其の162 天国への階段


「地球がなくなったら天国はどうなるのよおおお!」
 いったい何を言っておるのだ、一瞬目眩いがしてきたが何とか社会人としての威厳を保ちながらやさしく河合さん(中学二年偏差値低し)に言った。
「あ、あのね、何を言っているのかな? 僕にはわからにゃいなあ」
「いい年をしてそんな言い方をしても可愛くないからさあ」
「うむ、たしかに可愛くもないし、わたしだって可愛いと思われようなどとは思ってはいない。君があまりに突飛なことをいうもんだから驚いていることをわかりやすく表現したまでであって……」
「そんな理屈はいいから、どうなるのか教えてよお、怖いの」
「怖いのはこっちの方だ。ええと何が言いたいのかな。もう少しわたしにもわかるように言ってくれないと質問に答えられないではないか」
「もしね、地球が爆発するでしょ。そうしたら天国とかはどうなるの?」
 地球が爆発。なんて大雑把な表現なのだろう。その言葉に新鮮さを感じながらもわたしのカレー色の脳細胞はフル回転していた。
「もしかして、地球が爆発すると天国とかも吹き飛ばされると思ってるわけ?」
「あたりまえじゃない。だって天国は雲の上にあるんだもの、らららららー」
「ち、ちょっと待ちなさい、廊下で踊りだすのは! 頼むからやめてくれい!」
「じゃあちゃんと教えてよ」
「人にものを訪くときはもう少しだな、まあいいか。ええと、天国は雲の上にあるんだっけ」
「そうに決まってるでしょ」
「へえ、それは知らなかったなあ。じゃあどうして飛行機に乗っているとき雲の上を見ても何もないのかな?」
「それはね、ちゃんと天国を信じている人には見えるけれど、疑っている人には見えないの」
「そうか、なるほど。じゃあこの世の中の人で飛行機に乗ったことのある人はみんな天国のことを信じていないわけか」
「そうよ」
「ふうん、天国が雲の上にねえ、ええと雲って何で出来ているか知っているだろう」
「知らない」
「雲はだな、地上の空気が暖められて……ああああ、この間理科の時間に教えたところじゃないかあ! 知らないとは言わせないぞ」
「へへへへへ」
「まあいい、とにかく雲は水の塊だと思えばいいから。そんなところに天国はないし、人間の手で雲を作ることもできるくらいだから雲の上には天国はないんじゃないかな」
「そうかあ」
「次のテストの範囲だからしっかり勉強してくれないか、頼むから」
 河合さんの涎をたらさんばかりの痴呆面を見ながら、わたしは自分自身の不甲斐なさを棚にあげて日本の将来について真剣に心配していた。
「でもね、天国はあるんでしょ?」
「ううむ、あるかどうかはわからないが、おそらくないだろうな。でもあると考える方が死への恐怖が薄れるからいいんじゃないかな。あと悪いことができなくなるしな」
「ふうん」
「ところで君は天国をどんなところだと考えているんだ」
「えっとねえ、まずね、雲の上だからふわふわしてるの。周りにいる人はみんないい人ばっかりでね、それで天国に行くとね、いきなり背中から羽が生えてきて、ふわふわと飛べるの、らららららーーーー」
「こ、こら、踊るのはやめなさい、廊下で踊るのは!」
「はあはあ、で、でね、奥の方にはお城があるの。そこには神様が住んでいるの」
「ふうん、なるほどねえ」
「それでね、大きなお皿があるの、ものすごい大きな、ええとねえ、向かいの駐車場くらいの」
「小さいじゃないか! 車五台も置いたら満車じゃないか。まあ皿にすれば大きいが」
「その大きなお皿の上にはね、いっぱいの果物とかフルーツとかが山盛りになってていつでもふわふわ飛びながら食べてもいいの」
「ちなみに果物もフルーツも同じだ」
 そう呟きながらも河合さんのちょっと小太りな体形をみた。そしてフルーツ山盛り。いつでも果物が食べられる状況というのが彼女にとっての天国なのだろうなと諒解した。
「でね、極楽は別のところにあるの」
「ふえ? 極楽もあるのか。そいつは凄いや。ライダー大集合みたいだね、もしくはウルトラ兄弟大集合みたいだ」
「そんなことはいいから聞いてよ。その極楽はちょっと怖いの」
「え、極楽なのにか?」
「極楽に人が行くとね、そこの人はみんな寝ているの。全員が寝ているの。でもみんないい夢をみているの」
「みんな寝ているのか、ちょっと怖いかな、何だか植物人間の集まりみたいだし。なるほどねえ」
 そんなくだらない話をしていると向こうから筒井さん(中学二年女子偏差値低し)がやってきた。
「筒井さん、えっと君は天国ってどうなっていると思う?」
「決まってるじゃない。えっとね、まず死ぬと全員宇宙の果てにある天国に行くの」
「全員か、わたしでも行けるのか?」
「まあ仕方がないから入れてあげるけどね」
 おまえに決定権があるんかい! と心の中で突っ込みながら彼女の話の続きを聞いていた。
「そこにはね、一番最初に死んだ人がいるの。それでその人にこれまでの人生で悪かったところとか良かったところとかを言われてね、それでその人に次の人生でどうやっていけばいいかアドバイスをしてもらってね、それで生まれ変わるの、それでね、みんな人間になるとは決まってないの。悪いことばかりしてた人は虫とかになるの」
「ふうむ、なるほどねえ。でも一番最初に死んだ人間って、まだウホウホ言いながら骨を空に放り投げたりしているまだ殆ど猿みたいなのだぞ」
「それはちょっとわからないけど、まあその人はみんなの先輩だからちゃんと話を聞いておかないと次の人生で困るの」
「先輩か、だからわたしには敬語を使わないくせにクラブの先輩には敬語で挨拶するのか、まあいいけど。じゃあ君たちは前の人生で及第点を取れたから人間でいるわけか」
「ちがう! 全然駄目だったから今みたいになっているの! モーニング娘。だとかは前世でめっちゃ良いことばかりしてたから、めっちゃかわいくてめっちゃちやほやされてるの、ああ、なんでわたしの前の人もっとちゃんとしとかなかったんかなあ! むかつく!」
 前世で聖人のような行いをしてもモーニング娘。行き着く先はモーニング娘。それだったら人殺しくらいしておいてもいいかもしれない。
「しかし、そんな言葉遣いしてると今度は間寛平みたいなのに生まれ変わってマラソンばっかりさせられるぞ。それにだ。次でモーニング娘。みたいになりたかったらもっと一所懸命勉強しないといけないだろ。折角授業料払ってくれてる父上母上に申し訳が立たないじゃないか。だからだな……」
「ほんとに先生って夢がないなあ、理屈っぽいし。ああ、だから結婚できないんだあ、らららららー」
 何だか粗末なミュージカルのように踊りながら河合さんと筒井さんは教室に入っていたのだが、結婚は関係ないだろ結婚はと心で呟きながら仕事に戻った。
 それでちょっと天国について気になったものだから、休憩時間に山口さん(中学二年偏差値中)に彼女なりの天国観について質問してみた。
「天国ねえ、うーん……みんないい人ばっかりがいるの」
 偏差値が上がれば突飛な発想はなくなるのだろうか。
「ふうむ、それでは君は天国に行けるのかな?」
「あたりまえでしょ、先生は多分行けないだろうけどね。結婚もできないし天国へも行けないなんてかわいそうにねえ、はははは」
 分別のつかない子供とはいえあまりに傲岸不遜な態度の山口さんに憤りを感じながらも事実そうなのかもしれないと己を振り返って何だか情けなくなってきたのだが、しかしわたしも負けていはいない。大人を舐めるとどうなるのか思い知らせる必要がある。そう決心して彼女に言った。
「じゃあ君が天国行ったらその中では一番悪い奴だね、天国いい人偏差値三十くらいの」
 そう言い放って教室から飛び出た。追いかけてきて後ろから叩かれるのではと脅えながら後ろを振返ることもなく小走りで廊下を駆抜けたのである。
 やっぱり中学生は駄目だ。わたしの繊細な心を理解できるのはまだまだ判断力に問題のある小学生だけだ。そう考えて小学生のいる教室へと向かい、その中でも一番判断力に問題のある河内くん(小学五年生偏差値極悪、渾名「かわっちょん」)をつかまえて言った。
「かわっちょん、突然で悪いんだが、人間って死んだらどうなると思う?」
「あ、先生、この遊戯王のカード一枚余ってるからあげる」
「おお、ありがとう、これでデッキに厚みがでるよ……そ、そんなことより死んだらどうなると思うか教えてくれないか」
「焼かれる」
 そういってかわっちょんは再びカードの絵柄を熱心に見始めた。あまりのシンプルさに眼から鱗が落ちるような気がした。


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