其の107 取り敢えずやってみるのだ


 人間の行為というのは個体を維持するものでさえ文化によって規定されていることが多く、たとえば食卓にカレーが出てきたとする。そして自然とスプーンをもってカレーを喰おうとする。ここまでの一連の行為にはまったく迷いがなくほぼ無意識にスプーンを握ることであろう。しかしここで問題なのはかなりの人が思わずスプーンを水の入ったコップの中につけてみるということである。あれは何なのだろうか。如何なる理由でスプーンを水につけなければならないのだろう。考えてみるとスプーンを水につけるという行為はちょっと妙な感じである。更にである。この行為は食事にカレーが出てきたとき以外ではめったに見ることがないという事実が妙な感じを膨らませるのである。あまりフランス料理のコースなんかでコップにスプーンをつけている人を見たことがないし、中華料理でもレンゲを水につけているのを見たことはない。またコーンスープを飲むときになって、取り敢えずスプーンを水につけてみる人もいない。これはカレーを喰うときだけの特殊な行為なのである。つまりスプーンを水につける理由として「乾燥していたりするとスプーンが唇に引っ掛かる」だの「スプーンを口の中で滑らせるときによくなじむ」といったものは説得力がないのである。
 人がカレーを前にする。
「カレーだなあ……取り敢えずスプーンを水につけておくか」
 こんな感じでスプーンを水につけるのである。なんて人間というのは馬鹿なんだろうか。何も考えていないではないか。取り敢えず水につけてみるというのは動物ではアライグマくらいのもので、万物の霊長たる人間のやることではない。ましてや大人のすることではないと思われる。そして更にこの行為の間抜けなところは「スプーンを水につける」のはカレーに依存しないということである。どんなカレーが出てきたときでも、インド風のカレーであっても、野菜カレーであっても、そしてそれが砒素カレーであっても、カレーと認識できるものでありさえすれば人は「スプーンを水につける」のである。人はあまりにカレーを前に無防備なのである。
 また椅子を買いに行ったとする。椅子といってもテーブルとセットになっているようなのではなく、事務机についているような椅子を買いに行くのである。そして目的の椅子が所狭しと置いてあるコーナーに辿りつく。最初は値段を見ながら「うーん、これは高過ぎるなあ。コンピュータの前に座る椅子だから別にどんなのでもいいんだけどなあ」などと呟きながら椅子を物色するのである。そして値段も手頃で大きさもぴったりのものに巡り会う。「うん、これなんかいいんじゃないかな」などといって座ってみる。背もたれに体重をかけてみて「うんうん、丈夫だ」などと座ってみて解ることを確認する。そしてである。回るのである。椅子に座りながら回ってみるのである。足をくの字に曲げて回ってみるのである。二回転程すると今度は逆回しである。
 人が椅子を前にする。
「椅子だなあ……取り敢えず回ってみるか」
 人間というのはなんて愚かなのだろうか。回り具合などというものを調べて何になるというのだ。家に持ち帰ってから椅子に乗って回ることなど一度もないはずだ。人というのはあまりにあまりに椅子に対して無防備なのである。
 また、だいたい二十代半ば以上の人間がいる。その人物はコンピュータ雑誌の付録のCD-ROMを取り敢えず中身を見るのだが、大概は面白いものが入っていなくて、一度中身を見たらついついキーボードの横なんかに置いておいたりする。二度と使うことはないのである。しかし暫くするとまた同じような雑誌を購入してしまい、また付録のCD-ROMの中身を見たりしてしまうのである。そしてそのCD-ROMは同じ場所に先月のCD-ROMの上に乗せられるのである。これが数ヶ月続くと流石に目の前に数枚溜まったCD-ROMを何とかしないとなあなどと考え始める。そこでレコードショップなんかに行ってCD-ROMが数十枚入るようなケースを買ってきたりする。さあ、これで目の前にある、「邪魔にはならないが何となくどうにかならんもんか」と思っていたCD-ROMを整理できるぞ、なんて考えるのだが、数ヶ月ほったらかしなのだからCD-ROMにはうっすら埃がかぶっていたりするのである。「たしかに大したものではないけど、このままケースに入れるのはどうもなあ、折角整理するんだからなあ」などと言いながら埃をティッシュなんかでとろうとする。しかしである。これも回してしまうのである。CD-ROMの溝に沿って。CD-ROMの溝に沿って埃をはらってしまうのである。レコードと違って溝に沿うことにどれだけの意味があるというのだろうか。丸く溝の入ったものを見ると何の考えもなしに溝に沿ってしまうのである。なんて馬鹿なんだ。
 人が丸くて溝の入ったものを前にする。
「溝だなあ、丸いなあ……沿ってみるか」
 人というのは丸くて溝の入ったものに対してあまりに無防備である。
 そして人は習慣というもの対してあまりに無力であることを知るのであった。


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