其の73 来週もここに集合だ


 飯に釣られたのが悪かった。それにしても飯に誘われてほいほいついてゆくのは考え物だ、今ひしひしと感じている。飯を食いに行かないか、上司の高橋さんが誘ってきたのであるが、そのときのわたしの財布はかなり薄かった。ファミリーレストランに行くと帰りに煙草を四箱買えないくらいになるだろう、そのくらい薄かったのである。そこで一瞬躊躇したのであるが、その思考の隙間をついて高橋さん、奢るからさ、そう言ったのであるからほいほい犬ころのように車へと駆け寄り助手席のドアを開けたわたしを非難できる者はいまい。
 奢りという言葉を信じてたらふく喰ったのであるが、腹も膨れれば気も緩む。普段はウェブページを作成していることはおろかコンピュータを持っていることすら話したことのない高橋さんなのであるが、ステーキのジューという油の音に心ウキウキ、ついコンピュータの話からギターを持っていることまで話してしまった。普段の勤務態度からは想像も出来ないくらいはしゃいだわたしの姿を見て高橋さんはやや驚いたものの、わたしを近頃の若者にしては高橋さんが青春を過した頃の音楽に詳しいことを知るにつけて、同好の士である、そう感じたようである。
「なるほど、君はそういう音楽を聴いているのか。いや、意外だ」
「確かに同年代の人間に比べれば昔のロックが好きな方ですね」
「いやいや、そうか……で、ギターも持っているって、いつ頃から弾いてるの」
「はあ、まあ中学の頃に友人に借りて弾いたのが最初ですが、自分で買ったのは高校一年のときです」
「というと、かなり弾いているんだね。やっぱりバンドとかを組んでいたりしたのかい」
「そうですね。少しの間だけ組んでました。一度ライブをやったのですが、それ以来やってないですね。あ、そうそう大学一年に軽音に入ってたときがあって、そのとき学祭で一度ライブをやりました。即席のバンドでしたが」
「ふうむ、それでは今でも弾いてるのかな」
「ま、少しですが」
「そうか」
 さいころステーキを一口放り込んで高橋さんはわたしに言った。
「実はね、わたしもね、好きなんだよ。ギターを弾くのが」
「へえ、そうですか。どんなの弾くのですか」
「基本はロックだね。ビートルズとかローリングストーンズなんかよく弾いたなあ。あとツェッペリンとかジミヘンとか」
「へえ、ツェッペリンにジミヘンですか。本格的じゃないですか」
「若かったからねえ、いや君も好きなのか、いやはや」
 などと言いながら飯を喰っていたのだが、流石に深夜一時である。そろそろ帰宅しないと明日の仕事に差し支える。高橋さんもそう感じたのか、そろそろ行こうかと言った。
 この時間であるし飯を奢ってもらったのであるから、当然と言えば当然だが、高橋さんを家まで送ることになった。幸い高橋さん宅はそれ程離れていない。十分ほど走ると高橋さんの住むマンションが見えてきた。
「送ってくれてありがとうね、寄ってかない、コーヒーくらい飲んでいけば」
「あ、ありがとうございます。でも奥さんも寝てるでしょうし」
「い、いやね。今日はいないんだよ、ちょっと用事で」
「そうですか、では少しだけ」
 エレベータに乗り、階の押し間違えはダブルクリックっす、などと言いながら誰もいない高橋さんの部屋へ入っていくと、そこにはギターが所狭しと置かれていた。十台はあろうか。アコースティックギターは勿論、エレキギター、エレキベース、十二弦ギターやマンドリンなど種々様々である。見とれながらも手にはしっかりとアコースティックギターを握っていた。
「あ、あのちょっと弾いていいっすか」
「ああ、いいよ」
 ジャラランと弾いてみると流石にマーチンのギターは違う。良い音だ。浮かれて最近覚えたクラプトンの曲なんかをさらりと弾いている振りをする。もっとも弾きながら必死だったわけであるが。
「思ったよりも弾けるぢゃないか」
「はあ、コード弾きくらいならなんとか」
「そうか、じゃあこの曲は弾けるか」
 そう言って弾いたのはツェッペリンの「天国への階段」である。最近はとんと御無沙汰であるが、かつては弾けた、はずである。では合せてみようかと高橋さんは十二弦ギターに変えて、君、イントロから弾いてみたまえと言う。わたしに決定権はない。
 パラリラ、パラララ
 詰まりながらも何となく覚えているフレーズを弾いてみる。意外に覚えているもので、気をよくして続けていると、途中高橋さんが、ジャンジャラランと入ってきた。
「ここはわたしが弾くよ。途中もう一度同じフレーズに戻るからそこから君のパートに移ることにする。さ、もう一度最初から、わん、つー、さん、しー」
 パラリラ……わたしがイントロのフレーズを弾いて先程と同じところで高橋さんのパートに移った。そして高橋さんのパートが終了しようとしているとき、再びわたしのパートに移る、その瞬間。
「違う違う。そうじゃないだろ。ここはもうワンテンポ溜めてから君のパートではないか」
「あ、そうでしたね。最近この曲弾いていないもので」
「しっかりしてくれよ、じゃあもう一度最初から。わん、つー、どん、だー」
 やはり同じ所でずれるのであった。
「違うよー、なんで同じところで間違えるかなあ」
「楽しく弾きましょうよ。別に合せなくても、ねえ」
「な、何を言っとるのだー。折角ギターを弾く人間が二人いるのだぞ、合せないで何をするというのだ」
「わ、わ、解りました。すいません。もう一度お願いします」
 わたしもしつこい。どうしても合わないのであった。
「ああもう、またか、パンパンパン、うん、パンパンパン、うん、パン、とここで入るんだぞ、解ったな。次失敗したら承知しないぞ。じゃ途中から。わん、つー、ぱん、ちー」
 じゃんじゃららんらん、ウン、ジャージャー。
 パラ……
「ちがーーう、お前ほんとにリズム感ないのかー」
「ひいー、すいませんすいません、もう一回お願いします」
「ちょっとギター弾くのやめて聴け、いくぞ」
 パンパンパンパン、うん、パンパンパン、うん、パン。
「ここだっ」
「解りました、今度こそ解りましたから」
「ほんとか。じゃ、いくぞ」
 我々が「天国への階段」をしっかりとパートに分けて弾ききったのは、朝の五時であった。高橋さんは満足そうである。
 次の日、寝不足を堪えて出勤したわたしを待ち受けていたものは、高橋さんからの留守電によるメッセージであった。
「ピー……え、高橋です。本日お腹が痛いので休みます。後宜しく。それと今度の土曜日わたしの家に集合して続きやりますので。課題曲はストーンズの『アンジー』です。練習宜しく」
 集合とか課題曲とかどういうことなんだよう、高橋さん。そしてお腹痛いが休みの理由になるのは如何なものか。子供ぢゃないんだから。


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