其の116 やさしくしないで


 項垂れておるのである。いつものことなのだが、こいつは項垂れておるのである。ファミリーレストランのテーブルで頭を抱える友人の頭頂部を眺めながら、また薄くなってきたな、地肌が見える割合が増えてきておるな、こいつの将来は河童禿であるななどと考えていると突然友人は狂ったように頭を掻きむしり始めた。
「や、やめるのだ。ほら、一本二本三本四本、ここにもあそこにも、やめておけ。やけになって頭に当るなよ。髪は長い友達というではないか」
「……そんな言い方はないだろう。少ない髪の毛が抜けるのも構わず友人が悩んでいるのにそんな言い方はないだろう」
「ではどうすればよいのだ」
「……や、やさしくしてくれえ」
「やさしくか、難しいな、ええと、何を悩んでいるのでちゅかあ、おにいちゃんに言ってごらんなちゃいよお。何でも相談にのってあげるよお」
「お前、友人が真剣に苦しんでいるのにそういう風にしか言えないのかよ。だいたいお前は昔からそうだ。俺が金がないときでも美味そうにカレーを喰いやがって。あのとき俺が少しくれといったらお前は何て言ったか覚えているか」
「いや、覚えてないな」
「働かざるもの喰うべからずと言ったんだよ。そうだ、そう言ったんだ。しかもどうして俺が金がなかったかというとお前に麻雀で有り金を巻き上げられたからだ」
「そんなこと言った覚えはないがなあ」
「たしかに言った。昔から薄情な奴だ、お前は」
「そういうのを薄情だというのなら仕方がないが、あれはお前の為を思ってそう言ったんだ。多分そうだ」
「またか。聞き飽きたよ。お前は何か人に薄情な仕打ちをしたことを責めるといつもそう言うんだ。お前の為だって」
「事実そう思うのだから仕方ないだろう」
「嘘つけ。じゃあ何か。ミステリのネタばらしをするのも俺の為か。映画のオチを言うのも俺の為なのか。俺と良い雰囲気になった女の子に俺がアダルトビデオの鑑賞が趣味だと言ってまわるのが俺の為なのか。俺がベッドの下に隠してあるアダルトビデオをこっそり家族が使う居間のビデオにセットしておくのが俺の為なのか」
「そうだ。全部お前の為だ。一時は辛い思いをするかもしれんが将来的には俺に感謝するはずだ」
「す、するかあ。ほんと何でこんな奴と知り合いになんかなったんだ」
「それだったら休日に俺を呼び出したりせずにもっと別の友人と会えば良いだろう。結局俺しか友人と呼べる奴がいないんじゃないか」
「うぐ、お前だって同じ癖に。他に友達なんているのかよ」
「お前には言っていないが俺には沢山友人がいるんだ。皆親友と呼べる奴ばかりだ。たとえばあそこでビーフドリアをがっついている奴も、その隣の席に座っている可愛い女の子も皆友達だ。まだ話したことはないが。それより何だ。折角の休みのときにわざわざ呼び出したのだからそれなりの話があるのだろう。あまりに下らない話だったら髪の毛五十本抜くぞ。さ、話してみたまえ」
「護魔化しやがって。まあいいか。それで話と言うのはだな……」
「もしかして色恋の話か。また誰かしょうもない奴に惚れたか」
「しょうもないっていうなよ。俺にとっては真剣なんだ」
「まあいい、話の種にはなるだろう。続けたまえ」
「この間なあ、飲屋で知り合った女の子なんだけど話題も合うし可愛いしで久しぶりのヒットだったんだ」
「そうか、それは良かったな。もしのろけ話だったら髪の毛百本抜くぞ」
「まだそこまでいってないから安心しろ。それでだ、取り敢えずデートをしたんだ」
「はいはい良かった良かった、そんなこと、そんなこと、そんなこと羨ましくないぞ」
「まあ聞いてくれ。それで夕方に神戸のメリケン広場に行ってだな、色々と話をしていたんだ。気づいたら黄昏時だ。周りには肩を抱き合ったカップルが海を見ていたりもする。そうするとだな。やっぱり俺たちも何だか良い雰囲気になってきた」
「今のところ髪の毛二百本分だな」
「そこで俺は彼女の肩をそっと抱いて一緒に夕日に照らされた海を眺めていた。すると偶然何か流れ星みたいなものが落ちてくるのが見えたんだ。良いチャンスだ。これを使わない手はないと思って彼女にそのことを言ったんだよ。するとだな、彼女が言うんだ。違うって。あれは流れ星じゃないって」
「人工衛星とでも言ったのか。その状況ではちょっと無粋な感じだが」
「それだったらいいんだ。人工衛星だったらな。彼女は言ったよ。あれは絶対UFOだったって。流れ星の七十パーセントはUFOで日本でも最近宇宙人が調査の為に頻繁に来るようになったから云々、そんなことを早口で言い出したんだ」
「ま、ちょっと変わっているがそれくらいの奴だったら結構いるから許してやれよ。後何か言ってたか」
「えと、アララト山がとか、聖書の暗号がとか、三島由紀夫は宇宙人だとか、十二使徒がどうとか、アトランティスの神官がどうのとか」
「ううむ、でもお前の好みなんだろ、彼女は。付き合って何とか更生させればいいじゃないか」
「俺もそう思った。それでちょっと雰囲気は壊れたが何とか修復しようと思って彼女の肩を強く抱いたんだ」
「くう、良い思いしやがって。くそう、髪の毛三百本だ」
「すると彼女は俺の方をじっと見て言った。『あなたもアトランティスの末裔なんでしょ?』って」
「ははは、それでどう言ったんだ」
「そうだよ俺も君と同じアトランティスの末裔だって言った」
「アトランティスって柄か。それでどうした」
「じゃあ前世では何をしていたの? って訊くものだからついついアトランティスの貴族だったって答えてしまったんだ」
「貴族ときたか、アトランティスの貴族がファミリーレストランでパーコー麺なんて喰ってくるかあ」
「すると彼女は少し考えてから、嘘つきって言ったんだ。しかし貴族と言った手前後に引けないじゃないか。それで本当だ何度か大臣を出したこともある名門の次男坊だったと言ったんだ。それでも彼女は嘘つきって言う。それじゃあどうして嘘だと思うのかと訊ねた。するとな彼女は言ったよ。『あなたには貴族のオーラがない。アトランティスの貴族には必ず貴族としてのオーラがあるの』」
「仕方ないだろ。貧相が服着て歩いているようなものだからな、お前は」
「ちょっと悔しかったものだから、君はアトランティスでは何者だったのかと訊いたんだ。彼女は平然とした顔で言ったよ。『わたしはアトランティスではある貴族の妻でした。戦争による負傷で夫は動けない体になってたのですが』と。そのときには俺も何が何だか解らないようになっていてな。信じるとか信じないとか別にして」
「彼女の世界に取り込まれたんだな。それで結局お前はアトランティスでは何者だったんだよ」
「ええと、まあ、も、森番だ。彼女の家が所有している広大な森の番をしている冴えない森番だそうだ」
「はははは、森番か。『チャタレイ夫人の恋人』じゃないか、それ」
「俺も後でそう思ったんだけどな。そのときは何が何でも彼女と付き合いたかったものだから、前世ではどうあれ今は関係ないから俺と付き合ってくれと彼女に言った」
「ほう、勝負をかけたわけだ」
「彼女は暫く考えてからこう言った。『わたしには前世を忘れることは出来ない。だからやっぱりあなたを森番として扱います。それでも良かったらまた会いましょう』」
「ま、いいじゃないか。結局彼女は承諾したんだろ。森番でも何でもいいじゃないか。どうせお前は貴族って柄じゃない男だし。さ、髪の毛を抜かせてもらうぞ。合計五十本だ」
「待てよ、続きがあるんだ。森番として扱われるのは構わないんだが、それだけじゃないんだ」
「何だよ」
「彼女のことを呼ぶときは『サーラ様』と呼ばないといけないんだよ。それで彼女は俺のことを『パパラパー』と呼ぶそうだ。彼女と付き合ったとしたら」
「パ、パパラパーか、森番のパパラパー……か」
「ああ、付き合うんだったら俺は森番のパパラパーだ」
「パパラパーはなあ、ちょっとなあ」
「パパラパーはきついよなあ。でさあ、これから彼女に返事をするんだけどさあ、どうしたら良いと思う」
「ううむ、付き合ったら森番のパパラパーだもんなあ。ええと取り敢えずだな、お前にしなければならないことがある」
「何だ」
「髪の毛を抜かせてもらう」
「何本だ」
「三本かな」
「どのあたりが悪かったんだ」
「肩を抱いたくらい」
「そうか、厳しいな。やさしくしてくれよ」


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