其の46 責任者出てこーい


 最近巷間ではビジュアル系と呼ばれているらしい。ポップアートか何かの自称アーティスト共だと思っていたのだが、なんのことはないグラムロックの系譜に位置するミュージシャンのことのようだ。どの辺りがビジュアルなのかというと化粧を派手にし映像に耐えられる容姿をしているものだからビジュアルなのであろうか。それにしてもいつの頃からビジュアル系と言われるようになったんでしょうかね。ゆく河の流れは絶えずしてゆきこう年もまた旅人なり、か。ん? まあいいか。とにかく時と共に名称も変わって行くのである。ロックミュージックに詳しい若い衆に訊ねたところ(わたしも若い衆なのだが)ビジュアル系=グラムロックという等式で考えれば解り易いという返事がかえってきた。ふむ、グラムロックなのかと一応納得したのであるが、どうも釈然としない気持が残る。グラムロックというのは音楽の種類をあらわす言葉ではなく、そのスタイルなどによって分類する言葉であるので、ビジュアル系と呼ばれているミュージシャンの音楽性がわたしの想像しているグラムロックとは違っていても、そこは許容できる範囲なのだが、どうも納得できないのである。その疑問に対する答えがさっき風呂に入っているとき思い付いた。まるでアルキメデスのようだが、それ程素晴らしい発見でもない。
 グラムロックというのは「glamalous rock」であって直訳すれば「魅惑的なロック」とでも言えようか。これは創始者のデビッド・ボウイやマーク・ボランなんかが女性的な化粧をすることによって音楽自体に退廃的な雰囲気を付加させることから来ているのだが、あくまで魅惑するのは演者であるところのミュージシャンなわけだ。だから訳としては「ファンを魅了するロック」という方がしっくりくるかもしれない。ところがビジュアル系という名称は彼らミュージシャンの主体的な行為を考慮に入れていないものであるように思うのである。たしかに彼らの姿はビジュアル的かもしれないのだが、彼らがビジュアル的に優れていると考えるのはファンではなく、彼らを商業ベースに乗せようとするレコード会社なりテレビマンなりではなかろうか。ビジュアルという言葉自体の定義にもよるのだろうが、ファンというものは彼らの憧憬するところのミュージシャンをビジュアル的だね、などという評価によってファンになるものなのだろうか。そんなこととは無関係に好きになるのであって、そして小遣いでCDを買ったりライブに行ったりするのだと思うのである。まあテレビ、映像的であるからファンになるという人も最近では多いのかもしれないけどね。それは置いておくとしても明らかにグラムロックとビジュアル系という名称のつけられ方には、大きな隔たりがあるように思える。これがグラムロック=ビジュアル系という等式を素直に受け入れられない理由だったと思うのである。
 ある意味では退廃的な化粧をしてさえいればグラムロックと言えるので(これはグラムロックは音楽自体のジャンルではないという解釈をとればの話)、ビジュアル系もグラムロックの系譜に入れても、わたしの感情は別にして、宜しかろうと思う。たしかにグラムロックと呼ばれたミュージシャンも様々で、音楽性も様々なのだが、唯一彼らに共通していたことは、化粧をすることによって反体制を表明していたことだろうか。彼らは自己の音楽を表現する際、如何に既存の価値観に反するかという点で化粧をするということを考えついたに過ぎないのであって、もしはちまきをすることが社会的な価値観に反するのであれば喜んで巻いたことであろう。つまり手段に過ぎなかったわけである(ま、彼らグラムロッカーたちを買いかぶっている気もしますが)。そしてビジュアル系と呼ばれる方々も化粧についてはあくまで手段なのかもしれない。しかしあのグラムロックが興ったのは今から二十年も前の話ではないのか。十年一日の如く同じことをしているのがロックミュージックではないだろうに。二十年も経っているのだからいっそのことジャージでシャウトするくらいの気概が欲しいものである(あ、こういう人いますね)。またああいう化粧をするのは売れんが為のスタイルだと開き直るのであればそれはそれでピストルズ的である。彼らはそんなことを表明はしていないだろうし、そんなことを考えたことすらないのかもしれないのだが。
 ちょっと熱くなりましたが、まあルー・リードに心酔しているものでその辺りはご容赦を。
 あとこのことを言うとスタイルだとか名称のつけられ方だと言っても結局はビジュアル系の音楽性が嫌いなだけぢゃないかと思われるでしょうが、それは勘弁してもらうとして、彼らの歌唱法が気になる。あの歌い方だけはなんとかして貰いたい。彼らの歌い方は粘っこい。これでもかというくらい粘っこく歌い上げるである。そこが気になって仕方がないのだが、どうも西城秀樹の歌唱法に似てはいまいか。ヒデキはヒデキで大好きな歌手なのだが、ロックとは別の物として好きなのであって同じような歌い方をしながらロックを表明されるとちょっと違うんぢゃないかと言いたくなるのだ。そして粘っこい歌い方といえばロマン歌謡を彷彿させる。元々ロマン歌謡(特に敏いとうとハッピー&ブルー)と西城秀樹とは太い紐で結ばれているのだから、当たり前と言えば当たり前か。この辺りもグラムロック=ビジュアル系という等式を受け入れられない理由でもあるのかもしれない。
 しかし最近の音楽に物申すって人生幸路のようであるな。


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