其の57 床屋政談


「そうなのよ」
「へえ、あの子、馬鹿なのねえ」
 わたしの横には中年の女性が雑誌を手にパーマをあててもらっているのである。わたしはと言えば持参の文庫などを読みながらも横の御婦人方の会話に耳が行ってしまい集中できないのであった。
「あの、なんだっけ、華原朋美っていうの? あの子、馬鹿よねえ」
「へえ、そうなの?」
「なんでもね、好きなグループはっていう質問でH2Oって答えたらしいの」
「そうなの」
「それでH2Oって何か? って聞かれたらねえ、酸素だったかな、なんて答えてるのよ」
「へえ、馬鹿なのねえ。ひゃひゃひゃひゃ」
 しかし今時「思い出がいっぱい」なんて歌ってたH2Oのファンですと公言できるタレントがいるのには驚いたが、H2Oが酸素だというのにも驚いた。まあタレントなんだから歌が巧ければ馬鹿でも構わないし、変に学をひけらかす歌手というのも困り者ではあるのだけれども。
「そうそう、隣の田中さんのお嫁さん。なんでも直に実家に帰るって田中さん怒ってたのよ」
「最近の若い人って、そうなのよねえ。ものも知らないしねえ。堪え性もないし」
「知らなかったら知らないって言えばいいのにねえ。そういえばこの間うちの店で働いてる子がねえ。こんなこと言うのよ」
「どんなこと?」
「お客さんと寝なくていいんですか? だって。もうほんとに馬鹿なんだから」
「恥じらいなんて全然ないのよ」
「そうよねえ。馬鹿よねえ。ひゃひゃひゃひゃ」
 しかしその馬鹿笑いはやめて欲しいものであるが。とここで後ろの待ち合い所になっているソファーで眠っていた子供が起きだして、何やらむずがっている様子である。
「ねえ、ママー。まだー」
「もう少しだからね、待っててね」
「テレビ見たいー」
「今、ママ、パーマしているから動けないのね。だから我慢してね」
「早くしてー。早くしないとオドロンパ終わっちゃうよー」
「オドロンパはまだ始まってないから大丈夫よ、だから我慢してね」
「うううう」
 唸り声をあげた後、幼児は拗ねているのか隣の御婦人に背を向けてソファーで寝転んでいる。
「ねえ、オドロンパって何? テレビ番組?」
「NHK教育の子供番組なの。この子好きなのよー」
「なるほど」
「で、オドロンパってねえ、結構凄いのよ。2mはゆうに越えてるツタンカーメンが出てくるの」
「ツタンカーメン?」
「そう、ツタンカーメン。エジプトの。中に人が入ってるんだけどね」
「ああ。ぬいぐるみの」
 ちなみにこういうのは「ぬいぐるみ」ではなく、「着ぐるみ」というのであるが。
「それが大きいのよ。ツタンカーメンが」
「ツタンカーメンがねえ」
「ツタンカーメンよ」
「ツタンカーメンかー」
「ツタンカーメンなのねー」
「ツタンカーメンねー」
「ツタンカーメンなのよねえ」
「ツタンカーメンかー。ひゃひゃひゃひゃ」
 その馬鹿笑いはやめときなさいって。
「そうそう。この間ね。電子レンジ新しいの買ったんだけどね」
「ふーん」
「出来上がったら、チーンって鳴るじゃない。レンジって」
「そうね」
「でもうちが買ったのはね、ぴーひゃららって鳴るのよ」
「ぴーひゃらら?」
「そうそう、ぴーひゃららなのよ」
「じゃあ、チンしといてって言えないじゃない」
「そうなのよ、それが困るのよ。主人にぴーひゃららしといてなんて頼まないといけないのよ」
「ぴーひゃららしといてって。ひゃひゃひゃひゃ」
 わたしは笑いを堪えている為、始終「動かないで下さい」と言われていたのは言うまでもないが、しかしこの御婦人方の会話ってそのまま女性週刊誌なのだなあ。タレントの悪口に始まって、嫁姑問題、子供番組、家電製品と全て女性週刊誌にありそうな話題なのである。女性週刊誌ってただおばさん達の会話をそのまま載せているだけなのだろうな。だから女性週刊誌がなくなるのはおばさんたちが滅ぶときに違いないのである。
 散髪を終えてから家に急いで帰ると丁度「オドロンパ」が始まるところであった。見てみるとわたしの予想を越えたツタンカーメンが踊っていた。ほんとに二メートルは優に越えているのである。隣には巨大なキノコの着ぐるみも踊っている。ツタンカーメンといい巨大なキノコといい、子供向けの番組はそのセンスがよく解らないのである。子供が巨大なツタンカーメンとか巨大なキノコとかを見て喜んでいるんだろうか。主婦が喜ぶのは解るけども、巨大なキノコに。そういえば昔、「おーい!はに丸!」というでかい埴輪が動きまわる番組もあったなあ。ちなみにはに丸君の台詞はいつも「はにゃ、ふー」である。
 だからどうしたっちゅうねん!


[前の雑文] [次の雑文]

[雑文一覧]

[TOP]