其の19 対向車


 最近の子供はナポレオンが三時間しか眠らなかったとか、胃弱だったとか、背が低かったとかいうことすら知らない。しかも手品をするナポレオンズは知っていたりする。嘆かわしいことだ。やっぱり軍人で皇帝にまでなった人物というのは最近の日本では評価されないのだろうか。 わたしの幼少の頃は少なくともナポレオンは英雄として生きていたし、伝記なども読むよう薦められたものである。それがほんの十数年経っただけで殆ど語られなくなってしまっている。このような事実を知ればボナパルトは嘆くに違いない。俺の人生はなんだったのか、ロゼッタストーンよ! それはそうなんだが、車で通勤している。車という乗り物は通勤には向かない乗り物であることよのお、毎日そう思いながらハンドルを握っている。まずは渋滞とそうでないときの見極めが難しいということ。寝起きの何も考えられない脳味噌で、いつもと同じようなルートで仕事場に行くといきなり渋滞に巻き込まれ大慌てすることがある。駄目人間ではあるがパンクチュアルなのである。毎日のことなのだが、自分で選んだコースが混んでいるような錯覚をおこす。こっちは仕事で車に乗っているのにお前らトラックの運転手はじゃらじゃら装飾品に金をかけて何を遊びで車に乗っておるのだ、と身勝手な理屈で憤ることがある。冷静に考えればわたしの仕事などより重要な仕事をしているのだろうが、そのときは焦っているので、そこまで頭が回らない。普段から回らないのはさておくとして、やはり身勝手である。おばちゃんドライバーのたどたどしいハンドル捌きを見ては、車になんか乗るんじゃないとか、子供が飛び出して来ては、アフリカでは飢えの為車に轢かれたくとも轢かれないんだぞとアクセルを踏み込んだりとか、飢えた子の前で車を語るのは有効なのかとか、わけのわからないことを考えながらハンドルを回したりブレーキを踏んだりラジオを聴いたり煙草をすったりするのである。
 車を運転する人は知っているが運転しない人はあまり知らないことがある。ハンドルの下の秘密の扉の中には必ずお菓子が入っていることではなく、運転する前には必ず真言密教を唱えることでもない。ジェスチャーによる挨拶方法である。挨拶といっても登山中誰彼なしにこんにちはーと言ったりするような偽善的な挨拶ではなく事故を未然に防ぐ為の挨拶なのである。これは意外に習得するのが難しく、更には最近の自動車教習所では教えないことが多いので、全く知らないドライバーもいるかもしれない。
 例えばこういう場面がある。停車していた車が車の流れに入りたいとする。しかし、道路には渋滞しているというわけではないが少し先がつかえている。そこでおろおろしながら車の流れが途絶えるのを待ち構えたりしているのだが、どうにも入ることが出来ない。一進一退少女隊状態である。そこに心優しきドライバーが現われ、片方の手でこっちこいみたいなジェスチャーをする。おお、これで発進できるぜ。こういうものだ。他にはこういうものもある。二車線だが、大きな道路ではなく車二台がやっとの道だ。歩道の向こうには商店が立ち並び買物客の車なんかが停車していたりする。そこに対向車線から車が来たりすると駐車してある車線を走っている車は止まらなければならない。ああ、向こうには何台の車があるのだろうか、わたしの車を通り過ぎてゆく車たちよと嘆かなければならないのであるが、そこを爽やかなパンチパーマのタクシー運転手なんかが、そっち少ないんだから先に通してやるよ、てな表情をする。そのタクシーの横を通り過ぎるとき、「ヤ、久しぶり」みたいな感じで手を顔前方に掲げる。感謝の印だ。
 しかしあれなんであるが、一日に何度もこういうジェスチャーをしているというのもなんである。ちょっと変化が欲しいところだ。今日の通勤中もやはりそういう状況が訪れたのであるが、ちょっとあれだったので、こんなことをしてみた。
 やはりいつものように前方には駐車している車がある。ええいまままよ、てやんでいと江戸っ子ばりに対向車線に飛び出し停まっている車の脇を通り過ぎようとした。わたしの方が早かったので優先権はあるのだが、対向車線から軽自動車がやってきていたのだ。遅刻しそうなときなどは構わず突っ切るのだが、今日は幸いにも余裕をもって到着しそうだ。そこで、一旦車を停めバックしはじめた。なんとイイ奴なんだ、わたしという生き物は。相手の妙齢の女性ドライバー、大体において妙齢というと女性をさすのだが、彼女はわたしの英国紳士並の振る舞いに微笑んでいる。わたしはバックしながらいやいやいいんですよということを伝える為、ぐわし、そしてさばらをした。ぐわしというのはぐわしのことであり、さばらとはさばらのことである。彼女はどう反応してよいのかわからぬような表情をしていたが、わたしは構わず、いやいやいいんですよ、ぐわし、そしてさばらをしてみせた。車を対向車が通れるぐらいの所まで戻すと、彼女の車はわたしの脇を通り過ぎようとした。そのとき彼女もぐわし、そしてさばら、そして助手席に座っていた友人かなにかの女性も、ぐわし、そしてさばらをした。わたしも、いえいえそんな気にしないでくださいてな感じで、ぐわし、そしてさばらをした。
 案の定、そんなことをしていたら発進が遅れたので後ろから来た車にクラクションを鳴らされることになった。後ろの車にも、ああすいませんという感じで、ぐわし、そしてさばらをしたかどうかは神のみぞ知る。あとわたしも知っているかもしれない。そしてこの雑文で書かれていることも何処まで本当のことかは神とわたしだけが知っているかもしれない。


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