其の78 青春の映画評


 何となく、掃除とはかくあるべきではなかろうか。何となく始める。何となく奇麗だ。何となく終わろう、掃除との付き合いはこのようにゆきたいものである。ここまで奇麗に、今日中になどと考えていると自発的行為であるべき掃除が何となく辛くなってくるものだ、何となく。
 ということで夜中にふと掃除を始めていると、人には見せられない本の間から学生時分使っていたノートが出てきた。タイトルは「映画批評」。ひゃあ、こんなところにあったのか。そうである。大学一年生の頃、観に行った映画全てに自分なりの批評を書いていたノートなのである。夢と希望をもって入部した軽音楽部のあまりの体育会系のノリについてゆけなくなり退部した反動か、妙に映画を観に行くようになった大学一年の頃、毎日しこしこ書き綴っていたものである。
 百本くらいの映画評を、汚い字でそして細かなことまでびっしりと書き込んである。日時は勿論、誰と一緒に見たか、パンフレットは買ったか、その上何故か昼飯に何を喰ったかまで書いてあるのだから恐れ入る。そして肝心の批評はその日にあったことなども取り入れながら、青臭い文章で粗筋、そして解った様な口ぶりでカメラワークまで気付いたことを書いていたようだ。そして極め付きは最後に「エンターテイメント性」「映像美」「脚本」といった項目毎に十点満点で表にしてあるのである。しかも映画毎に「お笑い度」とか「泣かせ度」といった項目が追加されていたりで非常にいい加減である。しかし十九歳にしては甚だ生意気だ。もし今十代でこんなことを書いているような奴がいたら「くう、こ、この口がゆうたんかー、ごのぐちがー」と口を摘まみながらはり倒すところだが過去の自分であるだけに成敗も出来ない。それで幾つかこの「映画評」を写してみるが、それぞれの映画の重要な場面を書いているので、もし結末を知りたくないという人はこの先は読まないほうが良いと思われる。

「楓吹きすさぶ夕べ」 監督 ビッキー・カーチス 主演 マイケル・コメット
 大和屋のカレーは非常に甘ったるくカツは油っぽくて胃にもたれる。友人には美味かったと伝えておこう。しかしビッキーの前作の「クライマックス・ビッグ・ザ・ゴーゴー−熊がでたぞー−」に惹かれて観に行ったのだが、いきなり文芸路線だったので驚く。たしかに「クライマックス……」において主演のクリス・ゴアのサンタクロースの格好でのカンカンダンスシーンにはどことなく笑えない、文芸路線めいた演出であったが、まさかここまでお笑いの要素を取り払うとは思ってもみなかった。やはり喜劇ばかり撮っていた監督も年寄りになるとこういうお涙頂戴的な映画を撮りたくなるのだろうか。只気に入ったのは途中殺人事件の謎解きがあって、最後に至るまで犯人が明らかにされないことだ。犯人を暴かないところが逆にカタルシスがあって、気持ち良かった。わたしの勘では途中出てきた執事が怪しいと思う。

「コリアンダー」 監督 クリストファー・クリス 主演 カイル・マクラトラン
 ジャワ屋のチーズカレーは最高だった。友人には不味かったと伝えておこう。しかしクリストファー・クリスってこんな凄い映画を撮れる人だったのである。今まで彼に対する評価は低すぎたのか、それともわたしの審美眼がなかったのか、それは兎も角、凄かった。脚本は最高だし、何より台詞がかっこいい。特に主演のカイル・マクラトランが相手役のケイト・キシリトールに向かって呟く「世の中というのはね、胡椒なんだよ……(略)……涙とくしゃみが同時にさ」という台詞は最高だった。今度八ミリで映画を撮るときこっそり入れておくことにしよう。そして映像も素晴らしい。高層ビルの一室からゆっくりと部屋を見渡しそして窓を通って急降下し、その先に映るコリアンダーの小さな粒と横に置いてあるショートホープの箱との対比、素晴らしい。全体としては最高の出来だったのだが、唯一駄目な所もあって、主演のカイル・マクラトランが殺人事件に巻き込まれるところだ。あれはなくても良かったのではないか。結局犯人も解らずじまいだし、その上結末と何の関係もないのだから意味なしだ。わたしの勘では本屋の主人が犯人だと思う。というのもケイト・キシリトールの首筋には青あざがあったからだ。

「ブラック・ポール」 監督 ゲオルグ・チマーマン 主演 読みとれなかった
 ボルネオ屋のトマト入りカレーは今思うとハヤシライスだったようだ。無念なり。しかしドイツ映画というのは難しい。まず登場人物の名前が発音しにくいので覚えきれない。その上この「ブラック・ポール」の主演は顔が地味でそして名前も印象に残らないような男だったので覚えていない。まあ良いか。話自体はよくあるもので非常に陳腐であったが、主演の相手役の女優が非常に良かった。何となく薄幸そうで、思わず抱きしめたくなった。すると案の定主演の男が抱きしめていた。ドイツ人でもそうなるのだ。観るべきところは彼女だけの映画である。肝心の殺人事件の謎解きはあっという間に犯人が解ってしまう。殺され役の俳優も登場した途端に「こいつ殺されるぞ」と思ってしまう。そして最後のシーンで相手役の女優の母親が「全部、わたしが悪いの」と涙ながらに訴える所は最悪だ。それなのに主演の地味な男は「いえ、悪いのは死んだ御主人です」と妙に慰めるのだから腹がたつ。その母親は義理の子供を池に突き刺して殺してしまうような女なんだぞ。

「恋人たちはグローイングアップ−恋の話に花が咲く- パート6」 監督 不明 主演 不明
 ドラヴィダ屋のカレーには麻薬が入っているのではないか。そう思うほど美味い。ただシャツにカレーのルゥがついてしまったのは不覚である。しかしどう見てもアメリカの映画なのにイスラエル映画となっているのは不思議だ。みんな英語を喋っているのに。それは兎も角、時間潰しに入った映画なのにこれほど素晴らしい映画だったとは運が良い。最初は軽薄そうな六人の男女がそれぞれ処女と童貞を捨てようとやっきになる話なのだが、途中からいきなり素晴らしくなってくる。六人で旅行に行くのだが、それが何故かロバート・ジョンソンの未発表曲を探しに行くことになるのだ。リズム感など全くない主演だと思われる男が他の五人の友達の励ましによってブルースギターの達人になってゆく様は今でも思い出すと胸が一杯になる。そして未発表曲を求める旅のサイド・ストーリーとして「母親探し」が出てくるのは非常によく出来たロードムービーの雰囲気を醸し出していた。ちょっと気になるのはニューヨークからメンフィスへ向かっていたはずの旅が話の途中でパリからテキサスへと向かう旅に変わっている点であるが、全体の出来の良さから許容できる範囲である。そして一番の見所は旅の途中でふとしたことで起ってしまう殺人事件の謎解きの場面だ。じっと見ていたのだが、どうしても犯人が解らないのである。殺人の度に聞こえてくるブルースギターの音。それは正に主人公たちが求めているロバート・ジョンソンの未発表曲なのであるが、しかし犯人は解らないのである。最後に探偵役の女優が偶然発見するギターの弦によって事件はすんなり解決してしまう所は好感がもてた。そして犯人がブルースギターを弾くことのできるオランウータンであったのだからそのアイデアには感心してしまった。この映画は恐らく生涯ベストテンに入るはずだ。

 などと映画通ぶった物言いで映画評を書いていたのだが、しかし結構マイナーな映画が多い。やっぱり若さ故、小難しい映画ばかり見てしまうものなのだろうか。それはそうと色々なレンタルビデオ店でこれらの映画を探しているのだが、どうも見つからない。持っている、もしくはあそこの店に置いてあったという情報があればメールにて連絡して貰えると非常に有り難い。


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