其の90 ハハの名前


 わたしのリズム感の悪さは筋金入りで、それは二人でギターを弾くことになると非常によく解るのだが、弾くタイミングが早すぎてしまうというものである。これは一所懸命ギターを弾くが為に起こる悲劇なのだが、しっかり弾こうと考える余りリズムが前のりになってしまうのである。我慢できないのだ。休符が。考えてみると堪え性がないのは幼少の頃からで、小学生の頃、わたしの担任の先生は漢字学習の際、いち、に、さん、と画数を数えながら、その漢字を目の前の空間に大きく手で書かせたのだが、そういうときのわたしは「しんにゅう」のとき「いち、にーーい、さん」と数えるべきところを「いち、にーさん、しー」と数えてしまったり、「くにがまえ」のときに「いち、にーーーい、さん」と数えるべきところを「いち、にーさん、しー」とつい余分に数えてしまうことがよくあった。「しー」の声が教室で聞こえるたび、先生は誰が間違ったのかを糾弾しようと児童全員を見回すのだが、ずる賢いわたしは先生に解るように隣の山口君の方をちらちらと見ることによって責任を彼にになすりつけていたりもしたのである。悪かった、山口君。
 画数と言えば最近母上が落ち込んでいるのである。何やら占い師に酷いことを言われたらしいのだ。大阪の梅田で買い物をした帰り道、占いのブースを見つけた母上は、時間に余裕があることと無料相談という看板に惹かれてのこのこと入っていったらしいのだが、名前を紙に記入して占い師に見せたところ相手の占い師が非常に驚いた顔をしてこう言い放ったらしいのだ。
「ち、超大凶の名前です。こんなの初めてみました。よく生きてますね」
 お前はもう死んでいる、そう宣告されたも同然である。その上「結婚されているんですか? よく結婚できましたね」とまで言われたらしい。これは名前を見て判断したのかそれとも母上の容姿から判断したのかは意見のわかれるところだが、兎も角母上の名前は超のつく程の大凶らしい。それで落ち込んでいるのだ。因みに母上の名前は「頼子」という。と、ここで「頼子」とタイプしたが実際はこの「頼る」という字ではなくて、「束に刀に貝」と書くのだそうだ。母上の話では保険屋にこの名前を言ったところ特別に作らないとないと言われたということなので、おそらく規格外の字なのだろう。しかしこの母上、食事中占い師に大凶の名前だと言われたことを愚痴愚痴呟いていたのだが、突然とんでもないことを言い出すのである。
「折角言い名前なのに。徳富蘇峰につけてもらったのに……」
 吹き出したワカメを口からだらりと出しながら、慌てて聞き直したのだが、何でも母上の母上、つまりわたしの祖母が母上を産む数ヶ月前ある雑誌に連載していた徳富蘇峰に子供の名前を考えてくれという手紙を送り、それが雑誌に掲載されたということなのである。まさか家族で食事している最中に「徳富蘇峰」なんて名前を耳にするとは考えもしなかったのだが、しかしこの話が本当なら母上の名付け親は徳富蘇峰である。ゴッドファーザーが徳富蘇峰。徳富蘇峰はゴッドファーザー、である。もちろん徳富蘇峰が母の実家に馬の首を放り込んだり、フランクシナトラを結婚式で歌わせたりするわけではない。名付け親が徳富蘇峰なのである。何だか凄いではないか。気功に勤しんでいる母上のゴッドファーザーが徳富蘇峰だなんて夢にも思わない展開である。しかしその徳富蘇峰もよりによってなんて名前をつけたのだ。既に死んでいる程の大凶なのである。頼子は。蘇峰にも程がある。今になって母上に改名を考えさせる名前を選ぶなんて。家族の迷惑も考えてもらいたいものである。そして母上は言う。
「折角徳富蘇峰がつけた名前だけど、改名しようか」
「で、どうするのだ」父上は呑気にビールを呑みながらニタニタ笑って言う。
「ひらがななんてどうやろか、より子にしてみたり」
「まあ、どうでもいいけどなあ」父上は酔っ払っているの上、ほんと母上の名前などどうでもいいかのように犬の頭を撫ぜながらの食事である。
「どうせ変えるんだったら、ポチなんてどうだ、ひゃひゃひゃ」
 父上よ、それは言い過ぎだぞ、と言う暇もなく母上はきっと父上の方を睨みながら言った。
「ほら、やっぱり大凶の名前や、この間もあんた財布落とすし、あんたと結婚したのかって大凶やったのかもしれんわ」
 夫婦喧嘩になるのかとはらはらしながら見守っていたのだが、酔っぱらいの父上に何を言っても無駄と思ったのか、母上はわたしの方へ話を振ってきた。
「なあ、どうしたらいいと思う?」
「まあ、名前で運命決まるわけないし。ところでその占い師はその後どう言ったの」
「ええとね、名前が悪いから印鑑作りませんかって」
 なんだ、印鑑売りの口上ではないか。よくある話である。わたしはこの後如何に名前と運勢とが無関係かを熱っぽく語ったのであるが、それでも母上の気持ちは晴れないようでまだぶつぶつ言っている。
「ええと、ところでその占い師はどうやって占ってたの。やっぱり画数とか見てか」
「うん、そう。なんや画数とか調べてはったわ……そうや、画数で運勢が決まるんやったら字を変えたらどうやろ」
 と本来の字である「束に刀に貝」を「頼」に変えてみるという。このときわたしは初めて本来の字を知ったのだが、父上もそれは初耳だったのか、それとも聞いてて忘れていたのかどうか解らないがどんな字が本当なのだなどと間抜けなことを訊くのである。母上は呆れながらも「頼るに似ているけど、右が刀に貝というのが本当の字なの」と父上に説明する。結婚三十年にして嫁の名前を知るなんて間抜けな亭主である。嫁はんの名前も知らなかった馬鹿亭主は更に間抜けなことを言う。
「へえ、そうやったんか。知らんかった。刀に貝っていうと、うーん、負けるいう字やな。負け子か、負け子。ひゃひゃひゃ」
 父上よ、いくら酔っ払っているからと言っても「刀に貝」で負けるではないだろ。負け子って、子供じゃあるまいしさ。
「画数変えたら運勢変わるかもしらんしなあ。これから名前書くとき頼るって書こう」
 変えたからといって何が変わるのか解らないが、それでも母上は納得しているようである。先程までの落ち込みようが嘘のように晴れ晴れとした顔をして「頼子、頼子」などと呟いているのである。
「ええと、喜んでいるところ悪いんだけど、それ頼るに変えても画数同じだと思うんだけど」
「え、うそ、ちょっと待ってや。いち、にー、さんしー、ごー……で、十七画やろ。で、頼るはいち、にーさん、しー……で十六画で違うやんか」
 母上の名前の由来とわたしのリズム感の悪さが母上譲りであることが判明した夕食であった。


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