其の55 餃子と精霊とわたし


 本日仕事の帰り、とある王将にて炒飯と餃子と肉団子を食していると、わたしの左隣に中年のカップルが座った。二人の会話を聞くとどうやら御婦人の方は中国人のようである。
「スゴイよ、スゴイよ」
 興奮しているのは御婦人である。男性の方は日本人のようで、二人は日本語で会話をしている。
「解ったから、静かにしてなさい」
「イヤ、ホント、スゴイノよ」
「解った、解った」
「オネガイ、コレ、アゲテモいい?」
「やめときなさい。失礼だろ」
「ドシテモ、アゲタイよ。ダテ……オネガイ」
 何について言い争っているのかは解らない。そうこうしていると、右隣にフィリピン人らしき派手な女性が座った。彼女は座るなり、「チャーハントネ、ギョーザネ」と注文した。そしてわたしの方をと見るなり、笑いだしたのである。わたしの肩を叩きながら言った。
「ハハハ、アナタね、ワタシのね、故郷で祭られている精霊にソックリヨ、ぎゃはは」
 ふぇ? 餃子を口に運ぶ手が止まった。
「ソノ精霊ね、コドモ、タクサン産めるヨウニシテクレルノヨ。チョトマテテネ、トモダチヨンデクルカラ」
 大変なことになってしまった。うかうか炒飯と餃子と肉団子を食べているうちに安産の精霊にされてしまったのである。たしかにわたしは自称美青年ではあるが、安産祈願されるような顔をしているとは思ってもみなかった。彼女は店を後にして、友達を呼びに行ってしまった。もしかするとこれから数人のフィリピン人に囲まれて安産祈願をさせられるのかもしれないのである。困った。安産祈願の精霊に似ていると言われてもそんなまじないや儀式なんて知っているわけがないし、よしんば適当に護魔化すにしても、往来で祝詞をあげたり、早九字切ったり、御経を唱えたりするなんてまっぴらである。その上、生贄に客だったうだつの上がらない係長代理の加藤さんとかを連れてきて、わたしの前で拷問をしたり、切腹させたり、阿波踊りをさせたりするかもしれないのである。直に帰ってくると言うのだから駆け足で友達を呼びに行っているに違いない。一刻の猶予もないのである。半分以上残った炒飯に未練を感じながら急いで店を出ようとした。しかしわたしにも意地があった。せめて餃子だけは全部喰ってからにしよう、そう考えて二つ一遍に口に頬張ったのである。最後の一つを口に放り込んだときには既に腰が席から浮いていたのであるが、そのとき隣のカップルの口論が再開されたのである。
「ホラ、トナリノヒト、モウ、イッテシマウヨ、ネエ、オネガイ」
 ふぇ? 隣と言うとわたししかいない。これまでずっと隣のカップルはわたしについて話していたのである。
「もう勝手にしろ!」
 するとにっこり笑って御婦人がわたしに言った。
「コノ、餃子、アゲマス、タベテクダサイ」
 そういってわたしの皿にふた切れ餃子を乗せた。そんなことしている場合ぢゃないんだって、精霊にされるのだぞ、わたしは。失礼と言い、席から離れようとすると、隣の男がわたしの腕を掴んで言った。
「いや、あのね、こいつが子供の頃、死んだお兄さんにそっくりなんだそうです」
「ひー、解りました、解りました、どうせ精霊ですから、離してください」
「そうじゃないんです。話を聞いて下さい。あなたがこいつの死んだ兄さんにそっくりなんですよ」
「産まれたときから精霊でいいですから、ごめんなさい、謝りますから許してくださいよー」
「落ち着いて聞いて下さいよ、あなたが死んだお兄さんにそっくりなんですって」
「ふぇ? 誰が精霊なんですか?」
「そうじゃなくて、お兄さんです。あなたがこいつのお兄さんにそっくりなんです。いや、ほんと失礼な話ですが」
「精霊じゃないんですね」
「そうです。お兄さんです」
 隣にスススと御婦人が寄ってきて言った。
「タベテクダサイ、お兄さん、餃子スキデシタシ、アナタモスキでしょ?」
「あ、あ、あの、き、嫌いではありませんけど……」
「受け取ってやってください。それが供養になるみたいで」
「あ、いえ、あ、有り難うございます」
 何が有り難いのか解らないが、兎に角その餃子を口に放り込んだ。何をしておるのだ、わたしは。完全に自分を見失っている。御婦人は涙混じりに、「ソノタベカタ、ソックリ。カミサマがヒキアワセテクレタ、オニイサン、テッポウのタマイタカッタデショウ」などと言っている。口いっぱいに広がった餃子の旨味を堪能しながらも、頭は迫り来る安産祈願の儀式のことでいっぱいである。
 咀嚼し終えたわたしは「では」と言って会計を済ませ、店を出た。幸い周りにはフィリピン人が集まってはいないし、生贄の加藤さんも届いていない。駆け足で車まで戻り、そして車を発進させた。
 中華料理店は魔境だ。精霊だとかお兄さんとか炒飯とか餃子とか、普通の人間には手におえない得体のしれない魔物で一杯なのである。うかうか炒飯など喰って幸せを噛みしめるような所ではなかったのである。
 しかし、精霊顔だったのか、わたしの顔って。


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