其の149 そういうことを親に話すな


 わたしが従事しているところのこの業種は、社会を動かす上で取り立てて必要であるとも思われないもので、それはこういう業界が社会的に認知されている国というのは殆どないにちがいない、などという想像が簡単にできることからも明らかであり、つまるところ余剰産業の一つなのである。別になくても誰も困らない産業である。こういう社会の余裕によって存在を許されている産業というものは、本来その業務を執り行うところの業界なり機関なりがきちんと存在しているわけで、その業界や機関が取りこぼした部分を拾って己の糧にするという、言わばハイエナ産業なのであるが、ところがわたしの従事するところのこの業界というのは、扱う商品が「学問」という一見高尚な響きをもつものだから困ったことに、ハイエナ産業にありがちなこせこせした感じや卑屈な態度に欠けるところがあって、つまりはその従事者自身自然と尊大な心持ちで業務に勤しむことになる。無自覚な尊大さは手におえない。ところがここで問題になってくるのは、一般的に何の根拠もなしに偉そうにしている人間というのは世間から排除されて然るべきなのであるが、わたしの業界の人間はあまりにもその尊大さに対する後ろめたさがなさすぎて堂々としているからか、周りの人間も何となくこの業種に勤める者を「何だか偉いのではないか」という目で見てしまうようである。堂々と詐欺を行う人には却って騙されてしまうというのにちょっと似ている。そんなわけでわたし自身己の職業をかなり恥ずかしいと思っているところがあるのだが、ところが周りの人間はこんな駄目人間を先生などとその場で切腹したくなるような尊称で呼ぶのである。わたしのことを先生などと呼ぶ人間がいるという事実からわかることは、人間の目は節穴であるということである。だいたい先生と呼ばれたその格好で男のダンディズムを磨きあげるビデオを借りに行くのだから人間というのは信用できない。そんなちっとも尊敬に値しないわたしに、どういうわけだか立派な大人が懇談と称して人生相談なんぞを持ち掛けるのだから人生何が起こるかわからないものである。
「で、ご相談というのは」
「こどものことなんですけど」
「はあ、そうでしょうね」
「最近何だか反抗期に入ったみたいでわたしの言うことをちっともきかないんですよ」
「そうですか。まあ、中学一年ですから。そういう時期ですね」
 だいたいわたしの場合この手の相談を受けると、その餓鬼がいくつであっても「そういう時期」であると言っておくことにしている。このあたりはいくつになっても「食べ盛りだから」と食事をすすめてくるおばさんと同じである。
「そうでしょうかねえ。初めてのこどもですからそういうのがわからなくて」
「難しいですよね。わたしもそういう相談をよく受けますが、これといって解決方法というのがありませんから」
「それに男の子でしょう、わたしよくわからなくて」
「はあ、逆に男の子の方が単純ですから、反抗期もそれ程長引かないと思いますけど」
「そうだったらいいんですけどね」
「それに今一年ですから、却って良かったかもしれませんね。中学三年に入ってから反抗期に入ると勉強の方が手につかなくなって大変ですから。今のうちに済ませとくほうがいいかもしれませんよ」
「そうかもしれませんね。今はまだ体もそれほど大きくありませんし……」
「といいますと?」
「毎日家で数学のドリルをやる約束をしてるんですけど、ここのところ約束を守らないのでちょっと厳しく叱ったんです。そうしますとね。うるさいって……」
「そうですか。お母さんに向かってどなりましたか」
「それだけだったらいいんです。あの子逃げようとするものですからちょっと待ちなさいって腕をとったんです。そうしたらあの子……ううう」
「剛くんどうされました?」
「うう……わたしの腕をはらって『やかましい、厚化粧のばばあ』って……うう」
 たしかに剛くんのお母さんは厚化粧である。
「それでわたし、剛の頬をひっぱたいたんです。そうしたら……」
「そうしたら?」
「……殴りかえしてきたんです……うう」
「殴りかえしてきたんですか。それは酷いですね。お母さんに向かって手をあげるなんて」
「そうなんです。あの子最近乱暴で」
「それはグーですか? パーですか?」
「グーです……うううう」
「グーですか。それは大変だ」
「どうしたらいいのかわからなくて……」
「お母さん、反抗期に入った男の子はちょっと乱暴な言葉遣いだとかを格好良いと思ってしまうものなんですよ。わたしだってそうでしたから」
「そうなんですか。そういうものなんですか」
「しかしグーですから、ちょっとやりすぎのところもありますね。お父さんあたりがびしっと叱った方がいいですね」
「で、でもね、主人いつもいつも仕事だ仕事だって家にいなくて。困っているんです」
「はあ、しかしそういうことをわたしに言われても……」
「相談できるのは先生だけなんです」
「し、しかし、わたしはこどもどころか結婚すらしてませんから、そういうことはちょっと……」
「うう……それにですね」
「あの子、隠しているんです」
「何をですか?」
「エッチな本だとかビデオだとかを。わたしどうしたらいいのかわからなくて、うううう」
「そ、そうなんですか。あいつも大人になったんだなあ」
「普通のだったらいいんです。それがどういうわけかロリコンものなんです。この間ベッドの下を掃除してたら『十四歳』っていうタイトルのビデオが出てきて。この先大丈夫なんでしょうか、変な犯罪とか犯すようにんるんでしょうか」
 しかし十三歳の剛くんであるから、こういうのでもロリコンというのだろうか。
「ま、まあ、そういう時期ですから。仕方ありませんよ」
「大丈夫でしょうか。心配です」
「そ、そうですね。でもいつのまにかそういうのはおさまってきますから。それ程心配しなくても」
「こそこそとベッドの下にエッチな本だとかビデオだとかを隠さなくなるんでしょうか、うううう」
「そうなればいいんですけど」
「やっぱり叱った方がいいんでしょうか?」
「だ、駄目です。絶対駄目です。そういうのはわかっていても知らない振りをしてあげてください。もし叱ったりすると傷つきます」
「傷つきますか」
「傷つきます。もしかしたら暴れたくなるほど恥ずかしいものらしいですし、家出したくなるほど恥ずかしいものらしいですし、自殺したくなるほど恥ずかしいらしいです。聞いたところによると」
「そ、そうなんですか、わかりました、見なかったことにします。それで剛ですけど、先生の方からも何か言ってやってくれませんか。先生には心を開いているみたいですから。この間もポケモンのシールの交換をしたこと嬉しそうに話してましたし」
「ゑ、そ、そんなこと言ってましたか、わ、わかりました、わたしの方からも剛くんにいろいろ話し合ってみます」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
 この場を借りて剛に忠告しておく。
 一つ、親を殴るときにグーはやめとけ。
 二つ、ポケモンのシールの話とかを親に話すな。
 三つ、『十四歳』などというロリコンもののビデオなんか見るな。わたしの知人のようにろくな大人になれないぞ。
 四つ、ベッドの下は見つかりにくいと思っているかもしれないが、ベッドの下=男のダンディズムを磨きあげる書籍という方程式が成り立っているから余計に見つかるものだ。ギターのハードケースの中にしておけ、ここは安全だ。


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