々平穏な心を保っている者でさえ、ちょっといいかげんにしてくれと医者を殴りたい衝動にかられるのであるから、彼のように老い先短く生の時間の限られた者にとってはこの待ち時間は堪え難いのであろう。奥から事務員らしきものが出てくる。そして宥めているようだ。もうすぐだから、ね、おじいちゃん。こんな風に言っているのだろう。しかし、彼は事務員の優しい言葉の何処に切れたのか、突如これまでの愚痴のような訴えではなく大声で喚きはじめたのである。
「体悪いから病院きとんねん! こんだけ待たされたら癒るもんも癒らんわい! ええ加減にせんかい!」
 それだけの元気があれば大丈夫である。わたしは確信した。周りの人々もそう思ったに違いない。わたしは鞄から「純粋現象学および現象学的哲学考案」を取り出し彼の心を取り戻す為渡してあげようかと思ったが、犬に噛まれるのも癪なので自分で読むことにした。彼の言葉は激しく、熱い。つまりは五月蝿いのであるが、わたしは読書に没頭した。先程のアルバムを聴きながら。当分わたしの番はやって来ないであろう。
 やっぱ純粋現象学および現象学的哲学考案だよなあ、そうそう昨日の純粋現象学および現象学的哲学考案のシュートは良かったですな、これで純粋現象学および現象学的哲学考案も世界のレベルに追い付きましたねえ、それでやっぱライバルの純粋現象学および現象学的哲学考案は面白くないんでしょうかねえ、これで純粋現象学および現象学的哲学考案しに行く口実ができましたなあ、F、F…F……。


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