其の79 団欒


 家族の団欒というものは家族間の信頼やら安心感やらが伴わなくても、日曜日の夕方「サザエさん」なんぞを観ながら「醤油とって」などという声がテーブルの上を飛び交うのならばそれは団欒といっても差し支えないものであって、眼前に広がる食卓を眺めてみれば我が家においても例外なく団欒というものが存在しているものだなあなどと感慨深く、だからといってそれが幸せというものであるなどとはこうして雑文を書く段になって初めてそういう考え方もあるのだと思いつくのであるが、そうはいってもあの我が家族であるからして、食事をしながら幸せを噛み締めるなどという極めて牧歌的な精神は我が心に広がるはずもないのである。
「うーん、あの魚とイルカ、凄いなあ、子供出来たらどうなるんやろ」
 テレビを観ていると何やら水族館で魚に求愛的行為をするイルカが映っていたのだが、それも勿論人間からみればそのイルカの行為が求愛的に見えるだけであって、当のイルカにはそんな考えがあるはずもない。コロッケを頬張りながら母上は何気に誰に訊ねるともなく言う。
「あ、そうか、あの魚、雌とは限らないしなあ」
「本気で言っているのか」
「でも、ほら、イルカが雄で、魚が雌だったら子供できるやろに」
「異種間では子供できんやろ」
「で、でもなあ、ほら阪神パークのレオポン、あれ虎と豹のあいの子やろに」
 大阪のおばちゃんというのは阪神パークのレオポンという例外的な動物をもって全ての異種間交配が可能だと思っている節があるのだが、しかし哺乳類と魚類の交配までが可能だと考えておる人には初めて出会った。恐るべし母上。
「ほら、あれは猫科同士だから出来るんだよ」
 酔っ払っていない父上が母上に諭すように言う。
「あ、そう。でもあのイルカ、あんなに魚にくっついてチュウまでしとるんやからよっぽど好きなんやろな。ちうことはやっぱりあの魚は雌なんやろな、イルカが雄やからなあ」
 雄とか雌とかいう問題ではないはずだが、その辺りまで考えが及ばないところが母上らしい。
「なんとかして結婚させたりたいなあ」
 イルカと魚の映像は母上の頭では「ロミオとジュリエット」的結ばれない愛という話に転化されている様子である。父上は黙々と箸を動かしている。
「あのさ、言っておくけど、魚は卵だってこと解っているよな」
「当たり前やんか、イクラとか美味しいがな。やっぱり魚は卵やね」
 もはや母上の考えはわたしには理解出来ないのである。
 食事が終わり、父上は犬と戯れ始める。わたしはアイスコーヒーを片手に今日の新聞を広げ書評などを読み始める。テレビの電源は落とされ、代わりにラジオからはFM放送が流れている。窓からは涼しい風も入ってくる。これもまた団欒である。
「今週の星占いです。まず牡羊座……」
 家族と共に楽しむラジオ放送であるから、先端のロックシーンだのダンスシーンだのといった音楽は向かないし、お笑いトークも向かない。「この間イタリアに旅行に行きまして……」といった何気ない放送した瞬間に居間の壁に染み込んで後が残らないようなものが良い。それでこそ団欒というものだ。
「……牡羊座の人。モテモテです……」
 ん、やけに大雑把な占いなのである。
「……牡牛座の人。今週、とってもエッチです。……双子座……」
 今週エッチですなどと占われたわたしに向かってにやにやしながら母上が詰め寄る。
「今週エッチやねんてなあ、へへへ」
 糞、俺はなあ、今週に限らず年がら年中エッチなんだぞと言いたくなるが聞いていない振りをする。
「……天秤座です。今週妊娠に気をつけて。……蠍座……」
 母上は妊娠に気をつけなければならないのである。
 気まずい中、父上は気を利かせてテレビをつける。スポーツ・ニュースをやっている。野球で既に終わった試合などの結果についでサッカーのワールドカップの話題が始まる。母上は台所で洗い物を始める。かちゃかちゃという音がテレビの音に混じって聞こえる。ブラジルチームが画面に映っている。バックでは御約束のようにラテン系の音楽が流れている。これもまた団欒である。
「……コニーデ、コニーデ……」
 台所からテレビの音楽に合せて母上の鼻歌が聞こえてくる。
「……コニーデ、コニーデ……」
 ラテンミュージックに合せて母上は歌う。
「……コニーデ、コニーデ……」
 台所から洗い物の音と母上の鼻歌。本格的な夏に入る前の思いがけない涼しい夜。正に家族の団欒である。
 ん? ちょっと待て、母上よ。先程気付いたのだが、もしかするとその「コニーデ」というのは「アミーゴ」の間違いではないのか。コニーデって火山だし。


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