其の66 素晴らしき演繹的思考


 わたしを評する言葉の中で、これまで一度も言われたことのない言葉が二つあった。一つは「頭よさそう」である。わたし自身はかなりの水準で知性的な顔つきだと自負しているのであるが、かつて誰からも「頭よさそう」ということを言われたことがない。実際の知性ではなく見た目の話である。中身をじっくりと検分してから評してくれとも思うが、中身を知れば余計にわたしの知性が疑われれる恐れもあるため、言い出すことができない。まさにダブルバインドである。また、もしかすると「巨乳は頭が悪い」と同様「ハンサムさんに知性はない」という前近代的な伝承が二十一世紀を迎えようとしている現代でさえ脈々と生きているのかもしれない。
 そして次に「太っている」である。勿論これと同義の「デブ」「ブタ」などはかつて一度も言われたことがなかった。これまで「デブ」だの「ブタ」だの「アメリカでは出世しない」だの「地球の温暖化に一役買っている」だの「ウシのげっぷの次に迷惑だ」だのといった言葉を容赦なく太っている人間に浴びせていた方である。ところがである。最近知り合いに「太りましたね」と言われてしまった。始めは彼が何を言っているのか解らなかった。周りを見渡しても「太りましたね」に似合う人物はいないし、狸の信楽焼きなども見当たらない。更に彼は言った。「本当に太りましたね」。ここにきてようやくわたしに対して言った言葉であることに気付いたのであるが、生まれて初めての「太りましたね」である。ファーストコンタクト、未知との遭遇である。どう対処して良いか解らないのである。取り敢えず彼に言った。
「君、そこへ直れ。確認しておく。君が言ひたゐのはわたしが現在太つてゐるといふ現状を評したのか、それともこれまでのスリムなわたしと比較して太つたといふ、変化についての評なのか、どちらなのかはつきり言ひたまへ」
 わたしの貫禄と迫力と若干間違った旧かなとを伴った力強い言葉にやや脅えているように見えたものの、しかしながら素直に「ひっ、後者です。勿論後者に決まっているじゃないですか」と言った。
 たしかに最近少し気にはなっていたのであるが、他人には解らないごく僅かな変化であると思っていた。しかし他人に指摘されるということは自分が思っている以上に太ってきているということなのであろう。そこでこの評を虚心に受け止め、二度と「太りましたね」などという穢れた言葉を耳にせぬように努めようと思う。まずは冷静に現状を分析しなければならない。あらゆる事象には原因が潜んでいる。勿論太ることにも原因があるのは当然である。そしてこの原因はやはり生活態度に問題があるはずである。見事な演繹的思考である。これだけの知性があるにもかかわらずなぜ頭が悪そうに見えるのか、ということはさておき、日々の生活の中で太る原因になりそうなことを列挙してみようと思う。
(1)一日二食である。(2)カレーを喰うとき、つい「特盛り」と言ってしまう。
 まず(1)の一日二食である。これは相撲取りと同じ食生活である。相撲取りはデブの代表格であるから、それと同じことをしているのでは太るのも道理である。しかし仕事柄三度きちんと食事することなど不可能である。不可能なことをあれこれ考えるのは無駄である。無駄なことに対策を講じるのは馬鹿である。見事な演繹的思考である。それなのに何故馬鹿にみえるのか、ということはさておき(1)についてはなかったことにする。
 次は「特盛り」である。これならなんとか対策を講じることが出来そうである。そこで本日カレー屋「インディ」に足を運び、試してみることにした。
「毎度いらっしゃいませ。今日は何にしましょう」
「えーと、ぢゃあカツカレー」
「解りました。オーダー入りまーす。カツカレー特盛りー」
「ストップ!」
「え、オーダー変わりますか」
「特盛りぢゃないので」
「解りましたー、オーダー変更しまーす。カツカレー大盛りー」
「ス、ストーップ! 普通のでいいです」
「え、どうしたんすか。調子でも悪いんすか」
「いえ、別に何もないですけど……」
「……そうすか。ぢゃあカツカレーひとつー」
 と待つこと五分。やがてわたしの前に現われたのは特盛りと大盛りの中間くらいのカツカレーであった。
「あ、あの。普通ので注文したんですけど」
「ああ、それ。いつも来てくれてるからサービスです」
 結局カツカレー特盛り弱を食べてしまうわたしであった。おそらくわたしの財布の中身をおもんばかっての親切心からであろう。一杯のかけそばならぬ、一杯のカツカレーである。しかし大きなお世話である。これではわたしが特盛りを注文しようがしまいが同じことではないか。カレー屋「インディ」から出るときのわたしは、当初の目的を達せられなかった悔しさと充分にカレーの美味さを堪能できた喜びとが微妙に入り交じった複雑な表情をしていたことであろう。
 この二つの結果から考えると、最近太ってきたのは自律的な原因ではないと断定してもよさそうである。ということはわたしにはどうすることもできない。己の体格の変化を他律的な原因によるものだと断定するのは自分を客観視出来ない人間である。自分を客観視出来ない人間は意思薄弱な人間である。意思薄弱な人間は太りそうな食い物をつい漫然と口にしてしまう。漫然と食い物を口にしてしまうと太ってしまう。これほど見事な演繹的思考が出来るのに何故頭が悪そうに見えるのか、ということはさておき、やはり太る原因は自分にありそうである。


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