其の87 アメリカって奴は


 これまでのわたしの活動範囲は北は東北の福島県であり、南はといえば沖縄県である。つまりは海外に行ったことがないのであるが、世間では外国に行くことが少しも珍しくないようで、反対に一度も日本を出たことがないなどと言うと非常に珍しがられる。「どうしてですか」などと質問されるくらいである。どうしてと訊ねられても困るのだが、それは単に機会がなかったということと積極的に外国へ行ってみたいという欲求がないことが理由である。だいたいが旅行は好きな方ではなくて、部屋でじっとしている方が性に合ってるのだが、だからといって外国人が怖いだとか、外国語で話しかけられたりすると何でも「おーけー、せんきゅーべりまっちょ」などと言ってしまうということもなく、日本のカレーを喰わなければ死ぬといった、外国へ行きたくないという特別な理由もなくて、出来れば死ぬ迄に何度か行ってみたいものだと考えている、その程度のものである。しかし最近でこそ外国に対する過剰な憧れやロマンを感じることがないのだが、それでも高校から大学にかけてはロックに思い入れもあって、それこそビートルズがレコーディングしたというアビーロードスタジオであるなり、イーグルスのホテルカリフォルニアであるなり、そういったかつてのロックスターが生きていた場所へ行ってみたいものだと漠然と考えていたりもした。また映画の舞台となった土地というものにも行ってみたいものだと考えていたりもして、今から思うとその発想は単なるお上りさんのそれに相違なかったのである。
 学生の頃非常に感銘を受けた映画の中に「イージー・ライダー」というものがある。デニス・ホッパーとピーター・フォンダの二人が麻薬で儲けた金でバイクに跨がって旅をするといったロードムービーなのだが、学生時分この世界に非常に憧れていた。なんだか青臭いのだが、目的もなく友人とバイクに跨がり、途中野宿をして焚き火の前で大麻を吸引する、これこそが青春だと半ば確信していた節もあって、最初の海外旅行はアメリカをバイクで走るんだと決めていたのだが、大型バイクの免許を取得する為には色々と金がいる上、当時大学の授業料を遣い込むくらいわたしの経済状態は切迫していたので、この夢は結局叶えられないまま現在に至っている。
 そういったこともあって未だに青春映画だとかロードムービーに非常に弱い。情けないのだがどんな下らない映画であっても、それが若者の青春を描いたものであったり、いかなる目的であろうともロードムービーであったりするとそれだけで感動してしまったりもするのである。構造的にはオリンピックだから感動する、障碍者が頑張っているから泣いてしまう、動物が好きだからいい奴だ、ワールドカップだから急にラテン系だ、猫が出てくる小説はそれだけで素晴らしいといった短絡思考と同形のものである。非常に情けない。もう少し侘びだとかユーモアだとかアイロニーだとかいったものを評価したい気持ちもあるのだが、青春ロードムービーにはどうにも抗えないところがある。これまではそう思っていた。
 この間平日の昼間にふとテレビをつけると、妙にチープな映画を放映していた。主人公はアメリカの不良の若者といった感じの俳優である。勿論主人公と共に旅をする友人もいるし、途中出会ったであろう少し捨て鉢になったような女性も出てくる。途中からしか観ていないので詳細は解らないのだが、どうやら主人公とその友人は旅をしているようなのだ。直に「こ、これは、青春映画でかつロードムービーではないか」とピンと来たわたしは猫と戯れるのもそこそこにしてその映画をじっくりと観ることにしたのである。
 思っていた通りの展開で、友人との喧嘩もあり、途中で行動を共にする女性とのロマンスありで、陳腐な展開なのであるが青春ロードムービーの香りに抗えないわたしはその映画の出来の悪さに突っ込みを入れながらもそれなりに楽しんでいた。アイスコーヒーを入れにキッチンへと行っている間に何らかの展開があったのか解らぬが例のちょっとヒッピーな女優が不良どもに囲まれている場面になっていた。数人の不良に取り囲まれ後ずさる女優。じわりじわりと迫り寄る悪漢。おそらくこの映画唯一のお色気シーンの筈である。
「へへへ、ねえちゃんよ、俺たちと遊ぼうぜ、へへへ」
「いやー」
「我慢できねえんだよ、へへへ」
「きゃー、助けてー」
 ここで主人公の登場なるか、はたまたこのまま犯されてしまうのか。大した場面でもないのに妙に胸が高まるのである。
「へへへ、チッ、チッ」
「おいおい、早くしろよ。チッ、チッ」
「焦って上手くいかねえんだよ」
「貸してみろよ。チッ、チッ」
 ズボンのジッパーをおろそうとしている不良もいる中、何故か燐寸に火をつけようとしているのである。この不良どもは。そして火がつくと今度はその火を消して煙をたてて、女優の鼻の辺りに近づけようとするのである。この不良どもは。女優は懸命に顔を避けながらその煙を吸おうとしない。顔を押さえつけてその煙を吸わせようとする不良。そしてカメラは草むらの横で気持ちよさそうに燐寸の煙を吸っている不良へと移る。大麻を吸っているかのような何とも言えない表情をする不良。女優は未だ押さえつけられながら煙を吸うまいと懸命である。
 ええと、あの、その燐寸は如何なるものなんでしょうか、すいません、ちょっとアメリカのドラッグ文化に疎いもので。その煙を吸うとですね、気持ちいいんでしょうかねえ。横で燐寸でラリってる人もいるようだし。そのシーンから考えるとですねえ、女性を気絶でもさせようかと思って煙をたててるんですよね。多分。クロロフォルムのような効果を狙っててですね、それを嗅がせているんだと、そのようにわたしは理解したんですが。しかしその煙嗅ぐとラリってしまうんですよねえ。で、どういうんでしょうか。
 ちょっと理解出来ないのである。燐寸という細かいものをそういった集団レイプの場面で使用するというのも奇妙だし。見たところ普通の燐寸である。その燐寸でラリってしまうのも変である。それも暴れている女性を一発でぐったりさせるくらい効果のあるドラッグなのに、平然と横で吸うというのは如何なる燐寸なのであろうか。ううむ、ほんとのところどんな燐寸なんだろう。
 結局その女性は助かったのであるが、その場面以来何度か燐寸でラリる若者がいるのである。ほんとよく解らない。最後までこの疑問が残ったまま映画は終了してしまったのであるが、結局この映画の感想は「アメリカって奴は凄い」というわけの解らないものであった。
 そういや昔タレントが大麻を所持していたかでテレビのニュースになっているのを母上が見てて「日本でやったらあかんって、ほんま。アメリカやないねんから」などと「アメリカでは何でもありなんか」という突っ込みが入るような発言をしていたのであるが、ほんとアメリカって奴は何でもありなんだな、燐寸をドラッグにしてしまうんだから。


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