其の160 海老です


 文化というものの強制力は大したもので、どこで知ったのかよくわからないことでも、やっちゃいけません、め! などと言われるだろう行為は知らず知らずのうちに何となくやってはいけないんだと漠然と考えてしまうもので、たとえばこういうのがそうだ。
「茶碗によそったごはんに箸を突き刺す」
 考えるだけでもう駄目だ。何てことするんだごはんに箸を突き刺すなんて、親の教育がなっていないんじゃないか、どうせそんなことをする奴は人の気持だとかやさしさだとかインディのカレーの美味さだとかわからない朴念仁にちがいない、いやそうだ、などと考えてしまうのである。
 こういうのはおそらく日本以外では何てことない行為なのだろうから、まさしく文化による強制力である。
「蚊だの蝿だのは平気で殺すくせに蜘蛛だけはそっと外に逃がしてやる」
 どういう理由だかわからないが蜘蛛を殺すのだけは駄目だ。蝿も蚊もたったひとつの命を持っている仲間、宇宙船地球号の乗組員ならば、どちらもそっと外に逃がしてやるかどちらも殺してしまうかで構わないはずなのに蜘蛛だけはどうも殺せない。これも文化による強制力である。
 こういった文化による強制力にはやってはいけないこと、つまりタブーと呼ばれるものがあるが、反対に誰にも教えられたわけではないのにもかかわらず何故か知ってしまっているものもある。
「生まれ変わり」
 誰に教えてもらったわけではないのにもかかわらず、何故か「生まれ変わり」つまり「輪廻転生」については子供でも知っていたりするのである。
「死んだら次にどんな生き物になりたい?」
「何だそれは。もしかして君は輪廻転生について言っておるのか」
「りんねてんせいってよくわからないけど、生まれ変わりのこと」
「誰に教えてもらったんだか知らないがそんなものはない、死んだら人間それまでだ」
「えええ! そんなのおお、でもみんな死んでもまた別の動物になって生き返るって言ってるよ」
「みたんか、おまえみたんか、わたしが中学のときやっとの思いで見てそして甘酸っぱい幻想を粉々に打ち砕いたものすら見たこともないくせに、死んだ後のことを見たかのように語るんではない」
「何それ? 中学のときやっとの思いで見たものって?」
「まあいいじゃないか、君もいずれ真実を知ることになろう。そしてびっくりして教室で何だかどきどきすることになるだろう。そして再び好きになるであろう」
「ふうん、何のことかわからないけど……」
「それはいいとして、君は何になりたいんだ、可愛いイルカだのとメルフェーンなこと言ったら頭ぐりぐりするぞ」
「ちがうよ、ええとね、犬かな」
「どうしてだ」
「だってね、うちの犬はお父さんとお母さんにものすごく可愛がられているし……」
「そうか、可愛がられているか……」
「……うん」
 などと輪廻転生の話をしながらにして両親からの愛情を犬に奪われている小学三年生の悲しみを知ってしまったりするのである。
 しかし輪廻転生というのは、死への恐怖を緩和するという意味において非常によくできた装置であるが、それも現代のような文明がなかったから説得力をもっていた装置であるように思える。というのもある生物学者によると地球上に生息している生物の種類はおよそ五千万種以上だからである。このことからわかることはこうである。
「もはや人間には一生かかってもあたらない」
 輪廻転生の話をしているのに「一生かかっても」などという言葉が出てくるのはどういうわけだかわからないが、とにかく今の人間時代が終わったらもう次はない、そういう気になってくる数である。
 しかもである。全生物の種類のうちもっとも種類が多いのは圧倒的に昆虫類で約五十パーセントを占めるそうである。実際に輪廻転生なんてことがあったとしたらこんな風になる。
 虫虫魚虫虫ミミズ虫虫イモリ虫プラナリア虫虫ヒトデ虫海老
 字面を見ているだけで何となく身体がかゆくなってくる。こう並べてみると、もうヒトデなんてものすごいレアものである。星型してて何となくかっこいいし。男と生まれたからには一度でいいからヒトデになりたいとすら思える。また海老もいい。海老でーっすなどと言いながら尻尾ふりふり跳ねまわったりするのも何だかかっこいいような気がするではないか。
 ただこの昆虫類であるが、唯一の救いは昆虫類の中でもっとも多いのが甲虫目だということである。甲虫目といえばカブトムシだとかクワガタである。帝王カブトムシになら昆虫に生まれ変わってもいいかなと少し思ったりもするが、今の己の生活を考えてみるといくら甲虫目になれたとしてもおそらくカツオブシムシだとかキノコムシだとかコメツキムシなど何とも情けない甲虫目が関の山だと思われて情けなくなってくる。
 昆虫類の種類は非常に多いとされているのであるが、こと個体数ということになると話は違ってくる。
 乾燥重量によって地球上の生物量を試算してみると地球上の全動物のうち十五パーセントを占める動物がいるのである。
「線虫」
 もうこれは非常に多い。何だって普段見ることができないくらい小さいくせに乾燥重量では十五パーセントも占めるのであるから、もうこの世は線虫でいっぱいだ。ある学者が調べたところ一つの林檎に九万頭もの線虫がいたとのことである。うようようようよ線虫がいる。昆虫以上に身体がかゆくなってくるではないか。
 そんな線虫であるから輪廻転生したとしても殆どが線虫であると言っても過言ではない。
 線虫線虫線虫、線虫線虫線虫、軍艦軍艦破裂、線虫線虫軍艦。
 何で軍艦が出てくるのかわからないが、もう生まれ変わる度に線虫である。
 そういうわけであるから「今の人生リセット、やっぱ最悪だから」などと自殺してもしまってもほぼ線虫としてのやりなおしである。
「可愛い猫になりたいな」などとメルフェーンなことをいってもちょっとメルヘンチックな線虫としてである。
「この大空に翼を広げ飛んでいきたいよおお」などと歌ってもほぼ線虫としてである。
「生まれ変わったら一緒になろうね」などといってもゴーゴーと叫ぶ線虫としてである。
 生まれ変わってもどうせほぼ線虫か、などと考えると何だか寂しいものがあるが、これにも唯一救いが残されている。線虫の仲間には人間に寄生しているあの回虫がいるのである。であるからして生まれ変わるとなると現実的にこう希望したい。
「美女が腸で飼っている回虫になりたい」
 回虫、それは男のロマンである。


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