其の33 ウッドストック


 もはや来世紀が間近に迫つておる世とて、猶邪教に傅く者多く、広く世界に目を向ければ、英国の代穴元皇太子妃が御隠れになられたことを嘆く音曲なるものが流行り、また日本も例外なく流行り、嘆かぬは茶屡頭皇太子御人のみとなりし。末法の世なりて我甚だ不愉快なりし。また我、周りを振り替えらば、右を見れば母微笑教室に通い、気孔なる邪教に傅く。左を見れば父犬溺愛す。我電子計算機遊戯「震動2」に夜毎振り回され、迷路に嵌まりて困惑す。下を見れば愛猫、尿毒症に冒されその命風前の灯火なり。我四方に希望見えず、嘆くのみなり。
 つまりは煮詰まっているわけである。quake2というゲームなのだが、どうにも手詰まりなわけである。それはともかく世の中に邪教が蔓延っているのは確かなことで、ちょっと歌詞を変えるだけで全世界的なヒット曲となったりするのである。いかんなあ。それにポール・マッカ-トニーもサーの称号を犬コロのように涎を垂らして貰いにいったりもする。昔、ジョン・レノンと一緒に返したはずだろうに。それを今更有り難く頂戴するとはねえ。ほんと「ろけんろーるいすでーっど」の世の中なのである。まあエルトン・ジョンはロックミュージシャンではないか。思い起こせばロックがカウンターカルチャーであり、反制度的な存在であったのは遅くても七十年代までであろうか。七十年代の最後にはパンクムーブメントが興っていて、「ロックは死んだ」などと言われていたということになるので、やはり七十年代半ばにはロックの寿命は尽きていたようである。悲しいことにわたしがパンクというものを知ったのは既にムーブメントが終焉していたときであるので、ロックが最後の花火を打ち上げたのすら体験していないことになる。そういえばパンクムーブメントなんていってるけど、実際あの馬鹿騒ぎは約二年程で、今の小室哲哉のブームなんかよりも遥かに短いのだ。実際に体験していない癖になんだか感慨に耽ってしまう。
 そこでダイアナ元皇太子妃のトリビュートアルバムである。なんでもレコードセールスにおいて世界記録を打ち立てたとか打ち立てないとか、とにかくよく売れたらしいのである。確かに日本だけを見てみると女性誌には昔からよくダイアナ元皇太子妃の話題が取り上げられていたのであるが、そういうものを好んで読む人達と言うのは、エルトン・ジョンの曲などを聴くものなのであろうか。腐ってもエルトン・ジョンは世界的に有名な歌手ではあるが、こと日本における一般性というものは持っていなかったはずであり、年末のレコード大賞の特別賞にあずかるような歌手ではないはずである。ところがこのダイアナ騒動で一挙に日本のお茶の間の浸透してしまった。ここで考えてみたのだが、英国王室に縁もゆかりもないこの日本においてもアルバムが売れた理由は、もしかするともしかして、あの丸谷才一や梅原猛や井沢元彦の著書にやたら出てくる御霊信仰なのではあるまいか。かの菅公や将門公の御霊信仰である。考えてみるとダイアナさんは不慮の事故によって亡くなっているし、おそらくチャールズ皇太子を始めとする英国王室に恨みをもってはいる。そして事故にあった瞬間、もしかするとダイアナさんは、この追跡劇が英国王室の陰謀ではないか、と疑ったという想像も難くはない。つまり日本人が考える怨霊になる素質はあったということである。実際に怨霊になるとかならないとかではなく、日本人はあの事故によって、ダイアナさんは英国王室にとっての怨霊になるに違いないと、そう見立てたのではあるまいか。そこでトリビュートアルバムを始めとするダイアナグッズである。卓上カレンダーから果てはマグカップまで登場しているダイアナグッズは、ダイアナという怨霊を鎮める為、各家庭に御守りとして祭っているように思えるのである。
 牽強付会も度が過ぎている感もあるが、牽強付会ついでにこういうのはどうだろうか。ロックは死んだと言われる。一つの音楽ジャンルがなくなるというのも変な話ではある。当たり前のことで音楽ジャンルというのは人がつくるものではあるが、その人がなくなっても残り続けるはずなのである。わたしを含めロック死亡説をとなえる人はもしかすると、ロックは死んだという比喩を事実そのまま言っているのではないのだろうか。例えばロックという言葉をジョン・レノンに置き換えてみる。ジョン・レノンが死んだ。当たり前であるが、この言葉は一人の人間が死んだ以上の響きを持つ。またジミ・ヘンドリックスが死んだ。これも同様の響きがある。つまりはロックは死んだという言葉は実は、ロックを体現していた人間が死んだということに過ぎないような気がするのである。事実ロックが死んだと言われる年代の七十年代から八十年代の初頭にかけて実にロックのカリスマが死んでいるのである。先のジミ・ヘンドリックスしかり、ジャニス・ジョップリンしかり、ジム・モリソンしかり、そして最後を飾るのは、シド・ビシャス。大物をあげるとざっとこれだけでてくるのだから、もっと探せば更に多くのロックミュージシャンが出てくるはずである。これはちょっとまずいのではないだろうか。ロックの体現者がこれだけ死ねば確かに一つの音楽ジャンルが衰退するのも首肯けるのである。
 そこでわたしは提案しようと思う。多くの死者によって衰退した音楽ジャンルを復活させる方法である。それには日本人独自の方法が良いと思われる。無念の死を遂げたロックミュージシャンの御霊を鎮める為、一大イベントをこの日本で開催するのである。古来よりのロックイベントの代名詞「ウッドストック」を開催するのである。しかしただのイベントならば御霊は満足しないし、今の日本のミュージシャン如きではこの霊に太刀打ちなどできるはずもない。それに御霊自身も歌いたいはずである。そこで恐山よりイタコを呼び寄せ、彼ら御霊の口寄せを行っては如何であろうか。まず始めにジャニスが「べいべべいべー」と叫び始める。実際叫んでいるのは、トメ八十六歳である。ベテランでなければオープニングは務まらない。年齢の割に驚くほどの大音量でもってゴジラのような叫び声をあげるのである。次は若手に任せて、ユリ二十六歳。先だって銀行の金に手をつけて馘首になり仕方なく家業をついだのでいやいやながら口寄せしている。しかしギターを掲げて歯で弾くという肉体労働に耐えられるのは彼女しかいないのである。側には娘の晴れ舞台に涙する父親の姿も見える。そして次はでっぷりと太った中年イタコが野太い声で、break on throughを歌う。盛り上がってきたこの際死んだかどうかなど関係ない。CCRも10ccも口寄せしようではないか。ポールも、エルトン・ジョンも死者に数えられる資格はある。口寄せしてしまえ。最後はやはり時代順にシド・ビシャスだ。マイ・ウェイを歌うのである。
 シド・ビシャスが歌い終わった後、会場は大盛り上がりである。しかし、その中一人の男がシドを口寄せしたサクラ七十二歳に向かって駆け寄る。彼は口寄せ自体を疑っているのだ。彼はサクラに言った。
「お前の死んだ年齢を言ってみろ!」
 汗をたらたら流し、苦悶の表情のサクラ七十二歳は腹を押さえながら、ううとうなっている。
「年はいくつなんだ!」
「…………そ、それだけは聞かんとってくれ!」魂の叫びを残しサクラは息絶えるのであった。(完)
 何が(完)なんだ!
 ついでにこのライブの後、エルトン・ジョンがウッドストック・トリビュートアルバムを発売したのは言うまでもない。


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