其の129 ほい三千円


 自分の中に潜む能力を見つけることこそが生きているということではないかと考えることがある。人というのはつい自分の欠点にばかりに目がいってしまうので、「ああ、駄目だ駄目だ、俺は何て駄目な奴なんだ、死んでしまえ、えい、えい、うぃ、クイッククイック、うきゃ」などと首をつってしまう人間ばかりになってしまって、種としてかなりどうかと思われることになってしまう。そこで代わりに「おお、こんな俺でもこんな力があったのだ、うぃうぃ(フランス語)」と自分自身で己に潜んでいた能力を発見する力が与えられているのだと思うのである。この己に潜んでいた能力であるが、もちろん素晴らしいものもあれば実に下らないものまで様々である。たとえば先日、わたしに「風邪をひいた瞬間」がわかるという才能があることを発見した。ううん、風邪かなあ、いや、まだ大丈夫だ、熱もないし、だるくもない、しかしこれは風邪をひきそうだぞ、お、ひいてきたひいてきた、ああああ……ほい風邪ひきさん。などと風邪をひいた瞬間がわかるのである。自分では素晴らしい才能であると思うのだが、風邪をひいた瞬間がわかったところで対策をたてることもできず、ただ茫然と眺めているだけであるのが惜しまれるところである。
 新しい才能の発見、ここまでは別に問題はない。しかしここで我々の前にはその「発見された才能」というのが素晴らしいものなのかそれとも下らないものなのかを判定しなければならないという重大な問題が存在するのである。その判定を識者に任せる人もいるだろうし、また金儲けできるかどうかによって判定する人もいることであろう。わたしの場合はそのどちらでもない。「その才能によって日本中を巡りながら生活できるかどうか」という視点によって判定するのである。
「はあ、よってらっしゃい見てらっしゃい、こちらに鎮座しまするはあ、風邪をひいたかどうかがわかる男だあ、そこの奥さん、ものは試しだ、この男にきいてごらんなさい」
「え、え……か、風邪ですか。見たところ元気そうですけども……」
「いんや、わからないよお、奥さん。風邪っていうのは見た目じゃあ、わからない。見た目に風邪だとわかったら既に手遅れ、風邪ひきさん。そこでこの男、風邪をひいた瞬間がわかるっていうんだから珍しい。さ、聞いてみておくれい」
「え、えと、今風邪ひいてますか」
「ひいてません!」
「ほうら、わかるんだよお、この男は」
「で、でも、わたしもわかりますけど、今風邪をひいていないことくらい」
「ははは、ここでおしまいじゃあ、そりゃあ詐欺だよ、奥さん。ここでこの男の上着を一枚一枚脱がすのさあ、ほうれ一枚、二枚、三枚、どんどん脱がしてゆくって寸法だあ、ほうれ四枚、五枚っと、おお、震えてるねえ、どうだい、風邪ひいたかい?」
「ブルルル、ま、まだです」
「おお、今日は我慢強いねえ。じゃあこれだ。氷を抱いてみな」
「ひいひい、ちべたいちべたい、ひいひい、ちべたいい」
「どうだい、まだかい」
「まだです……ああ、ああ、ひ、ひ、ひ……ひきましたあああ!」
「おお、そうかい今ひいたかい。ほらね、奥さん、凄いでしょ。ということで、ほい三千円」
 これは駄目である。さすがにこんなことをして日本中を巡るのは体力的に問題がある。それに冬でないと説得力がないから夏は夏で何か別のものを考えなければならないだろう。また三千円は高過ぎるようにも思える。せめて風邪をひいた瞬間に鼻水が垂れるくらいでないと三千円はもらえないであろう。
 またわたしのこれまで隠していた才能として「耳を動かすことができる」というのがある。鼻ではない。耳である。鼻と耳では大違いである。鼻を膨らますことなど誰にでもできるが耳を動かすことができるの少数派である。しかしこの「耳を動かす」というので巡業できるのか難しいところである。
「よってらっしゃいみてらっしゃい、ここに鎮座しまするわあ、耳を動かすことができる男だあ、そこの奥さん、ものは試しだ、この男に言ってごらんなさい」
「え、耳を動かすことができるのですか、でも、それうちの子供もできるんですけ……」
「馬鹿にしちゃあいけないよ! 奥さん。この男、そんじょそこらの耳動かしじゃあない。普通にやったって動かない、さあ頼んでみなさい、この男にいい」
「わ、わかりました。じゃ、お願いします、耳、動かしてみてください」
「……」
「あ、あの動かして下さい」
「……」
「おい! どうなってんだ、早く動かせよ、このぼんくら、折角忙しいところ立ち止まって頼んでくれてるんだ、早くやれよ」
「……」
「いい加減にしやがれ、この唐変木! 奥さん待ってるんだ」
「で、でも、急にやれって言われても、こっちだって色々と都合があるし……」
「ば、ばかやろお、それでもプロの耳動かしかああ、ここで動かさなきゃいつ動かすんだよおお!」
「で、でも……」
「おおおおお早く動かしやがれえええ、こ、こ、このおおお、おとこおんなあああ!」
「ピクピク」
「ほうら奥さん、凄いでしょ、ほい三千円」
 これも駄目だ。耳を動かすということ自体は素晴らしいが、実は人類というのは進化の過程で耳を動かすということを放棄したらしく、耳を動かせるというのはきちんと進化していない人間であるという情報が出まわっている為である。やはり人というのは自分よりも素晴らしいものに対しては拍手を贈るが、そうでないものに対しては途端に冷たくなるのである。この情報が出まわる前であれば、せめてもっと国広富之が活躍していれば、そして松崎しげるが相棒となってくれれば、この点が惜しまれるところである。
 このように日本を巡業してまわるというのはわたしの夢ではあるが、今のところそれに見合う才能を見つけていない。しかし己の才能を探す努力は惜しまないつもりである。いつの日かあなたの町に怪しげな見世物がやってくるかもしれない。そのとき最後に「ほい三千円」と言えばそれはわたしである。そのときを楽しみに待っていて欲しい。


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