其の54 夢を語れ


 若い婦女子の考えていることは昔と変わらないようである。わたしが彼女らと同じ頃、やはりわたしの周りの婦女子も同じようなことをして、同じような考え方をしていたものである。この時期になると正式には何と言うものなのだろうか解らないが、サイン帳と呼ばれている用紙を渡されるのであるが、考えてみればわたしが小学校や中学校を卒業する頃も貰ったように記憶しているので、もしかするとこの風習は母上が女学生の頃もあったかもしれない。サイン帳を渡す母上というのもちょっと気持ち悪いが、とにかくサイン帳の内容は当時も今もあまり変わらないようで、好きなタレントやらメッセージやら住所やらを、下品な程「可愛い」用紙に書くようになっている。
 小学生の頃、大阪では「ヤングタウン」という深夜ラジオ番組があって、この番組はパーソナリティが日替わりなのだが、金曜日は谷村新司とばんばひろふみが司会を務めていた。わたしは小学生ながら金曜のヤングタウンが非常に好きで、毎週布団にラジオを持ち込んで聴いていたものである。丁度わたしが聴いている頃、「ドラゴン作戦」のコーナーというのがあった。これは谷村新司の「二十二歳」という曲を「ザ・ベストテン」に登場させようと番組ぐるみで応援するものであったのである。初めて触れた目に見えない連帯感とでもいうのだろうか、日本中に散らばったリスナーがしこしこリクエストの葉書をベストテンへ送ったり、友人にこの曲を買うよう薦めたり、こういう世界もあるのかと非常に新鮮に思えたものである。わたしも小学生ながらなんとかしなければという義務感にかられて当時それほど好きではなかった谷村新司のレコードを親にねだって買ってもらったりもした。「ねえ、買ってー、買ってよー」と谷村新司のレコードを片手にレコード屋の前でのたうちまわる小学生というのも気持ち悪いが、買ってもらったレコードを手に嬉々としてスキップ混じりで家路に向かうわたしを見て両親はわたしの行く末に一抹の不安を感じていたかもしれない。ま、その予感は的中していたわけだが。
 であるから、卒業のとき同級生の婦女子から書くよう強制されたサイン帳の好きなタレントの欄には恥ずかしげもなく大きな字で「谷村新司! ドラゴン! 二十二歳!」と書いていた。もしかしたらお調子者のわたしであるから「谷村新司! 命!」とまで書いていた可能性もあって、今そのサイン帳をもって強請に来られたら金を払わなければならないという窮地に追い込まれるのは確実である。
 さて目の前には中学生から絶対に書くよう義務づけられているサイン帳がある。相変わらず象徴と化した「可愛さ」がいっぱいの用紙である。
 最初は住所や電話番号や名前や渾名を書く欄である。こういうものは中学生同士でやり取りするものだろうが、何故か携帯電話の番号を書くところやファックスや電子メールを書く欄も用意されているのである。最近の子は発育がいいんだからとわけの解らない理由をつけて納得し、書き始める。
 質問1 「あなたを動物にたとえると何ですか?」
 いきなりきついところを責めてくるのである。人間も動物の一種なはずだが、彼女らには「人間は他の動物とは次元が異なる聖なる生き物なのだ」というエゴイスティックな思想があるようだ。まあ何も考えていないのだろうが。こういう質問は何を基準に書けば良いか解らないものだ。外見的特徴で動物と似ているところ(目が二つあるとか)を答えれば良いのか、それとも性質(お腹が減るだとか)を基準に考えれば良いのか迷う。もし外見を基準にして答えなければならないのならば、わたしは人間以外に似ていると思われる動物を思い付かないし、それに他の動物との類似点なら彼女らの方がよく知っているはずだ。河馬に似ているなり馬に似ているなり馬鹿に似ているなり河童に似ているなり尻こだまを抜いてそうなりと決めて貰って構わないのである。そして動物の性質と言われてもよく解らないことに気付く。一般的に猫なんかは「ずる賢い」だとか「かげひなたがある」だとか言われるが、他の猫は知らないがうちの猫ちゃん、いや猫はそんなことはない。動物一種類に一つの性質というのは乱暴な話である。そこで「カピパラ」と書いておくことにした。カピパラってどんな動物かよく知らないのであるが。
 質問2 「趣味は?」
 無難な質問だ。だからかえって難しいのである。普通に「本を買うこと」なり「CDを買うこと」なり「コンピュータをいじること」なり「ギターを弾くこと」なりと書くのも面白みに欠ける。かといって「がっしりしたアニキタイプに抱かれたいっす」だとか「尺八の演奏」などと書くと冗談だと受け取って貰えない可能性もある。無難な中にもキラリと光る解答をしなければならない。そこで「信号待ちのときアキレス腱を伸ばすこと」と書いておいた。
 質問3 「将来の夢は?」
 非常に厳しいのである。将来という言葉も少し引っ掛かるし、その上夢を語ってくれということなのだから非常に困る。ええ年したおっさん(自虐的に言っているつもりなのだが、最近は言葉通りに取られることが多くなってしまった)に夢を語らせるというのも酷だとは思わないのか。プロ野球選手だとか漫画家だとか社長(何故か小学生の将来の夢は職業ではなく役職なのだろうか)とかを書いて貰いたいのだろうか。悩んだ揚げ句「アイドル歌手(ジャニーズ系)」と書いておいた。
 わたし以外にもこの用紙は配られていたようで、五十歳を過ぎた事務のおばさんの机にもこの用紙が置かれていた。「将来の夢」についての解答を考えていたわたしは、悪いとは思いつつ、参考にとその事務員さんの用紙を覗いてみたのだが、そこには「幸せになりたい」と涙が出そうになるような解答が書かれていた。そうか、幸せじゃないんだ、事務の佐藤さんは。目頭に熱いものが込み上げてきた。
 こういうサイン帳を配る彼女たちに言いたい。大人に夢を語らせるんじゃない!


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